9.魔法喰いは力を示す
熱波と暴風が紅蓮の空から降り注ぎ、そのあまりの光景にエルディノーラは腰を抜かす。
『だから言ったであろう。心配はいらんと』
青狼マオだけは、平然としていたけれど。
だが、次の瞬間、エルディノーラは再び目を見開く。
「そ、そんな……っ」
なぜなら空には、鱗を焦げつかせ、肉体からぶすぶすと黒煙を上げながらも、一体の竜が翼を上下させて飛んでいたからだ。
『……ふ、ふははははっ、愚かな人間めがッ! 炎を吐く竜に炎が通用するものかッ!! 我が真の姿に戻ったからには、貴様にチャンスはもう二度と訪れ――』
竜の念話に割り込んで、女の念話が響く。
『虚勢を張るな、愚かな蜥蜴よ。だからおまえはいつまで経っても二流なのだ。炎なぞただの目眩ましに過ぎんと、なぜ気づかん』
空を飛ぶ竜の瞳が、地で座る青狼へと向けられた。
『そ、その声は――ヴァルフィナ殿かッ!? 貴公、い、生きていたのか!?』
『いかにも。少々姿は変わってしまったがの。じゃが、のんきに私と話をしておる時間はないぞ、古竜リーガライン。おまえは我が主ナナヤを甘く見過ぎじゃ』
『なん……』
気づく。ようやく。
空。迫る何か。遙か彼方、暗黒と真空の空より飛来する、隕石。
否。ナナヤの心臓に寄生する【魔王の魔力】が引き寄せる、災禍。
如何に優れた魔術師であろうとも、如何なる叡智を得た賢者であろうとも、その存在すら知らぬ魔王の法。なぜならばそれは、知った瞬間には確実に命を消し飛ばすものであるから。
『冗談ではない……』
呟く。絶望の中。
あるいは、【魔王の魔力】を一度でも得たものであれば、もう少し早く気がつけたかもしれない。かつての魔王ヴァルフィナ、すなわち今は召喚獣に身を堕とした青狼マオのように。
だが、少々早く気づいたとて、【それ】に対して何ができようものか。
ナナヤが微かに呟く。
「――メテオストライク」
魔族でもなく、人間でもなく、魔王と呼ばれる唯一無二の存在のみが扱うことのできる極大魔法の名称を。【魔王の魔力】が引き寄せる、世界を滅ぼす災いの名を。
『なんだとぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーッ!?』
大気との摩擦で炎をまとい、巨大な隕石が古竜リーガラインへと向かって高速で近づく。古竜の飛翔速度はおろか、疾風すらも追い抜き、虚空すらも貫いて。
リーガラインがその翼でどれほど位置を変えようとも、ナナヤの手で操作される隕石には関係がない。目的のものを貫くまで、降り注ぐ凶器が止まることなどない。
リーガラインが、確実に迫り来る死の恐怖に脅えたように叫ぶ。
『き、き、貴様人間ッ! 正気かッ!? この街ごと――いや、王都はもちろん、この大陸のあらゆる生命が死滅するぞッ!!』
「そうだな~。思ったより大きなものが釣れてしまった。……どうしよう?」
のんびりした声。リーガラインの背中から。
いつの間にか。その背の主ですら気づかぬ間に、ナナヤは竜の背にのっていた。苦い表情で頭を掻いて、炎をまといながら宇宙より飛来した隕石に視線を向けて。
『な――っ!?』
「たしかにまずいな。このままじゃ明日から氷河期だ。糧を得るにも苦労する。――なあ、リーガライン」
『くっ、き、気安く我の名を――』
「キミのブレスであれを破壊できないか?」
痩せこけた細い肩をすくめて。
「これじゃまるでおれが世界を滅亡に導く魔王みたいだ」
『さっきから貴様、他人の話も少しは聞けい! できるわけがなかろうッ!! この街よりも巨大な隕石なのだぞ!? いかな古竜のブレスとはいえ――』
「やっぱり竜族っていっても、案外大したことないな」
はあ、と物憂げなため息一つ。リーガラインを挑発するように。
そうして、外連味に満ちた声で呟く。
「キミはヴァルフィナの足もとにも及ばない。次に彼女を侮辱する言葉を吐いたら、おれはキミを殺す」
『く……っ』
先ほどリーガラインが吐いた言葉のことだ。
――人間風情が、【魔王の魔力】を得た魔族のあいつを殺したのだ。どうせ卑怯な手を使ったに決まっている。毒でも盛ったか? それとも言葉巧みに籠絡したか?
「ヴァルフィナには毒など通用しない。そんな弱い魔王じゃなかった。それに言葉だろうが肉体だろうが、彼女は快楽に溺れて籠絡されるような女でもない」
地上の青狼が複雑な感情をごまかすように、『むう』と小さく唸る。
「ヴァルフィナは正々堂々おれと正面から戦って、そして敗れた。彼女は清流だ。泥水なんかじゃない」
そんなことはつゆ知らず、ナナヤは目を剥いて冷酷な声で続けた。
「なあ、リーガライン。――あまりおれの友だちをバカにするなよ」
『ぐ、く……く……っ』
隕石が雲を突き破って迫り来る。
「まあ、面倒だけど自分で招いた隕石だ。今回はおれが壊す。続きはその後だ。地上で待ってろ、羽根蜥蜴」
そして彼は跳躍する。竜の背を蹴って。
『ぬああぁぁっ!?』
蹴られた反動で大空から噴水広場にまで一気に叩きつけられた竜には目もくれず、翼なき人の身で遙か上空へと舞い上がり。
エルディノーラの視界にあったのは、そこまでだ。
次の瞬間、空が輝いたと思った直後に大きな爆発音がした。太陽が割れたかのような錯覚に、見上げる瞳が眩む。
「~~っ!?」
降り注ぐ轟音と衝撃波に、エルディノーラは思わず身をすくめた。
橙の尾を引きながら迫り来ていた隕石が、小さな欠片となってシンドウの街を避けるように周囲へと降り注ぐ。
それはとても幻想的で美しい、まるで世界の終わりのような光景だった。
エルディノーラが再びナナヤを空に確認したときには、彼は発熱して赤く輝く大きな隕石を両手で頭上に抱えたまま落下してきて、噴水広場から唖然呆然で上空を見上げていた竜の前に着地していた。
ずん、と重い音が響き渡り、噴水広場がさらに陥没する。
「さて、待たせたな。続きをしようか、リーガライン」
青年はにんまり笑う。残虐に。
古竜リーガラインが初めて脅えた声を出した。
『ひ……ひぃ……な、何……を……っ?』
「何をも何も。喧嘩だろ」
青狼マオは笑いを堪えている。
エルディノーラが息を呑んで視線を逸らした瞬間。
『や、やめてくれぇぇぇーーーーっ!!』
ナナヤは両手で頭の上に抱えていた竜の頭部ほどの大きさの隕石を、リーガラインの頭部に振り下ろしていた。
「よっこらせ」
『――おごンッ!?』
ゴチン、と間の抜けた音を響かせて。
古竜の鱗は粉々になって砕け、頭部に人の身よりも遙かに大きなコブを作ったリーガラインが、地響きを立てながらその場に巨体を倒して気絶した。鋭い竜の牙の隙間から、炎ではなく泡をぶくぶくと噴いて。
エルディノーラがその場にぺたりと座り込み、腰砕けで呆然と呟く。
「す……ごい……。……すごいわ……ナナヤ様……」
『くくっ、惚れるなよ、小娘。あれは私の主じゃ』
しかしエルディノーラは思う。
最初からそこらにあった石でゴチンするのでは、だめだったのかしら?
凄まじい効率の悪さ。




