第八十三話 一つの波紋の決着と、次なる波紋を呼ぶデジャブ
柚子の案内の元、三人乗りのせいで、タイヤが悲鳴を上げている自転車を駆りながらも、拓真の家へと到着した。
「へえ、豪邸……というほどではないが、そこそこ良い家に住んでいるじゃないか」
「育ちは良いんですよ、この子」
拓真は、結構大きめの家に住んでいた。育ちが良いのは、薄々感じていたが、やはり両家のお坊ちゃんだったらしい。家の規模を、そこそこと表現したのは、悔し紛れだったりする。
さて、着いたのは良いが、ここからどうするかね。まさか家族に拓真を託す訳にもいかないしな。
「こいつが運んでいる途中に、意識を取り戻してくれるのがベストだったんだが、まだ寝てやがる」
運んでいる途中で、意識を取り戻した拓真。俺に向かって、「どうして置き去りにしなかった」と食ってかかってくるやつに対して、何か格好いいことを言って改心させる。家の前で、「もうこんなことをするんじゃないぞ」とぶっきらぼうに吐き捨てて去るという展開を密かに思い描いていたのに、そっちまで無駄になった。
中から出てきた母親に胸ぐらを掴まれるようなことはないと思うが、家族との接触は避けたかった。面倒事になってしまうのが、目に見えている。
「説明の必要はないです。このままドアのところに放置していけば、家族が回収してくれますよ」
俺が拓真の処遇に対して、頭を悩ませているのを、柚子があっさりと打ち砕いてくれる。ドアの前に置いて放置か。自身も実行しているだけあって、簡単に言い切ってくれるぜ。
異論はないが、同じことをされたことのある身として言わせてもらうが、あまり良い気はしないぞ。帰宅したら、玄関のドアに人が座り込んでいるのは、例え相手が家族でもビビる。
「でも、家族に見つかったら、間違いなく質問攻めですよ。だって、この顔ですから」
明らかに悪意のあるイタズラの痕跡を見ながら、俺は黙り込むよりほかになかった。あの時は、悪ふざけでペンを走らせたが、今は厄介事の種でしかないな。
柚子の言う通り、ドアの前に放置が、一番無難な選択肢なのかもしれない。ここまで運んでやっただけでも、十分武士の情けも発揮しているだろう。本当に良くやったよ、俺は。
「これで良し……と」
一体何が良しなのかは不明だが、拓真を玄関のドアに背を預けるように座らせると、俺と柚子は、足早に立ち去ることにした。
「ちなみにさ。この家って、監視カメラやセンサーとかの、機械警備とか入れていないよな」
「どうでしょう。何回か来たことはありますけど、そう言ったものの話はなかったですね。まあ、設置していたところで、家族でない人間にばらす訳がないですから、あるかもしれませんけど」
そんなことを言われたら、一気に不安になってきた。こうして立ち去っている姿までカメラに収められているんじゃないかと、もう気が気でない。
「……爽太さんって、動揺すると、結構表に出るタイプなんですね」
柚子がニヤついている。俺の隙を窺って、驚かしにかかってきそうな雰囲気すら漂わせている。
「からかうな」
「はあ~い」
拓真の自転車も置いてきたし、これで終了だ。拓真が、口から出まかせを言って、またトラブルを起こそうとしたら、またノックアウトさせればいい。とにかく、疲れた。もう帰って寝よう。
怒涛の数日が過ぎ去ったと、勝手に解釈しようとしたが、世の中というものは、とことん俺に厳しいらしい。
端的に言うと、帰宅した拓真の家族とすれ違ってしまったのだ。俺と同じ年の彼女。拓真の姉で、確か名前は雪城優香といったっけ。こういうと何だが、初めて会った気がしないな。いや、学校で会っているとかではなく、もっと前に、どこかで会ったような気がするのだ。
「あら、柚子ちゃん。お久しぶり」
向こうは柚子を見ると、笑って声をかけてきた。柚子は拓真の元カノで、きっと家族とも面識があるのだろう。実際、柚子も笑顔で返答していた。
「あ、この人、拓真君のお姉さんです。確か爽太さんと同じ高校に通っていますね」
気を効かせてくれたのか、柚子が教えてくれたが、耳打ちしてこなくても知っているよ。この間、俺が興味ないと突っぱねたのもお構いなしに、興奮しながら説明されたからな。そうでなくても、最近男子の話題に出る子なのだ。覚える気はゼロだが、いつの間にか記憶の片隅にインプットされてしまっていた。
「え~と……、隣の男性は?」
俺のことを言っているのだろう。学校で見かけた時と同じ、幸の薄そうな顔を、俺に向けた。
「彼氏です」
「おい……!」
こともなげに、嘘をついた柚子に、囁くような声で、ささやかな怒気を浴びせた。だが、柚子は悪びれることもなく、言い返してくる。
「そっちの方が手っ取り早く済みますから」
またあっさり言ってくれる。そりゃ俺だって、この場を早く去りたいが、お前の嘘には致命的な欠点があるんだよ。
俺と同じ高校ということは、優香が、俺とアリスが交際していることを知っている可能性だってゼロじゃない。そうしたら、二股ということになり、話がこじれるんじゃないのか?
「あ……!」
指摘してやると、柚子は今頃気付いたのか、ハッと目を開いて呆けていた。気付くの、遅えよ。
「拓真に捨てられたと聞いた時は、大丈夫かなって心配だったんだけど、新しい彼氏が出来たんなら、安心ね」
内心で焦っている俺をよそに、遠い目で勝手に納得している。どうやら、柚子の嘘はばれていない様子だ。
「でも、不思議だわ。どこかで会った気がする……」
すぐに「変なことを言っているわね」と、笑顔で否定していたが、向こうも、俺と同じデジャブを感じていたらしい。
「見たところ、拓真と違って、しっかりした人みたいだから、今度こそゴールイン出来ると良いわね」
「はい! 私たち、ラブラブですから」
優香は、弟の悪事に気付いているらしい。というか、そんなことより、結婚前提の付き合いだと勘違いしていることの方が気になった。どことなく、虹塚先輩と同じ匂いを感じる。
あと、柚子に対して言いたいのだが、ラブラブアピールで、俺の腕に抱きついてこなくていいから。
優香は、こちらの心情など知ることもなく、一礼すると、たった今俺たちが歩いてきた雪城邸への道を歩いていった。悪いのは拓真の方だが、ああいう風に丁寧に頭を下げられると、申し訳ない気持ちになってしまうな。
その後は、とぼとぼと帰路を歩きながら、弟を発見して驚愕しているだろう優香のことを考えてしまう。
「……今頃、変わり果てた姿の拓真を発見している頃かな」
前を向きながら、柚子に話しかけた。自業自得とはいえ、俺が悪いことをしてしまったみたいで、後味が悪いものがあるな。
「……何の話をしているんですか? 私、分かりません」
「……」
あ、こいつ。完全にとぼけてやがる。拓真を家まで運んだ以上、無関係に徹する気満々だ。おそらく、優香がここに戻ってきて、俺たちを問い詰めても、知らんぷりを通すつもりか。
……俺もそうするかな。
こうして、せっかくリベンジに成功したというのに、悪ふざけが過ぎたせいで、祝勝ムードが萎えてしまった。復讐はほどほどが一番ということかね。
一人で勝手に結論付けていると、柚子の携帯が鳴った。メールを着信したみたいだ。用件は察することが出来た。
さて、弟を発見した優香は、どんなことを言ってきたのかなと、メールを確認する柚子を見ていた。俺の視線に気付いたのか、内容を話してくれた。
「『帰宅してみたら、弟が面白い顔で寝ていた。きっと私を笑わせようとして、待ち伏せている内に疲れて寝てしまったんでしょうね』だそうです」
「ああ、そう……」
何ともおめでたい思考の持ち主だな。やはり虹塚先輩と同じ匂いを感じる。
まあ、問題には発展していないみたいなので、良かった、良かった。
ホッと胸を撫で下ろしながら、とりあえず柚子に警告。
「ていうか、そろそろ離れてくれるか?」
「はい?」
さっきから、ずっと俺の腕にしがみついたままなのだ。もう、演技はしなくていいんだぞ。