第六十五話 隠し事の告白は、ぶらり旅にて 後編
学生のくせに、学校をサボって、アリスと宛てのないデートに出かけた。ガラガラの電車から外を見ていたら、観覧車を見つけたので、彼女と二人きりで乗ることにしたのだ。
外の景色を見ながらはしゃいでいたら、あっという間に一周目が終わった。降りようとしたのだが、アリスが望むので、そのまま二周目に突入。観覧車が再び上空に向かって動き出したところで、深刻な顔になり、これからとんでもないことを言うと予告してきたのだった。
二人きりの時間に浸って、幸せな一時を噛みしめていた俺は、突如暗転した急展開に、思わず固まってしまった。とんでもないことという単語に、嫌な予感を覚えたが、聞くのを拒否する訳にはいくまい。きっとそのことを、俺に話すために、ここまで連れ出したのだろうから。
今まで着丈に振る舞ってきたが、胸に秘めたことを口にしなければいけない段になって、不安が一気に噴き出したのだろう。今、アリスが泣いているのは、そういう訳だろうな。
大きく深呼吸をして、一度むせた後、アリスに話すように促した。
「……いいぞ。聞いてやるから、話せよ」
どんなことを話しても、怒らないから。そう言って、安心させたかったが、心臓が震えて、口に出せなかった。
「実はね……」
おもむろに唇を動かして、告白を始めようとするアリス。だが、気持ちの整理が、まだついていなかったのか、すぐ口ごもってしまう。だが、すぐに思い返して、ゆっくりと告白を始めた。
「一昨日と昨日、それぞれ一回ずつ、爽太君以外の男の人とキスしちゃった……」
「……何だと?」
アリスの揺れ動いている気持ちを察して、何を聞かされても動じないつもりでいたのだが、思わず強い口調で聞き返してしまっていた。
「つまり……、浮気したってことなのか?」
口から出たのは、浮気という単語だった。観覧車の中ということも忘れて、立ち上がろうとしてしまう。当然、カゴがグランと揺れてしまったが、今はそれどころではない。
「違う……!」
悲痛な声を出して、アリスもまた、立ち上がった。観覧車が再び激しく揺れた。
「浮気はしていないの。キスはしたけど……、相手が強引にしてきたの。私からした訳じゃない。信じて!」
信じてと懇願された。俺だって、自分の彼女の言うことだ。信じてやりたいよ。でも……、いきなり他の男とキスしたけど、本気じゃなかった。気持ちはまだあなたにあるから、信じてと言われたって……。
「しかも、二回目の時、誰かにその模様をカメラで撮られていたみたいなの」
実際は一回目もカメラに収められているのだが、アリスはそれを知らないので、こういってしまったのだ。もちろん、俺はさらに動揺して、ひっくり返りそうになってしまう。
「その画像を見たら、きっと爽太君。すごく怒ると思う。でも、信じて。私は自分からキスした訳じゃないよ。向こうから、強引にされたの……」
「……」
何をしている。気の利いた台詞を言って、アリスを安心させてやれよ。でも、頭の中が真っ白で、上手い言葉が浮かんできてくれない。
今の気持ちを正直に言うと、怒ってはいないけど、だからといって、アリスに何も黒い感情を抱いていない訳でもない。
「もしかしたら、数日中に、問題の画像が出回るかもしれないけど、私は……」
そこまで言ったところで、話を一度区切った。大きく息を擦ってから、続きを言うつもりらしい。
「自分からキスはしていない。爽太君に申し訳ないことをしたのは事実だけど、気持ちはあなたのままだから!!」
ちょうど観覧車が頂点に達する時だった。ここからは緩やかに下っていくだけだろう。
アリスが、俺以外の男とキスしている画像が出回る……。想像しただけで、不快になってしまうな。
嵐が去った後のように、小さな車内は、静まり返っていた。アリスは、俺の反応をひたすら待っているようだ。
「……正直、お前からの告白について、今のところ、何も言うことは出来ない」
俺の口から漏れた、否定的な言葉に、アリスの顔に絶望の表情が浮かぶ。
「でも、アリスの言葉を信じるように、努力はしてみるよ」
努力という言葉は、自分を励ますという意味も含まれていた。努力すると言ったが、最終的に出る結論が、二人にとって望ましいものである保証はない。悪い言い方をすれば、回答を保留しただけだ。だが、アリスは感謝してくれた。
「……ありがと」
涙でぐしゃぐしゃになった顔を拭こうともせずに、アリスが無理やりニッコリ笑った。その顔を見ていると、無性にいじらしくきてなってしまう。でも、同じくらい心が乱れるんだよな。
その後、また無言の時間が流れ、観覧車が地上に着くと、係りの人にお礼を言って降りた。
結局、その日は、それからどこかに行く気にはならずに、まだ人混みの目立つ電車に乗って、最寄り駅へと戻ったのだった。
途中、何度かキスしそうな空気にはなったのだが、他の男とアリスがキスしている映像が浮かんでしまい、唇が重なることはないまま流れた。
駅に着いてからは、アリスと別れて、部屋に戻って寝たんだろう。気が付いたら、ベッドで横になっていたので、きっとそうに違いない。ただし、駅に着いてから、そこに至るまでのことは覚えていない。
翌日、俺は昼過ぎになっても、ベッドから起き上がる気力が沸かなかった。二日続けて、学校を休むことになってしまったが、授業などどうでも良かった。
一日経てば、少しは衝撃が和らぐかと思ったが、相変わらず体が重い。彼女に浮気されるだけで、ここまで体が動かなくなるなんてな。俺も、結構脆い人間なんだな。自嘲的に笑ってみたものの、元気は戻ってくれなかった。
食欲も沸かないのか、腹も全然空かない。だからといって、何も食べないのは、体に悪い。とりあえず無理にでも、腹に何か詰めておくかと、動かない体で無理に立ち上がり、コンビニに向かおうと家を出る。
「ん……。何だこれ?」
部屋を出て施錠しようとしたところで、ドアノブに写真が二枚かけられていた。
「……」
一瞬こそ、何だろうと思ったが、すぐにそれが何なのか思い至ってしまった。すると、腹がキリキリと痛んだ。
どうしよう。このまま目を通すことなく、捨ててしまおうか。
『自分からキスはしていない。爽太君に申し訳ないことをしたのは事実だけど、気持ちはあなたのままだから!!』
昨日のアリスの台詞がフラッシュバッグする。
そうだ。アリスは浮気してないと断言してくれたじゃないか。だったら、こんな写真を見る必要もない。見たって、気分が悪くなるだけじゃないか。
意味がないと判断を下そうとしたところで、あることに思い至った。
そう言えば、アリスから強引に唇を奪ったのは、どこのどいつなんだ?
昨日は、衝撃のあまりに、頭が回らなかったが、本来なら真っ先に気にすべき情報の筈だ。
そいつが、今後もアリスにまとわりついてくる可能性はゼロではないのだ。それなら、目を光らせるために、誰なのかを把握しておかなければならない。
ゴクリと生唾を飲み込むと、ドアノブに引っかかったままの写真を、もう一度見やった。心臓がドクンと高鳴る。昨夜、水分補給をしていないために乾ききっている筈なのに、生唾が溢れ出る。
恐らく、この写真を見れば、その相手が分かる。と同時に、激しい怒りに襲われるだろう。きっと冷静ではいられないくらいの怒りの筈だ。
もし写っているのが会ったこともないやつだったらいざ知らず、もし知り合いだったら……。このままそいつの元へと直行することになるだろう。その後、どうなるのかは想像にかたくない。
震える手で、写真に手を伸ばす。
「何だよ、これ……」
想像通り、アリスが、俺以外の男とキスしている模様が収められていた。しかし、この写真……。見様によっては、双方の合意の元に行っているようにも見える。おかしい。アリスの話では、強引に迫られた筈だぞ。
もう混乱して、どうしていいか分からない。そもそもキスしているところを撮られたのは一回だけじゃなかったのか? 駄目だ。頭が混乱して、考えがまとまらない。
こいつ……。一昨日、俺に話しかけてきた糞ガキじゃないか。こいつがアリスの唇を……。
混乱した頭で、能動的に写真に目をやっていると、相手のことを思い出した。
俺を舐めたような目で見つめていた小学生じゃないか。
あの時は、どうしてあんな目をしているのか分からなかったが、今はハッキリと、その理由が分かる。そういうことだったのか……。