第八十一話 油断と奢りは、敗北へのフラグ
自転車で走り去る拓真を、猛然と追走したアキと柚子だったが、自転車と駆け足の差は決定的で、結局取り逃がすことになってしまった。
二日連続で取り逃がすという失態に、二人は地団駄を踏んで悔しがったが、そこでアキが、路駐されている自転車に目を留めた。
「あれを使えば、まだまだ追撃することは可能だよね」
相手が先輩だろうと、そんなことを言われたら、顔をしかめて「アホなことを言わないでください……」と言わなければいけないところだが、後輩の方も頭のネジがいくらか飛んだやつだった。
「いっちゃいますか?」
本来言うべき台詞の真逆の言葉を口にする。駄目だ、この二人……。
「ふ、ふふふ! 正義のためなら、何をしても良し!」
「正義のためなら……」などとのたまうのは、正義の味方をしている悪党くらいのものだ。だが、話している本人は不思議なまでに気付かないものなんだよな。当然、自分が下卑た笑みを浮かべていることにも気付いていない。トンカチを片手に、自転車へと、一歩一歩近付いていく。
「お前……。何、言っちゃってんの?」
さっきから見ていれば、何をしているのかね。あまりにもアホな行動に出ようとしている二人に、堪えきれずに言葉を挟んでしまった。
「お、お義兄さん!? どうしてここに……!」
アキたちは、俺が最初から追うのを諦めて、傍観に徹したことを知っていた。距離もそれなりに開いていることも。だから、この場にはいない筈なのに、いきなり声をかけてきて、正直驚いているというのが、顔にありありと出ていた。
「あ、そうか! 私たちの奮闘を目の当たりにして、やっぱり追ってくることにしたんですね。お義兄さんったら、ツンデレ!」
「そんな訳がないだろ。俺がどれだけ面倒くさがりなのか、お前も知っているだろ?」
アキの広めのおでこにデコピンをくらわせてやって、後方に停まっている車を指差した。
「知り合いの先輩が、偶然車で通りがかったから、ここまで送ってもらったんだ」
俺をここまで送ってくれた心の広い先輩は、こっちに向かって、パッシングを数回繰り返すと、今来た道を戻っていった。しかし、先輩をパシらせるとは、俺も悪い後輩だねえ。
「え……、でも、私たちが行き先とか、詳しい場所は分からないですよね。あ、ひょっとして発信機とか?」
アキと柚子が、慌てた様子で、服を調べ始めるが、そんなものはつけていない。ただ拓真は自転車で逃げて行ったのだから、スピードを出しやすいコースを選んだものと当たりを付けて、車で追ってきただけのことだ。そうしたら、大正解。立ち尽くしているこいつらを発見した訳だ。本命の糞ガキの姿はなかったけどな。
やっぱり駄目だったのかと思って声をかけようとしたら、他人様の自転車を凝視しているんだものな。しかも、アキに至っては、手にトンカチまで持っているし。
「お前ら……。いくら拓真をしばくためとはいえ、自転車を盗もうとしてんじゃねえよ」
「……じょ、冗談ですよ。本当にする訳ないじゃないですか」
そう言って、今更ながら、後ろにトンカチを隠したが、もうしっかり視認している後なので遅い。
柚子を見ると、高速で首を何度も縦に振っていた。あまりにも見え透いた嘘に、頭が痛くなってくる。
「とりあえずアリスに報告……」
「わ~! それだけは勘弁してください! 私、殺されちゃいますよ~!」
俺が携帯電話を取り出すと、アキが涙ながらに静止してきた。眼が本気なので、ついつい流されるままに、アリスへの連絡を中断してしまう。俺も甘いねえ……。
だが、こいつらとは、倫理観について、じっくり語り合う必要がありそうだ。アキなんか、途中で寝そうだけどな。
俺は気を取り直すと、誰もいない道の先に目を向けた。
「今日も取り逃したか……」
「まさか自転車を使ってくるなんて、汚いですよ! こうなったら、私たちも自転車を用意しなければ……!」
拓真のことだから、今度はバイクで登場しそうな気もするけどな。しかし、追い詰めている筈なのに、いつまで経っても決定打をくれてやることが出来ないな。体は小さいくせに、とことんしぶとい。
とにかく逃がしてしまった以上は、仕方がない。今日はもう帰ることにした。
「ちなみに……。ここはどこですかね? お義兄さんは分かります?」
何だよ。自分が今来た道を引き返せばいいだけだろ。それとも、自分の通ってきた道すら忘れてしまったのか? やれやれだ。まあ、俺も何だけどね。
くそ……! こんなことなら、ここまで送ってきてもらったついでに、どこかで待機してもらっておくんだった!
「お義兄さんも分からないんですね……」
俺の様子から察したアキが呆れたようにため息をついた。何だよ、お前だって、知らないくせに!
「とりあえず……、人の多そうなところまで歩くか……」
そこまで行けば、タクシーを拾って帰れる。だが、財布がまた軽くなってしまう……。
俺がアキたちと合流していた頃、道の先では、拓真とアリスが遭遇していた。
「発信機を付けさせてもらったわ。知り合いに、あなたと同じ中学の子がいたから、制服を貸してもらって、侵入して取り付けたわ。案外、中学の警備って、ザラなのね」
通学鞄の底に、発信機を発見した拓真は、悔しがる以上に、一本取られたことを愉快に感じているようだった。
「大人しい顔をしているくせに、やってくれますね、アリスさん……」
アリスの姿を見て、何故か表情を緩めた拓真は、あろうことか、自転車を止めて、歩み寄り始めた。
アリスの迫力に、一旦はたじろいたものの、相手がこれまで言いくるめてきた女性ということで、拓真はすぐに落ち着きを取り戻していた。早い話が、アリスを舐めきっていたのだ。
「今日はあなたに鉄拳をお見舞いしに来たの」
拓真の手が、アリスに触れようとする瞬間、落ち着いた声で、彼女は宣言した。
「へえ……」
アリスの警告にも全く動じずに、そのまま拓真の手を彼女の髪を撫でる。だが、アリスの手によって、手ひどく払われてしまった。
「……今日は気分がよろしくないみたいですね」
払われてしまった箇所をさすりながら、拓真は苦笑いした。だが、退く気は全くないようだ。
「今まで話してきたあなたとは、まるで別人だ。今日はずいぶん強気に出てきますね」
「この間までは不意打ちだったからね。でも、今日はしっかりと心の準備をしてきたから。私からすれば、あなたが落ち着いているのも不可解だわ。だって、追い詰められているんでしょ?」
アリスは不思議そうに質問したが、拓真はフッと馬鹿にしたように笑った。
「そりゃそうですよ。体格差がありますから。いくらあなたの方が年上だからといっても、力では、僕が上なんです」
だから、この場を通り抜けることなんて容易いんだよと、拓真の目は言っていた。
「体格なんて……、関係ないわ……」
呟くようなアリスの小声に、拓真が困ったように優しく微笑んで、左耳をアリスの口元へと近付けた時だった。拓真の全身を電流が駆け巡ったのだ。
「……!」
衝撃と電撃で固まる拓真の目の前に、アリスが忍ばせていたスタンガンを晒した。拓真が体を寄せてくる瞬間を狙って、これを浴びせたのだ。
「これで動きを止めてしまえば、体格差なんて関係ないでしょ」
最初は微笑んで、アリスの温情に訴えかけようとしていた拓真だったが、アリスの目がマジなのを見て観念したのか、ため息交じりに目を閉じた。
「あなただって、体格が同年代の子より小さいのを気にしていたのに、体格を理由に優位に立っていると説くなんて皮肉ね」
拓真は無反応だが、口元を微妙に加味していたような気もした。もっとも、アリスには、そんな微妙な心境などお構いなしだがね。
「女を……、舐めんじゃねえ……」
抑えていた感情が表に出てくるとともに、口調も荒いものになっていった。これまでの怒りを全て含んだ一撃が叩きこまれた。
「ぐっ……!?」
予想を遥かに上回る一撃に、拓真はのけ反りながらも、口元は自身の皮肉をあざ笑っていた。そりゃそうだ。自分より華奢な体格の女子に、吹き飛ばされているのだから。
コンクリートの塀に叩きつけられると、拓真はそのまま動かなくなった。相当当たりどころが良かったらしい。気を失ったようだ。
昨日の後書きでも触れていますが、
「登場人物紹介」をちょっと訂正しました。
気が向いたら、ご閲覧ください……。