第九十三話 ジャガイモと愛情は、じっくりと煮込んで欲しい
情けない話だが、自分の部屋に監禁されてしまった。実行犯は、優香。
彼女の隙を見て、脱出しようにも、鎖でかなりギチギチに縛られていて、寝返りくらいしかまともに打てない。
「こういう大胆な行動に出た理由を聞いてもいいかな?」
相手を刺激しないように、威圧的な口調にならないように気を配って、質問する。
「理由? そんなの一つしかないよ。私が爽太君を独占するため♪」
当たり前のことの様に言われてしまった。あまりにも悪びれる様子が見られないので、俺は圧倒されてしまい、何も言い返せなくなってしまう。
「これからは、ここで私と一緒に暮らそう! ね❤」
怖いことを言い切ってくれたな。金とか、法律面とか、そういうことを考慮しての発言とは思えん。勢いに任せて、行動したという、後先考えのない無鉄砲さが伝わってきたのだ。こういう事態に陥っているというのに、やけに落ち着いている自分自身も怖いが。
「心配しなくても、身の回りの世話は、私がみ~んなやってあげるから、爽太君はミノムシみたいに寝転がっているだけでいいんだよ。人生、勝ち組だね」
ケラケラと愉快そうに、乾いた声で笑っている。一応、友好的に接してくれてはいるが、下手な反論でもしようものなら、どう反応してくるか予想出来ない危うさがあった。
今は、下手なことはせずに、動向を見守ることにした。そうしていれば、脱出のチャンスは訪れる筈だ。焦ることはない。ここは人里離れた山小屋じゃない。都会の真ん中の、慣れ親しんだ自宅アパートなのだ。自力での脱出に行き詰っても、あまり時間がかかるようなら、俺の友人たちが心配して駆けつけてくれる筈だ!
冷や汗を流しながら、息を潜める俺とは別に、優香は、二人きりの世界を作ったことで感無量のようだ。いつの間にか、持参したエプロンを身に付け、料理を作る準備を始めていた。
「さて。挨拶も済んだことだし、これからカレーを作ってあげる。昨日、今度作ってあげるって、約束したのを覚えているよね? 食材も事前に買い揃えてあるから、すぐに作れるよ。あっ! でも、カレーは一晩置いた方が美味しいって言うわね。爽太君、もう十時間ばかり待てる?」
あと十時間……。こんな時に言うことじゃないが、実は結構空腹だったりする。昨日の夜から、何も胃に入れていないのだ。呑気なのは否定しないが、腹が減ってしまうのも無理はない。
「冷蔵庫の横に置いてある缶詰めとミネラルウォーターも、お前が用意したんだよな?」
「うん! 食料が尽きても、大丈夫なように用意したの!」
長期戦の準備が、万全じゃないか。とりあえず、カレーは一晩待つから、缶詰めを所望すると、あっさりと通った。
「はい、ア~ン❤」
缶詰めを開けると、箸で一口サイズにカットしてくれて、何がそんなに楽しいのか、鎖で縛られて身動きが取れない状態の俺に食べさせてくれた。昨日、是非やりたいと呟いていたので、望みが叶って、彼女は嬉しそうだ。俺は、空腹が収まってくれて、ひとまず息を吐いた。
変なものが混じっていたら、どうしようかと危惧していたが、骨が柔らかくなるまで、丁寧に煮込んでいた秋刀魚だった。缶詰めは普通だ。ということは、ミネラルウォーターも問題なしと見て良さそうだ。
とりあえず俺が取るべき行動は何かね。周りに対して、大声を出して、助けを求めてみるか? どんな風にだ? 「女子相手に監禁されたから、助けてください!」か。女性を蔑視している訳ではないが、俺も歳相応の男子だ。救出後の、周りの嘲笑に満ちた目を想像すると、さすがにそれは遠慮したい。
じゃあ、お手上げかと思っていると、昨夜、優香が帰り際に見せた取り乱した顔を思い出した。そうだ……! このまま時間が経過すれば、またヤンデレ状態が引っ込んで、いつもの優香が戻ってくる。その時にでも、鎖を解いてもらえばいいのだ。あとは、またヤンデレになる前に距離をとれば、どうにかなる!
そういうことなら、今は大人しくしていることにしよう。体の自由こそ効かないが、黙っていれば、タダでカレーを食べることも出来る。食費が浮くと思うと、妙に心が浮き浮きとしてきてしまう。
よくよく考えてみると、こんな状況で、異常に落ち着き払っている自分自身が、一番怖いのではないかと思ってしまう。客観的に考えてみても、あながち的外れでもなさそうだ。
気が付くと、優香は俺の顔をじっと見つめている。愛おしそうに見ているというよりは、俺が何か良からぬことを企んでいないか確認しているようだった。
「私にとっては嬉しいことなんだけど、爽太君、冷静だね」
「慣れているからな」
幸か不幸か、異常事態に耐性が出来てしまっているのだろう。優香は、自身のバックから、おもむろに携帯電話を取り出した。
「これ、何だと思う?」
聞かれるまでもない。俺が愛用している携帯電話だ。やはり優香が盗んでいたのか。
「それ、返してくれるかな?」
「駄目! 隙を見て、外に連絡を取る気でしょう?」
ばれたか! ここで返してくれるくらいなら、最初から盗んだりもしないだろうし、無意味な要求だったな。
「携帯電話が盗まれているのを知っても、まだ冷静なんだ。爽太君って、案外肝が据わっているのかもしれないね」
そうでもないさ。少なくとも、朝起きて、部屋から出られなかった時は、動揺していた。それから時間が経ってきたので、徐々に冷静でいられるようになってきただけのことだ。
「そんな爽太君の代わりにね。みんなにメールを送っておいたの」
「はい?」
これには、ちょっとドキッとしてしまったな。冗談であってほしかったが、マジみたいだ。送信したメールには、『旅に出ます。探さないでください』とあった。
「爽太君の姿が見えないことに、不審感を抱いた誰かが、この部屋を訪ねてこないように、このメールを送ったの」
得意げに語る優香に対して、この文章だと、絶対に何かがあったと思い、むしろ大挙して訪れると、ため息交じりに彼女の愚を諭した。だが、返信されてきたメールを目の当たりにして、鈍器で頭を殴られたようなレベルの頭痛に見舞われてしまった。
『お土産は美味しいものを期待していますぜ!』
『地酒なんかポイント高いですよ!』
『旅先の絶景とか、動画で送ってよね!』
『あらあら……。青春を楽しんでいるわねえ』
「……」
言葉が出なかった。薄情という叫びすら出てこない。他の返信メールも、概ねこんな感じだ。どうして、俺の周りには、ここまで馬鹿が集結しているのだろうか。これは、付き合う人間を、一度考え直した方が良いのかもしれない。
『くたばれ』
「……は!?」
止めに見せられたのは、木下からの返信だ。やつは、優香の嘘メールに気付いてからかっているのか? それとも、俺が可愛い女子と二人旅に行ったとでも邪推しているのか? どっちにせよ、くたばれって……。
こんな連中の助けを期待していたのかと思うと、猛烈にやるせない気持ちになってしまい、フローリングの床に顔面を連打して、行き場のない怒りをぶつけた。あまり強く叩き過ぎたせいか鼻血まで出てしまい、優香に優しく拭かれる始末だ。もう惨めすぎて、泣きたい。
「みんな、こんな調子なんだけど、アリスさんとアカリさんからは、何の応答もないのよね……」
せめてアリスとアカリだけでも、メールの不審さに気付いてくれていることを願った。愛想をつかして、返事がないという展開ではないことも、同じくらいに強く念じた。
「さて。私はそろそろカレーを作り始めるかな! これから長時間の調理に挑むとなると、私も腕が鳴るわ!」
この台詞だけを聞くと、自分に尽くしてくれる可愛い女子なんだけどなあ……。
本当にカレーを作り始めた優香を眺めながら、鎖でがんじ搦めにされている俺は、テレビを付けることも出来ずに、横になったままぼんやりしていた。
「そういえば、爽太君は、苦手な食材はあるの?」
「ないね。好き嫌いをするような歳でもないし」
「そうなんだ……。つまんないの」
俺の嫌いな食材を大量に投入するつもりだったんだろうか。もし、そうなら、優香もえぐいことを考えるな。
「あ! 野菜は柔らかくなるまで煮込んでくれよ。特にジャガイモ。あれが固いと、食えたものじゃないからな」
「そうね。野菜が生焼けだと、イラついて仕方がないものね……」
過去にあった嫌なことでも思い出しているのか、優香の声が不機嫌になる。俺は、料理のリクエストがすんなり通ったことを意外に感じていた。この調子で、校則も解いてくれればと欲張りそうになるが、そっちはテコでも通りそうにないので、朝鮮そのものを断念した。
胸のつかえが取れたとばかりに、鼻歌を歌いながら、料理に戻った優香だったが、俺は別の疑問が生じてしまった。この質問を、同年代の女子にぶつけるのは勇気が必要だが、優香の我がままのせいで迷惑を被っているので、自業自得だろう。
「なあ、優香……」
「なあに?」
野菜の皮をむく作業に没頭しながら、生返事だけが返ってきた。
「素朴な疑問なんだが……」
トイレに行きたい場合はどうすればいいかを聞くと、「嫌だわ……」と言って、赤面した顔を背けられてしまった。どうやら、俺にやらせるつもりはないらしい。尊厳の問題もあるので、極限まで我慢することを決意した。
幸い、今は催していないので、まだまだ余裕はある。限界に達するまでに、事態が解決を狙う時間的余裕もありそうだ。
生焼けの野菜もいけないですが、人参の芯が固い場合も、
カレーは台無しになると思っています。
買った人参が、みんな固い芯入りだと、か~な~り~イラッときますね。