第八十四話 夢の続きと、「ゆうちゃん」の正体
夢を見ていた。とはいっても、脳が作り上げた妄想の産物ではない。幼い頃の自分自身の記憶を追体験する内容だ。
夢の中で、小さい俺は、一軒家のドアを連打していた。
「ゆうちゃん!」
幼い俺が、ドアを連打しながら、一緒に遊ぶ女の子の名前を叫んでいる。状況から察するに、友達の家に遊びに来たところだろうか。遊ぶことで、頭がいっぱいなのが見て分かる。見ているこっちからすれば、うるさ過ぎて、家の人に怒られないか冷や冷やものだけどな。やがて開けられたドアから、女の子が顔を覗かせた。
「ゆうちゃん、遊ぼう!」
女の子の顔を見た俺は、ニッコリと笑って言った。でも、対照的に、女の子の機嫌は良くないらしく、しかめっ面をしている。あまりドアを連打したから、怒らせたのかと思っていたが、気分の悪くなっている理由は意外なものだった。そして、それが、現在の俺にも、かなりの影響を及ぼすことになる。
「何度も言っているでしょ。私を呼ぶ時は、ゆうちゃんじゃなくて、ちゃんと優香ちゃんって、名前で呼びなさい!」
「え~! ゆうちゃんの方が呼びやすいよ!」
幼い俺は、女の子の申し出を、頑強に突っぱねた。こうなると、女の子も意地になってしまい、喧嘩になってしまう。ガキみたいなことで喧嘩するなよと、昔の自分に呆れるが、一方で、心に引っかかっているものがあった。そうか、この子……。ゆうちゃんっていうのか。
結局、二人はそのまま口論を続け、俺は仲直りするところを見ることなく、夢から覚めることになった。
目覚めた俺は、天井を眺めながら、しばらく呆けていたが、やがて深いため息をついた。
「……何だ、今の夢」
また幼い頃の夢を見た。しかも、今回は、嫌に具体的な内容を提示してくれたじゃないか。
前回は「ゆうちゃん」という女の子と婚約ごっこをする場面だったが、今回は家に遊びに行くところか。そんなことはどうでもいい。俺が着目したいのは、「ゆうちゃん」が優香と名乗ったことだ。
俺の知り合いの中に、該当する人間は一人。雪城優香だ。
じゃあ、彼女が「X」と結論付けたいところだが、焦りは禁物だ。だが、「X」を断定したかもしれないので、マークは出来る。
夢の内容が、本当のことかどうかはまだ断言出来ないが、もし本当にあったことなら、かなりの進展だ。答えが表示された訳だからな。名前バレはありがたい……。
横になった姿勢のままで、俺はほくそ笑んでしまう。そして、まだ五時であることを確認すると、再び眠りに落ちたのだった。今度は夢を見なかった。
「彼女と別れた……」
翌日の学校で、木下からこんな告白を受けた。俺はというと、夢のことで頭がいっぱいだったので、聞き流しそうになりながらも、頑張って耳に入れた。一応、腐れ縁ということで慰めたが、別れたことよりも、こいつに新しい彼女が出来ていたことの方に驚いていた。ていうか、彼女が出来た時は報告しないくせに、破談になった時だけはしっかり話すのはどうなのかね?
「なあ、また新しい彼女を紹介してくれないかな」
「そんなに都合よくいる訳がないだろ。少しは恋を自重して、自分を磨いたらどうだ」
成る程! 木下が彼女と別れたことだけはしっかりと報告するのは、俺に新しい彼女候補を紹介してもらうという下心があるからだ。こいつの場合、かなり露骨にお願いしてくるので、正直鬱陶しい。
「そうかあ? そろそろアリス以外の女子と仲良くなってそうな気がしたんだがなあ。例えば中学生とか……」
「何で中学生の女子と知り合うんだよ。接点がないだろ」
突っ込みつつも、内心はかなりドキドキしていた。俺の脳裏に、柚子の顔が浮かんでいたことは、言うまでもあるまい。彼女のことは、一切話していないのに、勘だけで察知するとは、無駄にすごい能力を持っているな。
「そうかあ。いないのかあ」
俺の動揺を悟ることなく、木下は肩を落とした。自分に気がある女子には、類まれない観察力を誇るくせに、男となると、これだものな。まあ、柚子のことで、食ってかかられても応じる気はないので、木下はこれで良いんだけどね。
「それなら、どこかに女子が倒れていないかなあ」
女に飢えているとはいえ、何ともアホなことを呟いている。人間、末期の状態になってくると、馬鹿が加速するものなのかね。そんなことがある筈がないだろと毒づくのも面倒くさくなってしまうほどの発言だ。
しかし、俺か木下には、妙な能力が備わっているのか、廊下に倒れている女子が本当に現れてしまったのだった。
「いや……。俺、何もしていないから」
あまりにもタイミングが良かったので、思わず木下を見てしまったが、やつも負けていない。すかさず否定した。
「とにかく呼びかけてみるか。お前、何か話すことはあるか?」
「ねえよ。ある訳がない。さっき女子が倒れていないかと呟いたが、本当にあったらどうするかまでは考えていねえし」
そりゃそうだ。それに、木下が欲していたのは、目覚めてすぐ、あいつに抱きついてくる女子だろう。ただ倒れているだけの女子は、想定外に違いない。
倒れている女子に向かい直して、簡単な呼びかけを行ったが、返事はなし。意識もないのかよ。本格的に厄介になってきたな。
顔を覗き込んで確認すると、倒れていたのは、雪城優香ということが判明した。拓真を家まで送った時にも会っているので、見間違いということはない。
「雪城優香だ……」
木下も、倒れているのが誰なのかに気付いて、全身を震わせている。まさか感動しているのか?
俺はというと、ちょうど優香のことについて考えている時に、本人と遭遇したので、軽く衝撃を受けていた。
「お前、人工呼吸とか出来ないよな。仕方ないから、保健室に運ぶか」
人工呼吸という言葉に反応して、「で、出来る……」と小声で嘘を並べていたが、木下にそんなスキルがないことは、俺がよく知っている。なので、華麗に無視してやった。
「そ、それなら俺が運ぶ!」
二人がかりで優香を運ぶつもりだったが、木下は自分がやると言って聞かない。妙な迫力があり、俺が少々たじろいでしまったほどだ。当の本人は、俺がビビっていることなど知らずに、優香を抱き上げようと、迷いなく手を伸ばしていた。
「一人で大丈夫か? 俺も手伝うぞ」
「いや、俺だけで運ぶ。……そっちの方が、優香が目を覚ました時に、俺に向けられる視線が熱いものになるからな」
「……」
下心満載の無駄な男らしさを発揮しようとしている。さっきは圧倒されたが、邪な理由によるものと分かり、急に失敗するだろうなという確信が湧き上がってきた。
「しかも、お姫様抱っこかよ。普通におぶればいいじゃないか」
「黙れ! こっちの方が、女子にはウケがいいんだよ」
そんな恋のマジックは聞いたことがない。どうせ、木下のことだ。どさくさまぎれに優香の胸でも触りたいから、適当なことをほざいているだけだろ。
俺の冷めた視線をものともしないで、性欲を原動力に動いている木下は、優香をにやけながら抱き上げると、早速やらかした。ビリッという不吉を知らせる言葉と共に、優香のスカートが床へと滑り落ちたのだ。
「……白か」
とりあえず木下の頭を強めにはたいてやった。幸いなことに、誰も周りにいなかったので、神速でスカートを元に戻そうとしたが、破竹の勢いで、破けてしまっている。これじゃ、元のように着せることは難しい。ていうか、俺は男だから、スカートをどう着るのか自体、よく知らないんだけどな。
「どうやらお前が持ち上げる時に、スカートを踏みつけていたらしいな。普通は持ち上げる時に確認するものだけど」
目覚めた優香に、自分の魅力をどうアピールするかばかり考えているからだ。一体、これからどうするんだと、厳しい目で非難してやった。
「……後は頼んだ」
「託すな」
非難の的になった木下は、何を言ってくるかと思えば、俺にキラーパスを放ってきた。美味しい思いは独占しようとするくせに、面倒事は他人に押し付ける気か。人として考え物の問題行為だぞ。
「優香の目が覚めたら、洗いざらい話して謝れよ。お前のミスなんだから」
「絶対怒られる。ていうか、俺の悪い噂が拡散してしまう」
誰もお前の噂になんか興味を持たねえよ。一週間もしないで、霧消するから問題ないに決まっているが、木下はかなり動揺していた。
「怒られればいいじゃないか。責任をとれと言われれば、儲けものだぞ。考え方を変えれば、遠まわしに逆プロポーズされている訳だからな」
「そんな都合よくいく訳がないだろ……」
木下なら、話に乗ってくると思ったのだが、変なところで現実的なんだよな。