十一話目
しっかり食ったか?という問いかけにうなずく。それじゃさっさと行くぞ、と立ち上がった魔女の後ろで、サムが残った食料を片付けてくれている。それを手伝っていると、伸びをした魔女が、あ、と呟く。
「サム、杖の場所知ってるか?持っていったほうがいいだろ」
「ああ、そうですね。クローゼットの中です」
その言葉に、魔女は遠慮も躊躇もなく棚を開いた。ぼくのものである、というのを差し引いても、よくあの繊細な作りの扉をあそこまで容赦なく開けられるなと、清々しい。サムが抗議の声をあげても、もちろん気にしない。
「あったあった。ほら」
ぽいと投げられた棒を受け止める。無骨な杖だった。つくり途中なのではないかと思うほどに、削りあとが生々しく残っている。でこぼこの多いその表面を指先で撫でると、まだ生きている木のように呼吸が感じられた。不思議な重みも、枯れ木ではない、まだ伐りたての水分を含んだ木を思わせる。先端に緑の石がはめこまれている以外に、装飾は一切ない。その石も宝石などの類ではなく、河原で見つけた綺麗な石、くらいに見える。
「王の杖だ」
魔女はそういうけれど、とてもそんなすごいものには思えない。でも、親しみは感じる。右へ、左へ。両手の間で受け渡してみる。
あ、わかった。
くるくるっとまわして右手に収めた。緑の石に軽く左手を当てると、鈍く光った。わかる。この重み。なるほど確かに、これは王の、ぼくの杖だ。ぎゅっと杖をにぎる。ごつごつとしているのに、手に馴染む。
名は、テトン。
初めて渡されたときにぼくが名付けた。タフェの王に冠はない。剣も持たない。ただ、杖がある。民を守り、国を保ち、未来を指し示す、そのための杖だ。
『そういうと重く感じるかもしれない。だが、杖は歩みを助けるものでもある。これは王の杖であると同時に、あなたが歩んでいくための、あなたのための杖でもあるのです』
そうだ、誰かがそうぼくに教えてくれた。ああ、誰だっけ。それはまだ思い出せないけれど。これを託されたときの重みと不思議な安堵ならば、思い出せた。それはいまもまた、ぼくをひどく安心させた。ぼくの中には、きちんと、ある。そう教えてくれていたから。
「お、もしかして、思い出したか?」
うなずくと、サムの顔が明るくなる。やっぱり、体に覚えのあるものは強いっていっただろ、と魔女がふんぞり返る。
行こう。
テトンを持つ手に力を入れてもう一度そう声をあげれば、サムが嬉しげに、はいと答えを返してくれた。
魔女が箒の柄でひとつ小突くと、鎧が音を立てて立ち上がる。なめらかな動きだ。念の為、と魔女が鎧とともに先に廊下へ出た。問題はなかったようで、すぐに手招きをされる。
大きな扉をくぐると、どこからか森のような匂いがした。窓はないけれど、空気が澄んでいるから、近くに外に開いている場所があるのかもしれない。複雑な模様のじゅうたんが敷かれている廊下の天井は高く、扉の正面には大きなペガサスが群れで谷間を飛んでいる絵がかかっている。
「出て来たね」
優しそうな、笑いを含んだ声。慌てて絵から目を話して見やった廊下の向こう。突き当りでふたてに分かれるその角から、ゆっくりと「ぼく」が姿を表す。親しげに片手をあげる。
「やあ」
さっき鏡で見た姿、さっきクローゼットで見たような服、自分のとは違うようにも思える声。
本当にあっさりとそこにいるものだから、答えも思い浮かばぬまま、ただただまじまじと見てしまう。余裕のある様子で笑う「ぼく」に比べて、きっとぼくの方は、あっけに取られた間抜けな顔をしているに違いない。
「大人しくしているようなら、放っておいてあげようかと思っててんだけど。でもやはり、このほうがいいかな。王は、ひとり。その方がすっきりするだろう、お互いに」
後ろで手を組んで、少し首を傾げて、また笑う。それは、「ぼく」なのだけれども、どこかがズレて、ブレている。
ぼくはぼくを知らないくせに、そんなことを思った。