表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/13

11.魔法喰い、魔法の味を知る ~第一章完~

 夜が明けてもエルディノーラは館の客室に居座ったまま、帰り支度さえしようとはしなかった。もっとも、支度といっても替えの服はないし、荷物らしい荷物も最初から持ってはいなかったけれど。


 もしや、王都バルモアからシンドウの街に至るまで、飲まず食わずだったのだろうか。そんなことを考えて、ナナヤは首を左右に振った。


 生半可な優しさは、彼女に希望を持たせてしまう。政略結婚は気の毒に思うが、そんなことはランシール家の問題だ。


 青狼マオの前に高級ドッグフードを盛った皿を置いて、自らは乾いた硬いパンを囓る。申し訳程度の野菜と豆のサラダも用意したが、ドレッシングはない。飲み物もミルクやジュースではなく、ただの水だ。

 どうせ己の味覚は壊れている。食には、生命維持行為以外の目的はない。この時間は面倒だとさえ感じる。それでも空腹を感じてしまうことが、理不尽で腹立たしい。


 ちなみにエルディノーラの分は用意していない。彼女を受け容れるつもりはないという意思表示だ。水だけは客室に用意してあげたけれど。


 ふと気づくと、エルディノーラの姿が館から消えていた。

 食事を終えた青狼が呟く。


『帰ったかの? だが、本当によいのか? あの嬢、王都より飲まず食わずでここまで来たのだとしたら、帰り着くまではもたんかもしれんぞ』

「何が言いたいのさ」

『わからんふりをするな、未熟者め。そういうのは好きではない。好きではないぞ、私はな』


 ナナヤがテーブルに肘をついて苦々しい顔をした。

 ただの獣ではない。元魔王で、己よりも数十倍は長く生きている魔族だ。彼女から見れば、自身はさぞや未熟に見えることだろう。


 ナナヤがガシガシと頭を掻く。


「……ま、乾いたパンくらいは渡してもよかったかもね」


 もう帰ってしまったようだけれど。と、思った瞬間。


「ただいま戻りました」


 エルディノーラがノックもなく食卓のある部屋へと入ってきた。

 両手には紙袋に入った山ほどの食材を抱えている。


『なんじゃ、帰ったのではなかったのか』

「食材を買い込んできました。だって、リーガラインの襲撃で有耶無耶になってしまっていましたけれど、まだ弟子入り試験に合格できていないんですもの」


 ぞわっとナナヤの背筋に悪寒が走った。


「待って、ちょっと待って。なんだ、その試験って」

「わたくしの料理でナナヤ様を唸らせて見せます!」


 腕まくりをしながら。


 おおぅ……。腹を壊して呻きなら上げそうだ……。


 味がしないのに肉体が拒絶しているのは、エルディノーラの作る料理が毒に近しい性質を持つものだからだろうか。

 とにかく嫌だ。


「いや、そ、その件はもう――……」


 ふと気づく。

 エルディノーラの服装が、裂けたドレスから町娘のそれに変わっている。

 レースはあしらわれているけれど、シンプルな白シャツに、足首までも覆う長いスカートだ。履き物までもがサンダルに変わってしまっている。


「エルディノーラ、服はどうしたんだ?」

「売りました」


 それで大量の食材か。

 たしかに生地にしても高値のつくものだろう。まったく見てもなかったが、もしかしたらアクセサリー類も売り飛ばしたのかもしれない。


「朝食は?」

「食べました。突然お邪魔して朝食までいただくのも悪いかと思いまして。この街でお仕事を見つけるまでは、売ったお金で頑張って食いつないでいきます」


 にっこり。

 筋金入りの箱入り娘だ。

 昨夜まで苦々しく感じていた前向きさが、むしろ眩しく見えてきた。現実世界で生きていた頃からこの方、こんなタイプの娘は見たことがない。


 ふと隣に視線をやると、青狼もまた眩しげに目を細めていた。

 元魔王に現魔王の日陰者コンビとくれば、やむなしか。

 そんなことを考えて自嘲する。


「わかった。わかったよ。もうわかった」

「ここに置いていただけるのですか?」


 ナナヤが渋い表情で首を左右に振った。


「試験をやり直すだけだ。味覚を戻せは無理難題すぎた。そんなことができるなら、おれがとっくにやってる。自分にもできないことをキミにさせようとするのは、さすがに虫がよすぎた」


 これ以上、毒を食わされるのはご免だ、というのが本音だが。


「はぁ……」

「エルディノーラ、キミ、戦闘技術では何ができる? マオさんの声が聞こえるってことは、一応魔法は使えるんだろう?」

「はいっ。ナナヤ様と同じ初級魔法までは王立魔法学校(マジックアカデミア)で学びました」

「それは……ますます教えることがない……」


 青狼が意地悪く笑った。


『くっくっ! おまえのデタラメ体術でも教えてやったらどうだ?』

「あんなもん、拳握ってぶん殴ってるだけだよ」

『デタラメで竜や魔を張り倒せる人間なぞ、そうはおらんがの。ましてや隕石破壊なぞ』

「どっちにしても、自分でも原理がわかっていない以上は教えようがない。さて、どうしたもんかなー……」


 弟子に不満があるというより、師匠として教えられることがないことのほうが問題だ。


「とりあえず、キミの初級魔法とやらを見せてよ」

「はいっ。あ……」

「どうかした?」


 エルディノーラが照れたように後頭部を掻いて、苦笑いを浮かべた。


「……先ほど魔法のリングも売っちゃいました。食べ物がなかったので……えへへ……」


 ナナヤが右手の薬指に嵌めていたリングを抜いて、エルディノーラへと指先で弾く。

 古代文字の刻まれた銀のリングは空中でくるくると回転しながら、エルディノーラの掌へとぽとりと落ちた。


「あげるよ」

「え? い、いいんですか?」

「ああ。安物だし、おれは他にいくつか持ってるから」


 少し頬を染めて、エルディノーラが左手の薬指にそれを嵌める。


「えへへ。英雄様からいただいちゃいました。少し気恥ずかしいですね」

「……右手にしない?」


 結婚指輪を嵌める指は、この世界でも以前の世界でも変わらない。


「いいんですっ。こうしておいたほうが、余計な方に近づかれないので」


 モテ女の理屈だと、ナナヤは苦笑いを浮かべた。


「まあ、いいけど……」

「では、表に出ましょうか」

「ここでいい。得意な属性でいいから、おれに向けて撃ってみて」

「こ、ここでですか?」


 二度は言わない。


「ヴァルフィナの大魔法でも死ななかったんだし、初級魔法が直撃したくらいじゃ死にはしないよ」


 たとえエルディノーラが【魔王の魔力】を持っていたとしてもだ。毒や刃物のほうがよっぽど怖い。


 エルディノーラがわずかな躊躇いの後、指輪の嵌った左手を上げた。右手で左腕の肘をつかみ、ナナヤを見据える。


「では、ファイアの魔法を使いますね。大けがしても知りませんよ~」

「ああ」


 これが物語であるなら、ここで己のファイアを超えるような炎が見られるところだろうけれど……などと考えながら、彼女の掌に収束してゆく橙色の魔力を見つめる。

 テーブルに肘をついたまま、ナナヤが小さなため息をつく。


「んーーーーっ!」


 エルディノーラが真っ赤な顔で唸り始めた。

 見える魔力はうっすら。分厚さはオブラートほどで、熱量もまるで感じない。


『くっく。これはまた可愛らしい魔力よのう』


 同感である。これじゃマッチの先ほどの火も出せまい。……が、なんだこれは。

 肘。テーブルについていた肘を、自然と放す。大きく目を、いや、鼻の穴を開いて。


『どうした、ナナヤ?』

「……なんか、いい匂いがする。しない?」


 青狼が首を傾げた。しばらく鼻をスンスン鳴らし、もう一度首を傾げる。


『私には何も匂わんぞ』

「いや、する……。……すっごく美味そうな匂いだ……」

「ん~~~~~~~っ!!」


 ぞく、ぞく。全身が震えるほどに。


 どこ? どこからだ?


 口内から唾液がわき水のごとく溢れ出そうになって、あわてて口を手で覆った。


 食べたい……この匂いのするものを食べたい。食べたい、食べたい、食べたい食べたい食べたい食べたい食べたくてたまらない! なんっっっっだこれはッ!?

 どこ、どこどこどこどこにあるるるるる!?


 青狼か!?


『な、なんじゃ、その目は……!? わ、私は毎日水浴びをしておるぞ!?』


 違う! マオさんは不味そうだ!


 ならば小娘か!?


「ん~~~~~~~~~っ!!」


 ん? んんんんんんんんんん!?


 すんすん鼻を鳴らしながら、ナナヤはエルディノーラへと近づいてゆく。

 近い。近いぞ。


 エルディノーラは集中するあまり、目を固く閉ざしたまま唸っている。

 彼女の髪を匂った。いい匂いではあるが、これは食べ物の匂いではない。ならばと、首筋に鼻を近づける。甘酸っぱく、鼻腔を撫で回すような香りがした。


 惜しいが、これも違う。

 胸か? 腹か? 脇か? 下半身か?

 順番に嗅いでゆく。違う。違う。違う。


『こらこら、ナナヤよ……。さすがの私も引くぞ……』


 食べ物、これは間違いなく食べ物の匂いだ。それも、最高に美味い何かだ。わかる。これはきっと味がある。そんな気がする。

 くわっとエルディノーラが碧眼を見開き、叫ぶ。


「――ふぁいあぁぁぁん!」


 彼女の突き出した左手から、ぽん、と小さな小さな火が顕現した――瞬間、神経を限界まで研ぎ澄ませていたナナヤは、ほとんど無意識のうちにその小さな火を、ぱくりと口に入れていた。


「ふぇ!?」

『お、おま――何をしとるんじゃ!?』


 もぐもぐと口を動かす。


「……」


 噛みしめることはできない。あくまでも火なのだから。

 だが、舌を突き刺すような刺激。熱ではない。味だ。舌のあらゆる箇所から脳へと駆け巡る懐かしき電気信号は、快楽にも似ていて。


 最上級の味! 二十年ぶりに感じる、味覚! まるで高級フルーツのような風味!


「もう一発!」

「え、ええ? で、ですが……」

「いいから!」

「――ふぁ、ふぁいあぁぁぁん!」


 ぱくり。


 甘い! 甘いぞ! 舌が甘さを感じている! 間違いない! 気のせいじゃなかった!


「もう一回!」

「――ふぁいあぁぁぁん!」


 ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぅぅぅぅぅっ、美っっっ味ぁぁぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~いっ!!


 次の瞬間、ナナヤは涙を流しながら卒倒し、気絶していた。


 青狼と少女は、どん引きしていたという……。




へんたい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ