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第九十話 私の愛は、冷めても美味しいよ

 優香が、俺の家まで、差し入れを持ってやってきてくれた。それだけなら、大変ありがたい話なのだが、弟の拓真から、彼女にヤンデレの気質があると聞いていた俺は、失礼なことだが警戒してしまう。実を言うと、俺とアリスに、度々いき過ぎたちょっかいをかけてきている、正体不明の困った許嫁「X」ではないかとも、睨んでいる。


 そんな相手が、招待した訳でもないのに、いきなり訪問してきたのだ。女子相手に、何を怯えているんだ、情けないとか思わないでほしい。


 とはいえ、このまま玄関で立ち話という訳にもいかない。肉じゃがのたっぷり詰まった鍋を持たせておくのも気が引けたので、優香から受け取った。驚いたのは、その重さだ。それなりの重量なのは覚悟していたが、予想以上だった。これを自宅からここまで運んできたのか!?


「ここまではタクシーで来たのか?」


「? いいえ、歩いてきたわ」


 タクシーを使うほどお小遣いはもらっていないと笑われてしまった。高校生の懐事情など、そんなものだろう。


「この暑い中を歩いてくるのは、たいへんだったんじゃないか?」


「私、暑さには強いんですよ!」


 そう言って、微笑む優香の額には、汗が光っていた。多少の痩せ我慢をしているのは明らかだ。優香の家からは、結構な距離がある。鍋を持って歩いてきたというのなら、どんな軽装だろうと、汗をかかずにはいられないだろう。


 警戒を解いた訳ではないが、汗だくになっているのを見ていると、早くクーラーの冷風を浴びせてやりたいという思いに駆られてしまう。


「あ~! 浴室とトイレが別々になっているわ~」


「この部屋を選んでくれた叔父さんのこだわりなんだ。一緒のところは、カビが繁殖しやすいから、駄目だって言ってさ」


挿絵(By みてみん)


 玄関で靴を脱いだ優香を、早速リビングに案内しようとしたんだが、彼女はリビングよりも、浴室やトイレに注目し出した。かと思えば、リビングまで移動して、隅から隅まで値踏みするかの勢いで見始めた。


「爽太君の部屋って、机がないんだね」


「おじさんに勧められたんだけど、あまり必要性を感じなくてさ。勉強なんて、床に寝っ転がってやればいいしね」


 今の時代、パソコンがあれば、大抵のことは足りるし、机の用途が見当たらなかったのだ。


「テレビとベッド、簡単なテーブルと本棚しかないから、実際より広く感じるね」


「あの……、それくらいで勘弁してくれないか……」


 見られて困るようなものは、一目で分からないところに隠しているのだが、そうやってじろじろ見られると、妙に恥ずかしくなってしまう。


「ずいぶん物珍しそうに見ているな。そんなに面白いか? 自分で言うのも何だが、興味を引くような物なんてないぞ」


「観察よ。爽太君の部屋がどうなっているのかな~って」


 俺の部屋は観察するほどの物はないけどな。当の優香は、興味津々であちこちを、穴の開くほど見ている。


 そこに可愛さはない。何か邪なものを何となく感じてしまったが、深く考えないことにした。


 じろじろ部屋を物色していた優香が、窓のところで動きを止めた。


「その窓がどうかしたのか?」


「別に? 意味はないよ」


 その割には、じっと見つめているな。ハッキリと言わせてもらうが、百年間見続けても、何も発見出来やしないぞ。その窓が、何の変哲もないことは、住人の俺が保証する。


 しばらくそんなことをした後で、ようやく満足したのか、ご満悦という顔で、長い息を吐いた。


「あ、爽太君。肉じゃが、装ってあげる。ちょっと台所を借りるね」


「いや! いいよ。俺が自分でやるから」


 台所まで、同じ感じで物色されてはたまらないと、優香を強引に座らせて、食器を取りに走った。


「ちなみに、俺の家の場所はどうやって知ったんだ?」


 冷蔵庫でキンキンに冷やしていた麦茶を出すと、実はかなり喉が渇いていた優香は、コップ一杯分を一気飲みした。


「木下君に教えてもらったの。爽太君が家にいる時間まで教えてくれたわ!」


「そうか。木下か~。あははは!」


「うふふふ!」


 優香と仲良く微笑み合いながらも、内心では、木下への憎悪を募らせていた。あの野郎……、本当に余計なことをしてくれたなあ~。ちょうど狙っている女子から、声をかけられたので、舞い上がってしまったらしいな。しかも、俺がいる時間まで教えただと~? やけに優香が玄関先で粘ったのは、そういう訳か。この借りは、いつかしっかり返すと、密かに木下へのささやかな復讐を固めたのだった。


 あれこれ考える俺が、小皿に装った肉じゃがを食べようと、まずじゃがいもからつまむと、優香が自信満々に身を乗り出してきた。


「私の得意料理なの! 味は保証するから食べてみて!」


「そ、そうなんだ……」


 優香の勢いがすごかったのと、ちょっと油断して互いの唇が一瞬だけ触れてしまったことにドキドキして、つい声が上ずってしまった。


 勧められるままに、肉じゃがを口に入れて咀嚼する。……味は問題なかった。というか、むしろ美味かった。ただ、味わっている余裕はなかった。


 優香が、俺に気があるのは確かだ。問題は、どう穏便に帰ってもらうかだな。出来れば、自宅でのトラブルは避けたかった。


 そういえば、「X」と、俺からキスしたら、アリスと別れて、彼女を結婚するという約束をしていたっけ。万が一、優香がやつだったとしても、今のは向こうからキスしたことになるから無効だよな。


「美味しい?」


「ああ……」


「キャアアア!! 嬉しいわ! 爽太君の口に合うなんて!!」


 俺の口から、肯定の言葉が出てきたのが、よほど嬉しかったのか、飛び跳ねらんばかりの喜びようだった。


「カレーとどっちにしようか迷ったけど、最初は肉じゃがで攻めるのがセオリーかなって」


「カレーも作れるんだ」


「うん。どっちも得意料理なの」


 肉じゃがとカレーが得意な女子はモテる。この調子で、俺以外の男に、目がいってくれないかなと、失礼なことを考えてしまった。


「次は妹さんの分も作ってきてあげるね」


「妹?」


 妹ほど歳の離れた女子なら、二人ばかり最近部屋に入り浸るようになってしまったが、正式な妹は、俺にはいないぞ?


「嘘をついたって無駄よ。ここに来る時に、ドアから出ていったじゃない。歳の離れた妹さんね。見たところ、小学生かしら? 可愛い盛りで、お兄ちゃんとしては、心配なんじゃないの?」


 アリスのことか……。本人は小学生に間違われるのを、非常に気にしているので、黙っておこう。


「あんなに小さいのに、お兄ちゃんの部屋に尋ねてくるなんて、泣けるね……。チビのくせに……」


「……え?」


 いきなり低い声がしたので、驚いて優香を見ると、きょとんとした顔をして、俺を見つめていた。とても、あんな強い言葉を吐いた女子には見えない。


「どうか……、したの?」


「いや……。何でもない……」


 追及するのはためらわれたが、空耳でないことだけは、ハッキリしていた。今の口調……、さっきまでの優香とは別人のようだ。


 こっちの胸中を悟られまいと、肉じゃがを強引に口に詰め込んだ。優香は、それを見て、自分の料理を気に入ってもらえたと勘違いしたみたいだ。


「今度はカレーを作って来るから、楽しみにしていてね」


「い、いや……、いいよ。それだと、俺がもらってばかりになっちゃうから」


 手を叩いてはしゃぐ優香に、作り笑顔で断ったが、向こうは俺の言葉など聞いてなさそうな顔をしている。この分だと、また今日みたいに、家からカレーのたっぷり詰まった鍋を持って、やってくるのだろうな。居留守を使っても、ずっとチャイムを鳴らし続けそうで怖い。


 重い気持ちで空になった小皿を置くと、優香がお代わりを装うかと聞いてきたが、丁重に断った。正直、食欲が出なかった。


「残念だわ。今度は私がア~ンてしてあげようと思っていたのに……。そうだ! カレーの時にやってあげよう! あ、でも、カレーならご飯も必要よね。決めた! ご飯もここで炊いてあげるわ!」


「いや……、気を遣わなくて……」


 どんどん自分の世界に入っていく優香を止めようと声をかけた時、彼女の眼が真っ黒になっているのに気付いた。


 黒目の部分は、いつも真っ黒だろというツッコミは受け付けない。そんな訳はないのだが、黒目の部分が、光を吸い込むブラックホールのような本当に漆黒の闇になっていたのだ。まさか……、ヤンデレの優香が表面に出てきているのか?


 その後も、まるで恋人のように、妄想話に話を咲かせるようになり、ここを尋ねてきた時とはまるで別人だった。アリスという彼女がいる俺は、後で面倒事になると不味いので、相槌も満足に取れない状態で、話に耳を傾けることになってしまった。


「じゃあね。私の作った肉じゃが、冷めても美味しいから……」


 二時間ほど滞在した後、ようやく優香は帰ると言い出した。暴走気味の彼女の対応につかれてしまっていた俺は、不謹慎ながらも内心でホッとしてしまった。そんな俺の心境など知らない優香はニコリとほほ笑むと、玄関に座って、靴を履きだした。


 そういえば、肉じゃがの入っていた鍋。どうやって返そうか。これだけのために、優香の家をまた訪れたくはないし……。いっそ、優香を引き留めて、その間に、鍋の中身を全部タッパーに入れて、この場で返してしまおうか。ははは……、まだかなり残っているから、それは無理!


 見ると、優香が靴に足を入れている状態で固まっていた。


「……帰らないのか?」


 普通なら、「どうしたの?」と聞くところだろう。せっかく来てくれた女子に、こんなことは言いたくなかったが、つい本音が声に出てしまった。


「私……」


 振り返った優香の顔には、さっきまでの危険な色は見事に消えていて、代わりに目に涙を貯めていた。


「ここ、どこなの? それに、私は何をしていたの!?」


 人の家を、いきなり尋ねてきたかと思ったら、帰り際に妙なことを言いだす。何も知らない人間だったら、からかっているのかと怒り出すところだが、拓真から優香に関する情報を事前に聞いていた俺には、思い当たる節があった。


「優香。ひょっとして……」


 さっきまでの記憶がないのか? 拓真の言った通りだ。明らかに、ヤンデレ状態だった時の記憶が欠如している。拓真を家まで送り届けた時に、すれ違ったのと、寸分変わらない優香が、そこにいた。


暑くなると、アイスが食べたくなるんですが、

家に帰るまでに溶けちゃっている場合も多いんですよね。

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