第九十六話 私からは逃げられないの……、理解してくれた?
俺を監禁して以来、ずっと離れないで、俺に密着していた優香が、買い出しに出かけていった。そこに、偶然ながらも、虹塚先輩が訪ねてきてくれた。もしかしなくても、脱出のチャンス到来だ。
先輩をパシリに使うようで心苦しいが、この状況下では、そんなことも言っていられない。心を鬼にして、虹塚先輩に、俺を縛る鎖の鍵の捜索を頼んだ。優香の話が確かなら、この部屋のどこかに隠されている筈なのだ。
鍵さえ見つかれば、監禁生活は終わる……。俺は祈るような気持ちで、虹塚先輩に希望の全てを託したが、それをあざ笑うように、目の前で食器や家具が悲惨な末路を迎えていくことになる。まさか、先輩がここまで救いようのないうっかりさんだったなんて……。
買い替えにかかる費用を考えると涙が目から溢れ出そうになるが、体が自由になるまでの辛抱だと自分に言い聞かせて、歯を食いしばって耐えていたが、無情にも優香が戻ってきてしまった。
結局、損害を被っただけかよと内心で喚き散らしながらも、今は虹塚先輩の安全の確保が最優先だと気持ちを切り替えた。このまま優香と虹塚先輩が鉢合わせになれば、優香はきっと先輩に危害を加えようとするだろう。目の前で、そんな凄惨な光景を展開されるのは勘弁だ。
俺は虹塚先輩にすぐに隠れるように促した。誠に遺憾ながら、鍵探しは中止だ。せめてこの時点で鍵が見つかっていれば、急いで外してもらって、俺が直接優香と対峙することが出来たが、そこは忘れよう。
「えっ? でも、隠れると言われても、どこに隠れれば……。ここ、隠れられるような場所がほとんどないもの……」
虹塚先輩はというと、こっちをからかう口調ではなく、本当に隠れ場所が見つからないようで、焦りだしている。
「物がないって、言いたいのか!? ああ、そうだよ。俺は貧乏だから、虹塚先輩ほど、部屋に物が溢れかえってねえよ、畜生!」
悪意がないのは分かっているが、心をえぐられた! しかも、そのただでさえ少ない物を縦横無尽に破壊しておいて、サラッと言ってくれた! 虹塚先輩って、本当にひどい人だ!!
「ベッドの下に隠れればいいでしょ! そこなら、大人一人入るスペースは、十分にあります」
「ベッドの下……」
不満なのか、虹塚先輩は顔をしかめた。急がないと、あなたの身に危険が及ぶというのに、何を気にしているのだろうか。
「だって……。万が一、爽太君秘蔵のHな本でも見つけてしまったら、あなたの意外な趣味を知ってしまうことになるかもしれないもの……」
「そこには何もありませんから!」
どんな気遣いだよ! 今時、ベッドの下なんて、子供相手にもばれるような場所に自分の吐け口を隠す奴なんて、いないよ!
それまで赤面してもじもじしていた虹塚先輩も、俺の圧力に圧されたのか、ベッドの下へ隠れようと身をかがめた。
「! 爽太君!!」
「どうしました!?」
ハッとした顔で、虹塚先輩が俺を凝視する。何かを発見したのか? まさか……、鎖の鍵か? それだったら、大逆転のファインプレーだ。
「たしか殺人鬼がベッドの下に潜伏していたっていう有名な都市伝説があったわよね! 動画投稿サイトでも良く見かけるやつ! 今の私って、その話そっくりの状況に置かれていないかしら!」
いきなりのボケに全身から力が抜けていく。一瞬でも、鎖の鍵があるかもしれないと期待してしまった自分に、猛烈な嫌気がさしてしまう。
「こんな時までボケは結構ですから! 大体、あなたは殺人鬼じゃないでしょ!?」
「爽太君、怖いわ……」
先輩だということも一瞬忘れて、声を荒げてしまった。だが、俺に言わせれば、あなたの神経の方が怖い。
虹塚先輩の体が、ベッドの下に隠れたのと、本当に同じタイミングで、優香が部屋へと戻ってきた。もしかしたら、足がベッドに下に入るところとかを見られていないか不安に駆られてしまったが、優香は鼻歌交じりに窓ガラスから、部屋に入ってきた。虹塚先輩の姿を見ていないようだ。かなりもたついたが、奇跡的に間に合ったことにホッと胸を撫で下ろした。
「ただ今!」
「お帰り……」
返事をした瞬間、やってしまったと思ったね。だって、俺は猿轡で声が出せない状態の筈なんだから、返事が出来る筈がないのだ。……いや、どうせ遅かれ早かれ猿轡がないことはばれるんだから、無駄な焦りだったかな。
「へえ……。自力で猿轡を外したんだ。やるね!」
「! そうだろ」
優香のやつ、俺が自分で外したものと勘違いしてやがる。そう簡単に外せないように、自分できつく縛っておいて、よく言うよ。だが、虹塚先輩の存在を疑われていないのは、ラッキーだ。
「あら? 私がいない間に、ストレッチでもしたの? 汗がすごいわよ」
「ははは……。体を動かさないとなまるからな……」
嘘をついて誤魔化そうとしたが、無理に決まっていた。部屋の中が、尋常じゃないくらいに荒れていたからだ。ここまでの光景を見れば、どんな馬鹿でも、俺だけでは不可能なことは勘づく。実際、優香の目にも疑いの眼差しが見え隠れしていた。
「本当に……。激しい運動をしたのね……」
しばらく虹塚先輩が鍵を探し回った爪痕を眺めていたが、ゆっくりと俺の方を見ると、にっこりほほ笑んだ。その顔には怒気はなかったが、俺の胸の内を見透かしたかのような余裕が漲っていた。
「でも、良い汗をかくことは出来なかったみたいね。ついでに言うと、充足感も得られなかったみたいね」
「……ふん!」
鎖の鍵が見つからなかったことを揶揄しているのだ。自分がいなくなったら、鍵を探し始めることは予想済みか。だが、ここまで激しくやるとは思っていなかったみたいで、見直したと褒められた。当然ながら、嬉しさは皆無だ。
優香に悟られないように、ベッドの下の虹塚先輩を見ると、にっこりとほほ笑んできてくれた。相変わらず緊張感の欠片もない。うがった見方をするなら、この状況を楽しんでいるようにすら感じられる。頼むから、うっかり声とか出さないでくれよ。マジで血を見ることになるんだから……。
さっき虹塚先輩が来てくれた時には、これで脱出出来ると内心でガッツポーズまで作ったのに、見事なまでに状況が悪化したじゃないか。
しかも、当の虹塚先輩は危機感ゼロだし、これじゃ何かの拍子に見つかってしまうのは時間の問題だ。これは最悪の展開も、覚悟しておかないとな……。
そんな重い覚悟を自信に強いている俺を、優香は勝ち誇ったように見つめていた。自分に逆らおうとしても無駄だと言われているような気がした。