第六十八話 残酷なまでにハッキリした、自分の気持ち
ここ数日、嫌なことが続いているせいで、精神的にすっかり参ってしまっていた。虹塚先輩の勧めで気分転換も兼ねて、外をぶらついていると、学校帰りのアカリとも合流した。
ここから楽しく会話が弾んでくれれば、俺のストレスも、多少は緩和されてくれるんだが、そう上手くいってくれなかった。ふとしたきっかけから、アカリから、虹塚先輩との仲を詮索されてしまったのだ。
こっちは気晴らしで散歩しているんだから、気分を重くするようなことはしてほしくないのに。
どうして、アカリはここまで虹塚先輩に食ってかかるのかね。まさか自分より胸が大きいから、気に食わないとか?
そんな訳はないだろうと思ったが、アカリの視線から考えるに、それしか考えられない。ていうか、十分大きい胸を持っているのに、それ以上何が不満だというのだ!?
「失礼を百も承知で聞かせていただきますが、虹塚先輩とはどういった関係なのでしょうか。たしか海でも一緒でしたよね」
俺と虹塚先輩を交互に睨んだ。この迫力、まるで夫と浮気相手に啖呵を切る妻のようだ。俺はされた側だっていうのに。
「どういった関係って、ただの先輩と後輩だよ。虹塚先輩も面白そうだからといって、嘘はつかないでくださいね」
俺がけん制すると、虹塚先輩は驚いた顔の後に、バツの悪そうな表情を浮かべた。どうやらアカリをからかうために、俺と交際する振りをするところだったようだな。危ない、危ない。と思ったのだが、それだけでは、虹塚先輩の口を止めるのには不十分だった。
「そうです。彼とはこの間知り合ったばかりで、海で二晩共に明かしただけの関係……」
「だ~か~ら~! そういう誤解を招く発言を勘弁してくださいって頼んでいるんですよ! アカリがまた変なことを想像しちゃうじゃないですか!」
「あ、大丈夫です。たしか海では、木下君も一緒だったんですよね。だったら、安心です」
誤解されていないことにはホッとしたが、木下が一緒だからというのはどういうことか。あいつがいるところにラブロマンスは起こらないって意味か? まあ、否定はしないけど。
「とにかく! 虹塚先輩とは、他人に勘ぐられるような関係じゃないよ」
ハッキリと断言した後で、虹塚先輩をさっきよりも強い眼力で、けん制する。また余計なひと言を付け加えようとしていた先輩はつまらなさそうに、顔を俯けていた。アカリはまだ何か言いたそうだったが、この話題は、ここで打ち切りとさせてもらった。
さて、この二人と話していたら、程よく疲れてきたな。
「そろそろ夕飯を買って、家に帰るかな……」
何気なく呟くと、虹塚先輩から何を食べるのかを聞かれた。俺の夕食のメニューなど聞いても仕方がないだろうに、そういうことが気になる性格なんだろうか。よく帰り道に、明かりのついた台所を見ながら、「あの家は、今夜はカレーか」とか、当たったところで仕方のない妄想を楽しむタイプと見たね。
「コンビニの弁当で済ませようと思っています」
我ながら、何とも味気ない回答だ。年下の異性の先輩が相手なのに、もう少しお洒落な名前の料理を口に出来ない自分が歯がゆいね。そら、見ろ。投げやりな回答に、虹塚先輩も面白くなさそうにしているじゃないか。
「いけないわ。育ちざかりなんだから、食事はしっかりとらなくちゃ。スーパーに寄りましょう。今夜はお姉さんが作ってあげる」
「それは爽太君の家に行くということですよね。そういうことなら、私も……」
「いいですよ、どっちも来なくて。スーパーで食材を買い込んで、自炊しますから、それで構わないでしょ?」
料理を作ってくれるのはありがたいが、部屋では一人でいたいのだ。今回はお気持ちだけで、お腹いっぱいです。
そんな訳で、押し切られる形で、行き先がコンビニからスーパーへと変わった。正直、まだコンビニの味付けの濃い弁当への未練は断ちきれていない。
「何を作るのか、もう決めたの?」
カートを面倒くさそうに持つ俺に、虹塚先輩が尋ねてきた。
お母さん風をやたら吹かせる虹塚先輩は、まだメニューが決まっていないのなら、自分が選んでやろうかと提案してきたが、もう決めていると伝えた。とはいっても、そんなにたいそうなものではない。体を動かすのがまだ面倒くさいので、野菜炒めにしようと思っている。あれはいい。食材をフライパンにぶち込んで、火を通すだけで完成するんだから。
「あら……。豚肉も使うの?」
「ええ。疲労回復に効くって、言いますからね」
一日中部屋に閉じこもっていたくせに、疲労も何もないと言われそうだが、精神的に滅茶苦茶疲れたのだ。
しかし、虹塚先輩は、俺がカートに入れた豚肉を取り出して、代わりに鶏肉を入れたのだった。
「私、鶏肉の方が好きなのよね」
「だから、何です?」
今、カートに入れているのは、俺が今夜食べる食材であって、虹塚先輩が口にすることのないものですよ。だから、虹塚先輩の好みを言われても困ります。まだ俺の家に来るつもりなんでしょうか……。
「あの……。野菜がキャベツともやしだけなのもどうかと……」
「あら。たしかにそうねえ」
安く済ませようと思っていたのに、女子二人が俺のカートにどんどん緑黄色野菜を投入していく。いざとなったら、野菜ジュースで済ませるから、そんなにいらないですよ~。
レジで会計を済ませると、俺たちは再び夕暮れの街を歩きだした。
「……ずいぶん野菜を買い込んじゃいましたね」
「それだけ食べて、ぐっすり休めば、体力回復は間違いなしです」
そりゃあ……、レジ袋一杯の野菜を摂れば、栄養満点は疑いないね。ただ、いくら単体が安いといっても、これだけ買い込めば、財布に優しくない値段に化けてしまうけどね。
予想外の出費になってしまった腹いせに、こいつらはたっぷりの醤油と酢で、豪快に炒めてやると、密かに思っていると、向こうから見覚えのある顔が近付いてくるのが目に留まった。
向こうから歩いてくるのは……、アリス……!?
見間違いじゃない。アリスだ。向こうはまだ気付いていないみたいだが、このままなら、鉢合わせする。家は反対方向の筈なのに、どうしてここに……? まさか、俺の家に来たのか。
「爽太君……」
渦中の二人の邂逅に、アカリも緊張した表情になる。どうやらアリスの接近には、早い段階で気付いていたらしい。
アリスとの距離がだんだんなくなっていき、ついにゼロになった。しかし、互いに声をかけることはなかった。どうして挨拶もなく、二人がすれ違うことになったのかというと、俺が物陰に隠れて、アリスをやり過ごしたからだった。
「アリスさん、もう行ったみたいですよ?」
「そうみたいだな……」
安堵の息を漏らした時になって、自分が不可解な行動を取っていることに気付いた。あれ……? 何で俺、アリスから隠れちゃっているんだ? ていうか、今かなり自然に、アリスを避けたよな。
何気なく、彼女を避けてしまった。しかも、咄嗟だったので、自分の行動に上手い説明が出来ない。
「あの……。大丈夫ですか? 汗をかいていますよ」
「ああ、大丈夫。心配してくれて、ありがとう」
彼女を避けた上に、アカリたちにまで心配されて世話がないな。気を取り直そうと、深呼吸して、この空気をどうにかしようと口を開く。
「それで……。どうして虹塚先輩まで一緒に隠れているんですか?」
先輩たちまでアリスを避ける必要などないだろう。
「う~ん。爽太君につられちゃったのかしら」
つられていないですよね。絶対に面白がって、一緒に隠れただけですよね。
「わ、私だけ仲間外れは嫌です……」
いやいや。そんな涙ぐまれても……。俺が勝手に隠れたのに、虹塚先輩が追従しただけで、あの一瞬でアカリを除け者にしようなんて意志は働いていないよ。
狭い場所に三人で身を寄せ合って隠れているのは、結構きついものがあったので、とりあえず道に出た。
道の向こうを確認したが、当然のことながら、アリスの姿はもうなかった。そのことを確認して、一抹の寂しさを感じるとともに、ホッとしてしまっている自分もいた。
「これから、どうするの? さっきの彼女、きっと爽太君の家で、あなたが帰ってくるのを待っているわよ」
「……でしょうね」
敢えて追おうとしなくても、家に帰ればアリスが待っている。でも、今は会いたくなかった。いつもは常に側にいてほしいと思うアリスと、今は会いたくなかったのだ。
「しばらく外で時間を潰そうと思います」
不味いと思いつつも、言ってしまった。やはり、今の俺はアリスを避けている。