5節 水の都
列車の扉から3人は出る。
「着いたーっ」
イノは背をぐぐっと伸ばし、声を上げる。
広がる景色はとてもきれいだった。歴史観ある街並み、通路はあるが水路中心であり、ゴンドラが通っている。さすがは運河の街だとリードは感心した。
建物の石壁には蔦が張っており、緑も盛んであるようだ。
駅前でもあるのか、人も盛んで賑やかな声も聞こえてくる。
「ここがサラボールかぁ」「サドアーネな」
イノの言葉をアウォードが訂正する。
「綺麗だなぁ」
リードも水の都の景色に感嘆の声を漏らす。
「じゃ、俺は行く場所と仕事があるからよ。おまえらはどうするんだ」
「え、ええと……」「ぶらぶらしてますよ~」
二人の反応にアウォードはため息交じりに苦笑する。
「目的もないんじゃあどうしようもねぇな。じゃあどっか名所でも行って来いよ。『海岸食の大石柱』や『サーティス大聖堂』みてぇな有名どころは結構あるし、この街の料理も上手いとこはたくさんある。『シャンドル・グース』はおすすめだ。ちと高いが、がっつり食えるぞ」
「お、それはいいですね」
イノは唾を飲んだ。
「あそこから見える商店街にある赤レンガ店と民洋服を着た女性の銅像が目印だから」
「あ、ありがとうございます」
リードはぺこりと頭を下げる。
「おうよ。じゃ、また会えるといいな」
そう言い、アウォードは商店街とは別の方向へと歩いていった。離れても、赤い髪と背に担いだ錆びた大剣が目立っていた。
「ついでに案内してくればよかったのに」
「仕方ないよ、アウォードさんも忙しいんじゃないのかな」
「そっか。それもそうですね」
イノはすたすたと先を行く。リードは慌ててイノについていった。
*
幾つかの通路とつながっている広場にある時計台は3時を迎えていたので、アウォードに奨められた料理店は夜行くという話になった。
しかし、イノはお腹が空いていたので、ふたりは小さな屋台でソフトクリームを買う。
「リードって抹茶味好きなんですね」
「畑育ちだから」
そうなのか、とイノはバニラ味のソフトクリームを舐める。リードは食べるのか早いのか、半分以上食べきっていた。
「そういえば、ここって水路が道路替わりだから、網目状にこの街中に水路があるんだよね。期間的にレースが開催されるらしいよ」
「そうなんですか」
イノは話を聞きながらペロペロとソフトクリームを堪能しながら古い街並みやゴンドラが流れる青緑色の水路を眺める。水路沿いの歩道は少し狭いが、人通りは少ないのでふたりで通るには少しだけ広く感じる。
ふと曲がり角に目を向ける。階段が奥に何段かあり、緑が生い茂る、奥深い坂道の狭い通路だった。
「ん?」
その通路の日差しに誰かがいた。イノと同じように髪が白く、しかし銀髪に近い青年がこちらを見つめている。
その青年は無表情のまま奥へと走っていった。
「うん、なんか優勝した人には……イノ?」
リードが気付いたときには、イノは曲がり角の先へと走っていた。
「ちょっ、おい、どこいくんだよいきなり!」
リードはアイスのコーンの先を食べ、急いでイノの跡を追う。イノの右頬が少し膨れているのが後ろから見ても視認できたので一気にアイスを平らげたのだろう。
イノはひたすらと銀髪の青年を追う。入り組んだ道の中、見失わないように跡を追う。
十字路に出る。煉瓦製の古い壁の高い建物や石畳の通路、民家の敷地から顔を出している木や草花。所々から暖かい日差しが差し込む。
「まるで迷路ですね。あ、いた」
イノはこちらを見ている青年を見つけ、跡を追う。
「イノ待てって! 何があったんだよ!」
リードもイノとはぐれぬよう、必死に走っている。歴史観ある街並みを堪能する暇も無い。曲がり角が多いので、思い切り走れば街角に激突しそうだ。
「どこまでいくんだろう」
水路がある街並みとは異なり、ここは路地裏のように、ひっそりとした、しかし神秘的な雰囲気を感じさせる入り組んだ街並だった。人は誰一人いなかった。
「随分雰囲気が変わったなぁ」
後ろからリードがイノを呼ぶ声が聞こえてきたが、気にすることなくイノは青年を追う。
狭い路地裏から庭園にあるような新緑の植物がつくった緑のトンネルへと辿り着く。木洩れ日を浴びながら走り続ける。
「お、出口だ」
トンネルを抜けると、庭園のような場所へと出る。同じつくりの古い石壁の民家が軒を連ねていることにかわりはなかったが、先程まで歩いていた街並みよりは広々としており、賑やかさがないというよりはのどかに、穏やかな雰囲気を漂わせる。坂道なので山寄りにある街のようだ。遠くだがここから青い海が水平線まで見える。吹き抜ける風が気持ちいい。
「さっきより空気がうまいなぁ。どこだろうここ」
だが、銀髪の青年を見失い、さてどうしようかと思ったところで後ろからリードが走ってきた。
「はぁっ、はぁっ、イノ……なんで、ぜぇ……ぜぇ……いきなり……」
リードは辺りを見渡す。先程よりも緑が多く、涼しい風が髪を靡かせる。
「あれ、なんでそんなに疲れてるんですか?」
「突然イノが走り出したから必死でついてきたんだよ……っ」
「どこでしょう、ここ」
「ちょ、無視すんなよ」
「銀髪の男、いなくなっちゃいました」
「銀髪の? いたっけそんな人」
しかし、辺りを見回しても銀髪の男どころか人一人確認できない。しかし、誰もいない雰囲気はなかった。
「そこらへんの家に帰ったのかも」
「ていうかなんでついていったの?」
「んー、なんかついてきてほしそうだったから」
「なんだよそれ」
「まぁ困ったら人に訊きますか」
「え、それはちょっと」
といいかけたところでイノは街の奥の先を見るかのようにじっと見つめていた。
「……どうしたの?」
「なんか聞こえます」
「え?」
リードは耳を澄ます。すると微かに綺麗な金属のような音が聞こえてくる。
「これって、オルゴール?」
「いってみましょう」
イノはすたすたと音の流れる方へと歩む。リードもついていく。
徐々に音が鮮明に聞こえてくる。聞けば聞くほど、綺麗な音だ。
「この家から聞こえてくる」
そこの民家の玄関前には広めの庭があり、幾つもの草木や花が植えられていた。瑞々しく色鮮やかな緑が暖かく感じる。大事に育てられているようだ。
「あ、おいしそうな木の実が生ってる」
イノはオルゴールの音よりも食物に夢中だった。
「誰かいるみたいだね」
リードの言う通り、庭にはブリムの広い麦わら帽子を被った一人の女性が、木に生っているイチゴに似た赤い実を摘んでいた。白いワンピースに白い手足がすらっと出ており、流水のように美しい藍色に近い黒い長髪、そして煌びやかな紫色の瞳。
「綺麗な人だなぁ……」
リードはその少女にすっかり見惚れていた。
オルゴールの音が鳴り終わる。しん……と一瞬だけの静寂が訪れ、同時に風が吹き上がる。
少女はイノ達の存在に気が付いたのか、その紫色の瞳を向ける。
すると、ぱっちりとした瞳がさらに大きく開き、茫然としたような、驚いているかのような表情になった。まるで、目の前で信じられないことが起きたかのように。
「……っ、フィル!」
人の名前なのか、少女はそう叫び、麦わら帽子が風で飛んでも気にすることなく、庭を出て、真剣そうな、しかし嬉しそうな表情でこちらへと駆け寄ってきた。
「え? 僕?」
イノはきょとんとした表情で走る少女を見る。
「フィル! ……ぁ」
目の前まで駆け付けた藍色の長髪の少女は何かに気が付いたのか、ぴたりと止まり、我に返ったかのような表情になる。
「どうかしましたか?」
イノが聞く。
「あ……え、と……すみません、私の勘違い、でした……」
透き通るような優しげな声で少女は言った。
「いえ、大丈夫ですけど」
しかし少女はじっとイノを見つめ続ける。
「……?」
「……あ、す、すみません、よく似ていたので……」
少女はぱっと眼を逸らし、恥ずかしそうに顔を赤らめる。
「?」
「……なんかいいなぁ」
リードは誰にも聞こえないような声で呟いた。
「あ、お詫びにと言ってはなんですが、私の家に上がりませんか? 今からティータイムをするつもりでしたので」
「是非」
イノは即答して言った。お腹を少し鳴らしながら。