10.魔法喰いはやりたくない
館に帰り着き、避難民たちを帰してようやく一息つく。
「はあ。疲れた」
「お疲れ様です。お師匠さま」
エルディノーラが当然のように言い放った言葉に、ナナヤは顔をしかめた。
「弟子を取ったおぼえはないよ。キミも客室で一休みするといい。毛布は後で届ける。明日、王都までの馬車が出る。口利きはしておいてあげるから、それにのって帰りなさい」
「お断りします」
にっこり微笑んで、首を微かに傾げて。
対するナナヤはげんなりして。
『埒もないぞ、ナナヤよ。いい加減あきらめて話くらい聞いてやったらどうだ。この娘、存外にしぶとい』
青狼が静かに念話で呟く。
ナナヤが大きなため息をついた。
「なんでそんなに力が欲しいの……」
「バルモアの武闘大会はご存じでしょうか?」
「ああ。毎年緑風の月の初日に王都で執り行われてる祭だろ」
以前の世界で言うなれば、元日のことだ。
一年は緑風の月、太陽の月、紅葉の月、風雪の月の四つに分けられる。日本の四季とあまり変わらない。
エルディノーラが微笑んだままうなずき、とんでもないことを口走った。
「はいっ、それですっ。わたくし、それに優勝したいと思っているのです」
しばらくの間、客室を沈黙が支配する。
ナナヤは今さらながらに照合魔法を使用した。
鑑定照合――エルディノーラ・ランシール
職業:貴族
LV1
Atk:1
MAtk:2
Def:1
Agi:4
Skill:
Notices:
王都バルモアの武闘大会――。
王都はもちろんのこと、この大陸どころか、海を越えた別大陸からも、剣士・魔術師問わず腕自慢の輩が集まってチャンピオンを決める武闘大会だ。
剣士、魔術師や戦士、騎士、神官だけならばいざ知らず、それぞれの上位職にあたる剣聖や賢者、剣闘士、騎士長、神官長などという俗世間からは外れた、とんでもない強者が出場したという記録も少なくない。
変わり種では暗殺者や、剣も魔法も扱う魔法剣士、それに侍っぽいやつや忍者っぽいやつなどもいたとかいなかったとか。
しみじみと、青狼がいった。
『無理よな』
「…………無理だろ」
見るからに鈍くさい娘だ。
「そうでしょうか?」
「あきらめたほうがいい。生半可なことしたって怪我をするだけだ」
エルディノーラが両手をぐっと握りしめる。
「まだ一年近くもありますっ」
「いや、もう一年しかない」
『無駄に前向きよの……』
今年度の優勝者は暗殺者だったらしいが、あまり興味はない。
「そもそもエルディノーラは、おれから何を学ぶつもりなの?」
「剣でも魔法でも、なんでもっ」
興奮したようにぐっと近づけてきた顔を、ナナヤは指先で額を押して下がらせる。
「だから剣術や体術は知らないって。ただぶん回したり、ぶん殴ったりしてるだけなんだって言ったろ。魔法は初級魔法しか使えないってのも本当だ。それに魔王と戦って以来、おれはずっと戦いから離れていたんだ。勘が戻らないよ」
「あら。でも、リーガラインとは互角以上に戦っていらっしゃったではないですか。それに、隕石だって喚んでいたもの。わたくし、さすがは勇者様だわって思いましたもの」
隕石召喚は魔王の力なのだが。破壊したのは自力だけれど。
「あ、あれは……うむう……」
迂闊だった。
古竜リーガラインにヴァルフィナを愚弄されたことで頭にきて、思わず魔王の魔法を使ってしまっただけだ。
「と、【特別なアイテム】を持たないやつには使えない特殊な魔法だし、あんなもんを武闘大会なんかで使ってみろ。王都どころか大陸が大変なことになるだろ」
むしろ下手をすれば、大陸どころかこの星に氷河期が訪れる。
もしも己にあの隕石を破壊する力がなかったとしたら、使用した時点で大陸ごと自らをも木っ端微塵にしてしまうような魔法だ。ゆえに魔王の魔法は人に扱えるものではないし、ましてや使用などという言葉を使うことすらおこがましい。
……と、言ったところで使ってしまった手前、説得力はないのだけれど。
「なんで武闘大会なんかに出る必要があるんだ?」
「ランシール家は王にお仕えする貴族の家系なのですが、代々ランシール家の長女は、武闘大会優勝者と婚姻を結ばされる決まりになっているのです」
ランシールといえば、王家を支える大貴族の性だ。
ナナヤはあらためてエルディノーラに視線を向けた。
言葉遣いに仕草、恵まれた姿形に豪奢なドレス。そして、壊滅的家事能力。
どれをとっても貴族の出だ。
「王の配下に、武に優れた男を招き入れるため?」
「ええ、そう。ですがわたくし、そんなのは嫌ですもの。だから自分が出場して優勝し、こんなバカげたお話は有耶無耶にしてしまおうって思いましたの」
白く細い腕で、ふらふらした猫パンチを出しながら。
生きるや死ぬやの悩みでなくとも、婚姻となればそれなりに哀れな話だ。政略結婚ほどくだらない結ばれ方はない。
でも。
ナナヤはソファの肘置きに肘をのせ、ぼんやりと呟く。
「同情はする。けど、キミに魔法の潜在能力はないよ、エルディノーラ。だってキミ、マオさんの声が聞こえていないだろ? 黙ってるようでいて、マオさんはずっと念話で喋ってるんだ」
ぽかんと口を開けたエルディノーラが、視線を青狼へと向けた。
「…………………………聞こえてますよ? わたくしずっと、とっても綺麗な声だわって思っていましたもの」
「…………え?」
今度はナナヤが唖然とした表情で、視線を青狼へと向ける。
青狼もまた戸惑っている。
そんな一人と一頭を余所に、エルディノーラがにこやかに続けた。
「マオ様は元魔王で、勇者のナナヤ様に召喚獣に封印されたのですよね? あ、そっか。わたくし、わかってしまいました! 魔王だからマオ様だったのですね!?」
「……」
『……』
安直ではあるが、図星である。
「ああ、もったいないわ。ヴァルフィナという名も、とってもステキな響きですのに。でも、そうよね。ヴァルフィナを名乗ってしまったら、魔王存命が王都に知られてしまうかもしれませんものね」
ソファに腰掛けたまま、ナナヤは両手で顔を覆った。
全部聴かれてた……。アダルティーな会話も……。
当の青狼は、平然としているけれど。
『知られたところでどうということもなかろう。私には恥じる意味がわからん。なんなら見せつけてやってもかまわん』
「マオさんは少し羞恥心をおぼえたほうがいい……」
エルディノーラが胸の前で手を合わせて、うっとりと呟く。
「わたくし、色々わかってしまいました。勇者シンドウ様が王都の王と仲が悪いのも、居を僻地にかまえたのも、すべては死んだと思われている魔王ヴァルフィナ様を密かにお守りするためでしたのね」
やめて……恥ずかしい……。
「お二人は、とっても深く愛し合っていたんだわ」
『くくっ、照れるのう。ナナヤよ』
「それは誤解だ。まじで」
『ほう? 誤解なのか?』
「ややこしくなるから余計なこといわないでよ、マオさん。まる聞こえなんだから」
ふん、と鼻を鳴らした青狼が、拗ねたように足を折って瞼を下ろした。
「と、とにかく、弟子を取る気はない。夜が明けたら帰ってくれ」
「あら。ですがわたくし、もう知ってしまいましたもの。王都には戻れないわ」
ナナヤが訝しげに尋ねる。
「何を?」
「うふふ。魔王ヴァルフィナ様が、勇者の街でご存命でいらっしゃることです」
しばし黙考し、ナナヤはおもむろに口を開ける。
「……もしかして脅してる? 王都に戻ったら吹聴して歩くぞーって」
エルディノーラがにっこり微笑んだ。
とても可愛らしい笑顔だと、ナナヤは憎らしく思った。
ポンコツお嬢さまは結構しつこい。




