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第七十一話 開け放たれた扉と、開けられたままの扉

 昨日、夕方近くまで寝ていたというのに、人間、寝る時には寝るようで、布団に入ったと同時に、寝息を立てていたのだった。


 寝る時に目覚まし時計をセットしなかったので、朝起きることは出来ないだろう。三日連続で学校を休むのは、もはや確定的だった。


 しかし、学生のサボりを何度も見逃してくれるほど、天は甘くはなかった。俺は爆睡していて、気が付かなかったのだが、ドアが気持ちの良い音を立てて、派手に開け放たれたのだ。


「お・に・い・さ~ん!!」


 アキが軽快な声と動きを上げたと思うと、そのまま跳躍して、俺に抱きついてきた。


「ぐあっ……!?」


 勢いよく全体重の乗ったダイブを食らった俺は、強制的に、夢の世界から目覚めさせられてしまった。


「あ、朝っぱらから、ずいぶんなことをしてくれたな……」


「へっへっへ! お義兄さんが、ここ最近学校に来ていないって噂を耳にしたんで、起こしに来ましたぜ!」


 アキが俺を見下しながら、イタズラっぽく笑っている。悪びれる素振りは全くない。一瞬だけムカッとするが、こいつに怒っても仕方がないことを思いだし、のそのそと起き出した。ちょっと激しいが、もう慣れた光景だ。


 ……もし、このままアリスと別れることになったら、アキとも他人同士なのか。こんなことで、いちいち腹を立てることもなくなるんだろうな……。


 アリスと付き合いだしてから、たいして間を空けることなく、アキと初対面を果たした。学校一のチビである姉に、初めて出来た彼氏が、どんなやつか品定めをするために、教室までやって来たのだ。


 赤面して喚き散らす姉の制止をものともせずに、こっちに突進して、そのまま激突してきやがったっけ。アキ曰く、直前で急ブレーキをするつもりが、足を滑らせたらしい。初対面としては、とことん最悪だったので、しっかりと脳裏に刻まれている。


「あれ……。どうしたんですか、お義兄さん?」


 俺の様子がおかしいことに気付いたアキが不安そうに、顔を覗き込んでくる。


「何でもねえよ……」


 不覚にも涙ぐんでしまったのを勘付かれまいと、腕で目元を隠して答えた。


 一昨日はアリスで、今朝はアキが起こしに来てくれたか。姉妹揃って、有り難いことだ。……そうか。あれからまだ二日しか経っていないのか。


「それでね、お義兄さん。一つお聞きしたいことがあるんですが……」


 こいつにしては珍しい、笑みのない真面目な顔になった。いつもふざけているアキが、こんな顔をすると、雨でも降りそうだな。


「いきなり飛びついてきたと思ったら、質問をさせてほしいか。せわしないやつだな……。まあ、いいぞ。言ってみろよ」


「お義兄さんの隣で寝ている女性は、一体どこのどなたでしょうか」


「え?」


 ロボットのようにぎこちない動作で、さっきまで自分の寝ていた布団を振り返る。そこには、昨夜、俺の家の前で寝ていた女子が、すやすやと気持ちよさそうに寝ていた。


「……」


 女子を見つめたまま、全身の体温が引いていった。どうしてこいつが、まだ部屋にいるんだ? 帰ったんじゃなかったのか?


「こいつは、俗に言う浮気ってやつですかい?」


 アキが、俺の真横に立って震えた声で、もう一度聞いてきた。


「さ、さあ……」


 こんな説明で誰も納得できないのは分かっているが、状況を説明してほしいのは、俺も同じなのだ。


 汗が止まらない。すごい勢いで流れて、フローリングの床にポタポタとこぼれている。汗の雨が降っているようにも見えるな。


「ここ最近、お姉ちゃんの様子がおかしかったので、気になっていたんですか。こういうことだったんですか?」


「違うと言っておくよ。信じてもらえないだろうけど」


 アリスの様子がおかしいのは、これとは別の理由によるものだ。


「お、お義兄さんがそんな人だったなんて……」


「違うと言っているだろ! 俺の話を聞いてくれ。ほんの少しで良いんだ。それで誤解は解ける!」


 肩を震わせて、今にも掴みかかってきそうなアキを、懸命に宥めていると、この騒動の原因になった謎の女子が、「うう~ん」と唸った。お前のせいで、俺はたいへんなことになっているというのに、間の抜けた声を出しやがって……。こんなことなら、昨夜、ドアの前で寝ているこいつを蹴飛ばしてどかすんだった。そうすれば、こんなことにはなっていなかったのだ。寝起きだって悪いので、その程度では起きやしないだろう。


 俺がキッと睨むと、謎の女子と目が合った。今、目覚めたところらしい。普通なら、ビクリと身をすくめるところだが、昨夜から振り回されていたことで、怒りもあったので、そのまま睨み続けてやった。


 謎の女子は、俺が睨みつけているというのに、まるで動揺する様子がない。普通、こういう場面では、ビビるか、逆切れするかするものだろう。


「う……、ん……」


 軽く呻くと、まるで糸を付けられた操り人形が起き上がるかのように、鋭敏な動きで、上体を起こすと、俺の部屋をぐるりと見渡した。そして、ふてぶてしく頭をかきながら、目をこすってやがる。まだ寝足りないって顔だな。


「なかなか図太い性格の愛人ですな!」


「いや、愛人じゃないから」


 一応、否定はしたものの、信用していないのか、アキは目も合わせてくれない。このまま版受給すかと思っていたが、意外なところから、助け船が出た。


「あれ? 私、何で、人の家に転がり込んでいるんだろ? ああ、そうか。また酔っ払って、他人の家に上がりこんじゃったのか……」


 この台詞が転機になったのか、アキが、俺の顔を盗み見てきた。「え? この人、浮気相手じゃないの?」という顔だ。俺は間髪入れずに首を勢いよく縦に振った。今度は手ごたえありだ。


 その様子を寝ぼけ眼で見つめていた謎の女子が、おもむろに口を開いた。


「あなた……。誰?」


 こっちの台詞だ。勝手に人の家の前で寝ていたくせに、その家の住人に対して、「あなた誰?」はない。


「ああ……、そうだった。街を歩いていたら、この部屋のドアの前で、蹲って泣いている女の子を見つけて、お悩み相談していたら、いつの間にか寝ちゃってたんだっけ」


 思わず全身がゾワッとした。ドアの前で泣いていた女の子って、アリスに決まっている……。


「おい、アキ……。昨日、アリス、何時ごろに帰ってきた?」


「え? え~とねえ。かなり遅い時間でしたね。あまり遅かったんで、親とちょっと一悶着あったんで、よく覚えています」


 すぐに帰った訳じゃなかったのか。アリスは待っていてくれたんだ。それなのに、俺は……。


「むう……。私のあずかり知らぬところで、話が展開しています……。いつの間にか、私、物語の中心から外れているじゃないですか~!」


 アキが悔しそうに頭を抱えている。仕方がない。ここ数日の間に起こったことを説明してやろうか。


「お義兄さんは駄目です。自分に都合の良いことばかり説明する危険がありますから! 浮気するような人の話は、信じられません!」


 強い口調でストップをかけられた。ああ、成る程。まだ完全に心を開いてくれた訳じゃないのね。


「うっ……! でも、誰に聞けば……。木下さんはてんで頼りにならないし……」


 今までの状況を聞けるやつが思い当たらないようだな。傷心の姉に聞く訳にもいかないしな。しばらく悩んだ後、アキは、はにかみながら、俺を見つめてきた。


「じゃあ、お義兄さんでいいです。仕方ないけど、信じてあげますから、教えてください!」


「おい……、それが人に教えを請う態度か……」


 ふてぶてしさにイラッときたので、軽い蹴りを一発食らわせた後で、丁寧に、ここまでの流れを説明してやった。


「そういうことがあったんですか……」


 話を聞き終えると、アリスは、ペットボトルのお茶を飲んで、一息ついていた。ていうか、それ、うちの冷蔵庫から勝手に拝借したやつだろ。


「ふむ……、そういうことなら、話は一つです」


 妙に悟った顔だと思っていたら、いきなり立ち上がって、俺の手を引っ張って、走り出そうとした。


「行きますよ、お義兄さん」


「行くって、どこにだよ?」


「学校に決まっています。他にどこがあるんですか?」


 慌てる俺に、当然のことを言うように語った。学校に行く? そりゃ、俺は学生だから、行くのは当然として、そこまでテンションを上げて言うことか!?


「お姉ちゃんと仲直りするんですよ。私が間に立って、お二人の仲を取り持ってあげますから!」


「は!? いいよ、お前に任せたら、さらに泥沼に……」


「その結果がこの様じゃないですか。終いには、見知らぬ女性まで、家に入れちゃう始末で……。もう、お義兄さんたちには任せられません!」


「ぐっ……!」


 痛いところを突かれてしまうと、もう何も言い返せない。情けない話だが、アキに手を引っ張られるまま、部屋を出たのだった。


 話を聞くなり、いきなり仲直りか。急な展開だが、アキらしい提案だ。たしかに、真っ先にすべきは、それだよな。でも、それがなかなかできそうにないから、苦労している。事情を知ったアキが、どこまで上手く立ち回ってくれるかが、鍵だな。


 こうして、目覚めてからの怒涛の展開で、学校まで走っていくことになったのだが、急ぐあまり、重要なことを忘れていた。


「鍵をかけないで出ていったけど、良いのかなあ……?」


 無人となってしまった俺の部屋で、謎の女子が眠い目をこすりながら、呟いていた。そう、戸締りを忘れていたのだ。


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