6.魔法喰いは挑戦する
魔法喰いは魔王の自覚なし。
味覚が欲しい、などと言ってしまった手前――。
食卓に大量に並べられた劇物を前に、ナナヤは諦観の念でそっと瞼を閉じた。
がりがりに焦げた黒い物体。調味料の色を鮮明に映し出す鮮血のような液体。毒々しく虹色に輝くゲル状の何か。小さな泡が大量にのせられた何かの生肉。
食べろというのか、これらを。
無理難題を突きつけて、さっさと帰ってもらうつもりだったのだが。
数年間は使用されていなかったキッチンを清掃して、存分にナイ腕を振るったエルディノーラは、エプロン姿で期待の眼差しをこちらに向けている。真剣な表情でだ。
「では、どうぞ、ナナヤ様!」
うう……。この鼻の粘膜を針で突き刺すかのような刺激臭……。
味はいい。【魔王の魔力】の呪いによって味覚は破壊されている。どうせ感じない。
ただ、健康面ではどうなの? 下手をすれば死ぬのでは?
足もとに行儀よくお座りしている青狼のマオに視線を向けると、青狼はふいっとそれを避けるように目を逸らした。気まずそうに。
どうすんだよ、マオさぁぁ~~ん……。
『すまん、ナナヤ……』
謝るな。かえって怖い。
エルディノーラは拳を握りしめて前のめりになっている。
「さあ、さあさあ! 遠慮なさらず!」
「……あぁ、いや……遠慮ではなくてだな……」
震える手でフォークをつかみ、焦げた物体にそっと突き刺す。ぱりぱりと炭が砕けて、黒い粉が白い皿に散った。
お、おおう……。
「ど、どうでしょうか!」
「まだ食べてない」
むしろ食べたくない。
どんな火力で焼けばこんなことになるんだ……。
フォークで押さえながらナイフで一口サイズに切っ――れない。炭を剥がせば中からはいい感じに焼けた何かが出てくるという期待は一瞬にして散った。
中まで炭化している。こいつを一口サイズにまでカットするにはノコギリが必要だ。先日の暗殺者どもが使っていたような。
あきらめて手でつかむと、ぱらぱらと黒い粉が散った。
青狼はハラハラした表情で見ている。
「……食う?」
くぅ~ん、と情けない顔で犬のように鳴いた。
こんなときだけ犬ころのふりをしやがって、むしろ己が泣きたいくらいだ。
「エルディノーラ」
「おいしいですか!?」
十七歳の乙女が食い気味に尋ねてきた。
「まだ食べてない。それよりキミは料理というものをしたことがあるのかい?」
「ありますよ?」
金色の髪を傾けて、エルディノーラはおっとりと微笑む。
何度見ても品のよい美少女には違いない。こんな謎物体を生み出してしまうけれども。
「あるんだ……これで……?」
「はいっ。今日ですけれどっ、貴重な経験ができましたっ」
ああ、そーなんだー……。物は言い様だな……。
貴族じみたドレス姿だ。ある程度の想像はしていたが、覚悟まではできていなかった。
まさか、ここまでとは。
ちなみにキッチンを清掃したのも彼女だが、片隅には割られた皿が大量に積み上げられている。家事はどうやら壊滅的らしい。
「冷めないうちにどうぞ、お食べになって?」
「あ、ああ」
意を決してフォークとナイフを捨て、手でつかむ。
重く、そして硬い。人の頭部くらいなら陥没させられそう。むしろこれは鈍器だ。歯が折れたりしないだろうか。
そもそも「味覚を戻してくれ」という願いが、なぜ「料理を作ってくれ」にすり替えられているのか。弟子入りと嫁入りは別だぞ、このやろー。
ナナヤが物体X(仮称)を持ち上げて、恐る恐る端を噛む。
じゃり、じゃり。歯ごたえは最悪だ。鼻から抜ける臭気も最悪だ。そして。
「……味がしないな」
「ええ……。お砂糖を一瓶も使いましたのに……」
そうは言っても、やはり味覚が壊れたままでは――ん?
「………………い、今なんて……?」
「お砂糖と蜂蜜を一瓶ずつ入れました」
はは、ちくしょう……。おれを成人病にでもする気か、こいつ……。
『く、くく、くっくっく』
笑うなよ……。一口だけにしておいてよかった……。
ナナヤは物体X(仮称)を皿に戻して、スプーンを持ち出し、鮮血色の液状Y(仮称)をすくって口に運ぶ。
「……ぶっ!?」
「あ、あら? お口にあいませんでした?」
痛い。舌も食道も鼻でさえも。元いた世界の知識と経験から察するに、激辛スープだ。ただ、塩味や甘さはもちろんうま味が一切なく、ひたすら痛いだけだ。
新手の拷問か、これは。変な汗が出てきた。
次に虹色に輝くゲル状Z(仮称)に手を伸ばしたところで――。
どんっ、と館が大きく揺れて軋んだ。
「きゃあっ!」
「……ん?」
エルディノーラが揺れる大地に耐えきれず、ぺたりと腰を落とす。
「な、なんですか、今のは!?」
突き上げるような震動は収まったが、ぎしぎしとシャンデリアが揺れている。
『ほう……。これはまた懐かしい魔力よのう……』
青狼がゆっくりと首を回した。
『ナナヤよ、久々の上客じゃ。これはちと面倒だぞ』
間もなく、シンドウの街並から悲鳴が上がった。そして、先ほどよりはいくらかマシな揺れが断続的に起こり始めた。
ナナヤがこれ幸いと、テーブルナプキンで口もとを拭って立ち上がる。この食事から逃れられるものなら、なんだって歓迎だ。
「ナナヤ様……?」
「魔物の襲来だよ。たまにあるんだ、この街ではね」
そう。たまにある。【魔王の魔力】が魔物を引き寄せることが。
エルディノーラは驚きのあまり腰を抜かしている。それを尻目に、ナナヤは青狼へと視線を向けた。
「マオさんの知り合い?」
『昔のな』
「だったら帰ってもらえるように説得してくれないかな」
青狼が、まるで人間がそうするように首を左右に振る。
『勘違いするなよ、ナナヤ。仲間ではない。喧嘩相手じゃ。何度も何度もあきれるほどに殺し合い、ずいぶんと可愛がってやったものよ』
ナナヤが少し驚いたような表情で眉をしかめた。
「マオさんが【魔王の魔力】を持つ前の話だよね?」
わずかな沈黙の後、青狼は首を傾げる。
『あたりまえじゃ、愚か者め。やつごときに【あんなもの】を使用するまでもないわ。おまえと相対したときとは違うてな』
ふんす、と青狼が鼻息を荒げた。
愛らしい仕草だと、ナナヤは内心身もだえる。だが、彼女は気まぐれである。自身から擦り寄るときはどこを触っても怒らないが、迂闊にこちらから手を出せば穴が空くほどに噛みつかれる。
女性である。かろうじて。未だ。
「おれのときも使わないでおいてくれると楽だったけどね。【あれ】を防ぐのは難儀した」
『戯け。【あれ】を防げるようなやつを相手に出し惜しみができるか、阿呆が』
この青狼となった彼女こそが、ナナヤが斃した先代魔王ヴァルフィナであるとは誰も思うまい。
「……で、やつの種族は?」
『小生意気な竜族じゃ。傲慢な中立気取りのいけ好かんやつらよ』
ナナヤが額にあてた手を、ずるりと下げる。心底嫌そうな表情が覗いた。
「あぁ~……そりゃ最悪に面倒だ……。……勘弁してくれ……」
ナナヤが天井を見上げて長いため息をついた。
ポンコツお嬢さまは壊滅的家事能力。