4.魔法喰いは矛盾している
魔法喰いは自然に優しい!
「……というようなことがあって、遅れた次第です。面目次第もございません」
ナナヤはベッドに腰掛けた状態で、床に大人しくお座りをしている青い狼に頭を下げた。
「ごめんな、マオさん」
青狼の前に置かれた皿には、王都産のドッグフードがこんもりと盛られている。
マオさんと呼ばれた青狼は、聡明な視線をナナヤにしばらく向けた後、ドッグフードを少しだけ嗅いでからばくばくと食べ始めた。
シンドウの街の中央に、その館はあった。
それなりに立派とも呼べる外観の洋館ではあるが、外壁には年季を思わせるひびや、緑の蔦が無数に這っている。
ナナヤは二階の一室に、一頭の狼とともに暮らしていた。
「わかってるよ。次からはちゃんと街道を通る。急がば回れってことだな。……以前にいた世界での諺だよ。……うん、そう、格言みたいなもの」
青狼マオは食べながら、上目遣いでナナヤを見る。
「マオさんはいつもうまそうに食べるね。羨ましいよ」
一方でナナヤはベッドに腰掛けたまま、硬いパンを行儀悪く口に運ぶ。
バターを塗るだとか、肉や野菜を挟むだとか、そういったことはない。焼き直すこともしない。ぼそぼそとしていて味などない。うまくもまずくもない。
栄養が採れればそれでいい。
「野菜を食べろ? 遭難中は野草しか食べてなかったから問題ないよ。……生だよ、生」
喉に引っかかるパンを、ミルクでも果汁でもなく、ただの水で強引に流し込む。
こういう食事には、もう慣れた。
食事が楽しみではなくなったのは、心臓に魔王の呪いをかけられてからのことだ。呪いのアイテム【魔王の魔力】は、制御不能なほどの絶大なる魔力を宿主に与える反面、五感の一つを喪失させる。
それが味覚であったことは、まだ運がよかったと言える。視覚や聴覚だったなら、本当に目もあてられなかった。
それでも、人生の楽しみの一つを失ってしまったことには違いはない。ナナヤにとっての食事とは、今や生命活動の一環という目的のみに絞られてしまった。
「ふい~、ごちそうさん。マオさんも食べ終わった? おかわりは?」
まるで会話をしているかのように、一方的に語る。もしもここに他者がいたなら、それは異様な光景ではある……が。
「ああ、エルディノーラなら今朝方街についてから別れた。詳しくは聞いてないけど、この街で用事があるらしい。こんな非合法な街なのにね。ま、それでも王都より治安はいいんだ。放っといても問題ないだろ」
シンドウの街は、正確には王都バルモアから認められた領主のいる『街』ではない。ここは、ただの人の集まりに過ぎないのだ。少なくとも法的には。
かつて魔王を討った異界の勇者シンドウが、魔王軍領地内だったこの地に館を建て、住み始めたことがこの街の始まりだ。
シンドウを慕うものや、彼の庇護下にいたいと望むものが彼の館の周囲に家を建て、開墾し、家畜を飼い、そうして自然と街になっていった。
今では人口数万を誇る立派な街として、地図にも記載されている。
だが、王都にとって魔王を討ったシンドウの存在は、王権を揺るがす煙いものだった。
支配領域のすべてに王の息のかかった領主を派遣する地方制度を取っていた王は、当然のようにシンドウの街にも領主を送り込んできた。
ところが人類の味方だったはずのシンドウは、それをにべもなく追い返したのだ。それでも王が派兵をしなかったのは、シンドウの力を恐れたからに他ならない。
王は考える。
ならばシンドウに、形ばかりの領主という地位を与えてしまえ、と。王都への税の摂取は免除しよう。各種手当ても出そう。福利厚生も抜群だ。
だが、シンドウはそれすら拒絶した。領主となることを拒んだのだ。彼が王の前で言い放った理由は一つ。
――興味ないわ~。
王都に対する税の免除も、様々な厚遇も、彼には何の意味もなさなかった。
以降二十年あまり、シンドウと王は睨み合いを続けている。正確には、王が一方的にシンドウを睨んでいるだけなのだが。
ゆえにこの街は、人類領域でありながら王には存在を認められないという、なんとも宙ぶらりんな地なのである。
自由都市であると、人々は口を揃えて言うけれど。
だが、実際のところは興味の是非ではない。シンドウがなぜ人類領域に戻ることを拒絶したか、真の理由を知るものはいない。
この一頭の、精悍にて美しい青狼を除いては。
「……別にマオさんのせいじゃない」
ナナヤは狼の頭に手を伸ばし、頭を撫でる。狼は心地よさそうに耳を倒し、瞳を細めている。
「さて、おれは一眠りするけど、マオさんはどうする?」
ドッグフードを平らげた狼は、一も二もなくナナヤのベッドへと駆け上がり、寄せ合うようにして身体を丸め、瞼を下ろした。
「マオさんは暖かくて気持ちいいねえ。お日様の匂いがする」
ナナヤが両手で撫で回しても、されるがままだ。ほんの少し、片目を開けたけれど。
と、瞳を閉じようとした瞬間、エントランスのドアノッカーが鳴った。
ため息をついて、ナナヤは再び起き上がる。片目だけを開けてこちらの様子を見る青狼を置いて部屋を出て、長い廊下を歩く。
ほとんどの部屋は使われていない。使う部屋といえば寝室、そして稀にある客室くらいのもので、他の部屋は埃をかぶっている。味覚がないゆえ、言うまでもなくキッチンも。
木製鳥のドアノッカーは、急かすようにコンコンコンコンと鳴らされている。
「はいはい。わかった、わかったって」
階段を駆け下り、小走りでエントランスを抜けて、ドアを押し開く。
びゅうと吹き込んだ爽やかな風に、なびく長い金色の髪を手で押さえ、白地に黒のレースをあしらったドレス姿の少女はそこに立っていた。
エルディノーラ?
ナナヤが訝しげに眉をしかめる。
「……なに? まだ何か用?」
エルディノーラはほんの少し驚いたような顔をした後、昨夜とまったく変わらない穏やかな微笑みで口を開く。
「まあ! こんなステキな偶然があるだなんて! ナナヤ様! またお逢いできましたね!」
「あ、ああ……いや、偶然も何もキミが訪ねてきたんだろ……」
エルディノーラは感激したように両手を口の前で合わせて、少し首を傾けた。
「ところで、どうしてあなたがシンドウ様のお屋敷にいらっしゃるの?」
「うちだから」
「……シンドウ様のお屋敷が?」
「そうだよ。ナナヤ・シンドウだ」
少女はぽかんと口を開けて。
「ですが、シンドウ様はもう四十のお方なのでは? あ、ご結婚されていて、ナナヤ様は勇者シンドウ様のご子息様だったりします? でしたら昨夜のご活躍も納得です!」
面倒だな。ほんとに。
「いや、おれがそのシンドウだ。魔王を張り倒したやつのことならだけど」
「え、ええ。ですが、ナナヤ様はどう見ても……その……」
エルディノーラが言葉を濁す。
若い。そう見えるのだろう。
実際にナナヤの肉体は、控え目に言って二十歳そこそこだ。十代後半と紹介されたら大多数の人間はそれを鵜呑みにしてしまうだろう。
魔王を討ったのが二十歳の頃。それから月日が流れて二十年。ナナヤは四十路をすでに迎えている。
だが、【魔王の魔力】が心臓に寄生して以来、どうも歳月の流れは無効となってしまったらしい。十年間ほどは、己はあまり老けないのだとばかりに思っていたが、十五年を越える頃になってようやく気づいた。
いや、いやいや、……なんか、むしろ若返っとる……。
実際問題、これほどの美少女が目の前にいたとて、なんら心を動かされるものはない。何せ、本来ならば己の娘のような年齢なのだから。
ゆえに、その扱いは淡泊で。
「用件は何?」
「あ、え。あ、はい」
少し戸惑うような素振りを見せた後、エルディノーラがすぅっと息を吸った。大きくも小さくもない胸が、微かに膨らむ。
……もう少し膨らめば完璧だ。
ナナヤが血迷って前述とは矛盾するような不埒なことを考えた瞬間、エルディノーラは意を決したように、右手を自身の胸にあてながら言い放った。
「勇者シンドウ様! どうかわたくしを弟子にしてくださいっ!!」
「用件はそれだけ?」
「はいっ」
「断る」
間髪容れず、ナナヤはエントランスのドアを閉じた。
面倒だ。本当に。
ポンコツお嬢さまは空気を読まない!