第七十五話 帰宅、再会、再び修羅場……?
紆余曲折はあったとはいえ、ぎくしゃくしてしまっていたアリスと仲直りすることに成功した。
その後、勢いに乗ったアキが、そのまま関係がこじれるきっかけを作った糞ガキに報復しようと言い出したのだが、作戦の内容があまりにも荒唐無稽だったので、あっさりと却下してやった。
「お前の言葉を、ほんのちょっとでも期待した俺が馬鹿だったよ」
「ひっど~い! お義兄さんのために、頭を捻って考えたのに、そんなつれない言葉はないですよ」
辛辣な言葉で、アキをいじっているが、語気は荒くなかった。アリスと仲直り出来たのだ。気分が良いのは必然といえる。
結局、有効なやり返し方法が思い浮かばず、不本意ながら、あの糞ガキに泣き寝入りする形で終わりそうだが、アリスと仲直り出来ただけでも、上々の結果だと納得することにした。ただし、まだちょっかいをかけてくるようであれば、その時は退学になろうとも、ぶん殴ってやるけどね。相手が中学生なら、尚更だ。
「あ、そうだ。こういうのはどうですかね。人差し指を向けながら、『チビ! 小学生!』って、連呼してやるんです。相手は身長のことをかなり気にしているから、かなり精神的にきますよ。時々、お姉ちゃん相手に実証しているので、その効果は約束出来ます」
「何だ、その小学生レベルのプチ復讐は……」
アキにはそう言って冷やかしたが、地味に効きそうだな。向こうは、自身の幼い外見を気にしているらしいし。だが、それをやったら、別の意味で負けてしまうような気もしないでもない。
仲直りの印として、アリスが夕食を作ってくれると言ってくれたので、スーパーに寄った。かなり買い込んだので、俺の手にはだいぶ重いレジ袋が握られていた。
そういえば昨日もレジ袋を片手に帰宅したんだっけ。結局、料理をすることなく、そのまま寝ちゃったんだよな。ていうか、冷蔵庫に入れることすら、今まで忘れていた。傷んでいないか心配になるね。
レジ袋のついでに、昨日、俺と遊んだばかりに、親に怒られる羽目になってしまったアカリと虹塚先輩のことも思い出した。二人共、あの後、大丈夫だっただろうか? よく考えてみたら、落ち着いた頃合いを見計らって、メールで近況確認でもすべきだった。俺って、アフターケアがなっていないのな。
それから……。もう一つ、大切なことを忘れているような気がする。むしろ、こっちの方こそ、すぐに思い出さなきゃいけないことの気もするが、どうにも思い出せない。
俺なりに記憶を整理している内に、家についてしまった。何か、とてつもないことをやらかしてしまった気がする。
……まあ、いいか。忘れるくらいなんだから、たいしたことじゃないだろ。それより、早く家に入ろう。
俺が先頭になって、鍵を差し込んで回す。すると、すぐに違和感に気付いた。
あれ? 鍵が開いているぞ?
一瞬、泥棒の可能性が頭をよぎったが、今朝家を出る時に鍵をかけていなかったことを思い出した。そういえば、アキに手を引っ張られて、かなり強引に家を後にしたんだっけ。
万年金欠状態の俺の家に盗む物なんてないと思うが、それで泥棒さんが寄りつかないとも限らないからな。
いくら慌てていたとはいえ、自分も不用心だなと苦笑いしながら、室内に目を向けると、昨夜間違って、部屋に入れてしまった謎の女子と目が合った。
「や!」
俺の顔を見るなり、やつは右手を上げて、挨拶してきた。それに対して俺は、無言を貫いて、開けた時と同じ勢いで、ドアを閉めた。そして、そのまま石化したように固まった。
しばらくすると、その状態異常からも解放されたので、俺は大きく深呼吸して、現状を整理することにした。
どうしてこいつがまだ家にいるんだ……? まさか、俺が施錠しないままで外出したから、今まで家にいてくれたのか?
それはそれで有り難いんだが、何も今日やらなくても……。
「どうしたの?」
「い、いや、何でもない」
アリスにきょとんとした顔で聞かれてしまったので、咄嗟に反応してしまったが、何でもない訳がない。万が一、中の女子と対面することにでもなれば、せっかく通じ合った気持ちがまた離れてしまう。
「何でもないんだったら、早く入りましょうよ。ドアの前で直立不動を続けているのも変だわ」
アリスの言う通りだ。自分の家の前で、鍵を失くした訳でもないのに立ち往生しているというのも妙な話だ。俺だって、問題がないんだったら、早く家に上がりたい。
しかし、まずいのだ。このままでは、今度は俺に浮気のレッテルが貼られてしまう。
この状況、どうやって脱する?
「どうしたんですか? ゴキブリでも出ちゃったとか? プププ……!」
「え? 嘘!?」
他人事みたいに笑っているんじゃねえよ。お前も、今朝、やつと遭遇しているだろ。
「いや……。ゴキブリはいないよ」
「良かった。あれだけは駄目だから、もしいたら、今頃駆け出していたところよ」
「ああ、良かったな……」
ゴキブリの存在を否定してから、すぐに自分のミスに気が付いた。そうだ。ゴキブリが出たと言うべきだったのだ。そうすれば、ゴキブリ嫌いのアリスのことだ。俺の部屋によるという選択肢を投げ捨てて、自宅へと逃げ帰るだろう。そして、アリスが去った後、部屋に入り、謎の女子に帰ってもらう。彼氏としては、この上なく悲しい展開だが、今の俺が迎えるべき、最もベストな未来だった。
「あ! 私、分かったかも。ドアがいたら、浮気相手が、部屋に先回りしていたとか! なんてね」
冗談のつもりで言ったのだろう。アリスは、クスクス笑いながら、楽しそうに話しているが、聞いてきた俺は、危うく心臓が止まるところだった。
「あ……」
アキの表情がにわかに強張る。アリスの言葉から連想して、やっと思い出したか。でも……、遅せえよ。さらに言わせてもらうと、タイミングが悪いよ。
見ろ! お前が変な声を出すせいで、アリスの表情まで強張ってきているじゃないか。責任をとって、この状況を打破する方法でも考え出せと、内心で毒づいたが、そっぽを向きやがった。関わり合いになるのを拒否しやがったな。
「ねえ、本当にどうしたの? さっきから二人して変よ。何か気にかかっていることがあるんなら、教えてよ」
「……ははは」
教えたいのは山々なんだけどね。その後の展開が未知数で怖いんだ。
俺とアキがあいまいな笑みで誤魔化していると、俺の部屋のドアがガチャリと開いた。念のために言っておくが、俺が開けたんじゃない。開けたらまずいと分かっている状態で開けてしまうほど、うっかり馬鹿ではない。ドアは中から開けられたのだ。おそらく、帰って来るなり、いきなりドアをまた閉めて、外で立ち話を始めたものだから、不思議に思って開けたというところか?
「や!」
狼狽する俺に向かって、感情に乏しい目と挨拶を向けてきた。俺は、息が今にも止まりそうで、挨拶を返している場合ではなかった。
「あら?」
俺の背後で、アリスがいつもより高めの声を出した。
「あなた……。昨夜の……!」
「あ……、ドアの前で泣いていた人だ」
「そ、それは言わないで」
胸ぐらを掴まれる展開ばかり想像していた俺は、アリスと謎の女子が、親しげに会話を始めたのを、じゃっかん呆気にとられながら聞いていた。
そうか……。この二人、昨夜会っているんだっけ。俺の部屋の前で。アリスは、悩みを聞いてもらったみたいだから、妙な親近感を覚えているのだろう。
「それで? どうしてあなたがここにいるの?」
来た……。心臓が止まってしまうか、俺の人生が今後も続くかどうかの分岐点! 謎の女子の回答次第で、その進路が決まってしまう。人生にも関わりかねない瞬間に、自分に決定権がないのが激しく歯がゆいが、ここは息を飲んで、謎の女子の次なる一言に耳を傾けるとしよう。頼んだぞ、一晩泊めてやった恩を、是非とも返してくれ!
「ドアの前で寝ていたら、救助されました」
「……相当酔っ払っていたからね」
「それで、そっちのお兄さんが、今朝鍵をかけないで出ていって、不用心と思ったので、そのまま家にいました」
「爽太君ったら、不用心ね」
俺を振りかえって、クスリと笑みを漏らした。謎の女子が部屋にいたことについては、特に気分を害していないみたいだ。
とりあえず及第点には値する展開といえる。アリスとの仲が、再び脅かされることはなかったので、心底胸を撫で下ろした。
「そうだ。せっかくだから、あなたも一緒にどう?」
アリスは食材が詰まったレジ袋を掲げてみせた。
「酒はあるの?」
「……私たち、未成年よ?」
昨夜もドアの前で酔いつぶれていたし、こいつは、相当の酒乱と見た。若いうちから酒ばかり飲んでいると、肝臓をやられるぞ。