第六十一話 拓真との対峙と、それを見ていたアリスの行動
重いプリント類を運んでやると、アカリはお礼にジュースを奢りたいと言ってきたので、頂戴することにした。
そのアカリだが、ジュース代を小銭入れから出している最中に電話がかかってきた。それに出ると、携帯電話を片手にどこかへと歩き去ってしまった。あ、ジュース代はもちろんもらったよ。それだけなら、特に気にすることもないのだが、親友以外には、いつも丁寧語で話す彼女が、口調を荒くして話しているのが印象的だった。
「いつもあんなに大人しそうにしているアカリがあんな風に怒鳴るなんてな。人間、隠し持っている部分があるもんなんだな」
しみじみと語る木下と共に、頷き合った。
「怒鳴り散らしてはいないだろうけど、アリスだって、今頃怒気をはらんだ声で話しているんじゃないのか? 誰かさんの悪口を」
何の気なしに、木下が呟いた声にドキリとしてしまった。アカリの胸に顔をうずめたことを忘れた訳ではないが、確かにそれを笑って許してくれる訳がないとも思っていた。
「人はそれを「愚痴」というけどな……」
もしかしたら、怒りの度合いが強過ぎて、メーターを振り切ってしまい、笑顔になっていただけではないのか。そうなると、気持ちの落ち着いてくるはずの、今頃当たりに怒りがぶり返している可能性があった。
「俺……。アリスにもう一度謝って来るよ」
ボソリと呟くと、木下もそれが良いと同意してくれた。
教室に戻って、アリスの席に行ってみたが、空席のまま。ということは、まだ校内のどこかをぶらついていると言うことか? 校内にお気に入りのスポットがある訳でもないので、行きそうな場所に当てもない。こうなっては仕方がない。しらみつぶしに探すしかないか。
しかし、すぐに見つかると思われたアリスだが、なかなか見つからない。
ひょっとして、どこか物陰で、友人相手に愚痴をこぼしているんじゃないだろうな。俺が悪いから反論は出来ないが、出来れば勘弁してほしい。
ため息が漏れそうになるのを堪えながらも、アリスを探し求めたが、こういう時に限って全然見つからない。
もう自力で探すのは諦めて、携帯で居場所を聞いてしまおうと思い直していると、廊下の反対側から、小学生と見られる男子が歩いてくるのが見えた。
何でこんなところに小学生がいるんだ? 迷い込むようなところでもないよな。
不思議に思って、小学生をすれ違いざまに見ていると、向こうも俺の方を見つめているではないか。しかも、ニヤニヤと、人の神経を逆なでするような笑みで。しかも、こいつ。他にも生徒がいるにも関わらず、俺が注視する前から、俺のことを見ていたようなのだ。
最初は、このまま通り過ぎるつもりだったが、気が変わった。
「おい……。人の顔をじろじろと見て、何か用でもあるのか?」
大人げないとは思ったが、ガキの態度に腹が立っていたので、少々口調を荒くして話しかけた。
「いえ……。用なんてありません。生の晴島爽太先輩を見られたので、話題作りのために見つめさせてもらっただけです。僕の通う学校でも、あなたは人気者なんです。ただの通りすがりなんて、すぐに忘れてください」
何かと回りくどい言い方をする小学生だな。口調が丁寧なのは認めるが、どうも胡散臭いんだよ。お前くらいの年齢の糞ガキなら、見ず知らずの大人から話しかけられたら、まず「うるせー」って生意気な口をきくのが相場だろうが!
大体「ただの通りすがり」は、自分のことをそんな風には言わないんだよ。大抵は、俺の問いかけを無視して、歩き去るもんだ。
こいつは怪し過ぎる。俺と何らかのつながりがあって、それはこれから先も関わってくるものと見た。
「お前……、何者だ? 実は俺に言いたいことがあるんじゃないのか?」
俺の鋭い指摘に、ガキはビックリしたように目を見開いていた。俺にそこまで見抜かれるとは思っていなかったって顔だな。その驚きぶりを見ていると、してやったりという気持ちよりも、舐めやがってという怒りの方が強かった。
ガキはすぐに笑顔に戻ったが、返事はしてこなかった。推測すると、無関係ではないことは認めるが、何者なのかを教える気はないということか。ガキのくせに、いらない知恵をつけやがって、気に食わない。
「ねっ! 言った通りでしょ?」
私をここに引っ張ってきた友人が、廊下の先を指差しながら、得意げに話している。だけど、私は同様のあまり、友人の言葉に返事しているどころではなかった。
何をしているのよ、拓真君! よりにもよって、爽太君に接触するなんて。しかも、爽太君の表情から、あまり愉快な内容でないことが窺える。まさか私とキスをしたことを話したんじゃないでしょうね。
「爽太君が怖い顔をしている。このまま相手の小学生をぶん殴っちゃったりするのかな?」
友人は、どことなくそうなることを期待するような顔を、私に向けている。悪気はないんだろうけど、専業主婦並みに、揉め事やスキャンダルが大好物なのだ。本人にとっては、他人の不幸は蜜の味なんだろうけど、当人である私からしたらたまったものではない。
「あ、もう終わったみたいだね。そりゃ、爽太君だって、校内で小学生を殴る訳にもいかないものね。って、アリス?」
友人の相手をしている場合ではなく、私はその場を去りながら、携帯電話を操作していた。どういうことなのか、拓真君に問いたださなくては。
「あ! アリスさん。僕に電話してくれるなんて嬉しいです。これって、僕に気があるって……」
「ちょっと話があるの! 学校の近くにコンビニが会ったでしょ。今からそこに来て。私もこれから向かうから!」
私からの電話に、拓真君は声を弾ませていたが、今はそれどころじゃない。彼の話を一方的に遮って、こっちの要求をまくし立てると、電話を切って、全力で疾走した。
私がコンビニの前に行くと、既に拓真君が先に来ていた。こっちに手なんか振っているけど、その余裕は何なの!?
拓真君の元に行くと、彼の手をガッシリ掴むと、一分でも学校から遠ざかるべく、また走った。さっきから走ってばかりで、息も上がっちゃっているけど、それでも走った。
「ど、どうしたんですか? いきなり呼び出したと思えば、会うなり、人の手を掴んで走り出すなんて」
「話があるの。でも、ここじゃ不味いから、学校から離れたところまで移動しているのよ。黙ってついてきなさい」
「え? それって、期待していい内容ですか?」
私の台詞を邪推して、そんなことを漏らす拓真君に、またイラッとした。
「もう一度だけ言うわね。黙ってついてきなさい!!」
ヒステリックに叫ぶと、これ以上私を怒らせるのは得策ではないと察したらしい。その後は大人しくなった。
「アリスさん。ここ、ファーストフード店ですよ?」
「ええ。ここでお話ししましょう」
「授業は良いんですか? まだ正午を過ぎたばかりですよ?」
「いいのよ。後で友人にノートを見せてもらうから」
学校の授業なんて出なくても、教科書とノートを見れば、大体網羅できる。一回出ないくらいでどうなるものでもない。というか、その台詞、そっくりそのままあなたに返すわ。
「お金のことは心配しなくていいわ。私が払うから」
「あの……。僕が心配しているのは、そういうことじゃなくてですね……」
拓真君にしてはおどおどしているけど、だから何なのと、彼の手を引いて店に入る。
途端に、店員からの厳しい視線が飛んできた。ああ、そうか。私たちのことを、授業をサボって来店した小学生のカップルと思っているのね。授業をサボっているのは事実だけど、小学生と間違えるのは見過ごせないわ。
私は大股でレジに向かうと、テリヤキバーガーセットを二つ注文した。女性の店員が何か言いたそうにしていたが、「文句あるの?」と睨むと、人が変わったように怯えて、会計を済ませていたわね。
「アリスさんって、結構強引なんですね。でも、そういう気の強いところは好印象です」
拓真君は感動しているのか、呆れているのか、どちらとも取れるような顔で、私を見ていた。爽太君に接触するほどの度胸がありながら、こんなことで動揺しているのを見ると、何か笑えるわ。
料理をテーブルに運ぶと、私は早速さっきのことを問いただした。
「どうして爽太君と接触したの? 偶然会ったなんて言わせないわよ。わざと会ったんでしょ? それに、爽太君をかなり怒らせていたみたいね。どういうことなのか、説明してもらうわよ」
全部話すまで、この店から出さないくらいの強い態度で、拓真君と向かい合った。
「敵前視察というものですかね。これからアリスさんをめぐって争うことになる訳ですから、どう言う人なのかを見ておきたかったんですよ」
そんなことだろうと思ってはいたけど、こうして言葉にされると、聞いていて頭が痛くなっちゃうわね。
「あなたが、私に気があるのは知っているわ。だったら、もっと私に気にいられるために、行動を慎むべきなんじゃないの?」
彼の行動は、派手過ぎる。私の気持ちなんてお構いなしに、突拍子もない行動に出るので、振り回されるこっちはイライラと疲れが募っているのよ。
「やり過ぎたとは思っていますよ。でも、穏便に言い寄っても、あなたと爽太さんの間に割って入ることは出来ないでしょ。というか、下手をしたら、相手にされないかもしれない」
拓真君の言い分はもっともだ。仮に穏便に近づいてきたところで、私の気持ちは動かないだろう。ただし、だからといって、こういうやり方で動く訳もない。
「僕は彼氏のいるアリスさんを口説こうとしているんです。言い方を変えれば、彼氏からアリスさんを盗ろうとしている。爽太さんが気付いたら、血眼になって止めに入るでしょうね。そうなれば、穏便なんて言っていられない。分かります? どの道、遅かれ早かれ強引に打って出ることになるんですよ」
「だから、早めに打って出たと言いたいの? 私の気持ちも考えずに。先手をとっても、私がなびかなければ意味がないという点には目がいっていないのかしら」
遠回しに、あなたには気がないから、無駄なことは止めろと諭したわ。拓真君は賢いから、言いたいことは察してくれるでしょう。でも、彼は強引だから、これで退くようなこともない。実際、拓真君は全く動じていなかったわ。
これは長期戦になるなとため息交じりに覚悟を決めたんだけど、彼の本当の狙いが、私と爽太君の仲を引き裂くことだということには気付いていなかった。
そのため、私は悲しいことに、彼と意味のない会話に時間と労力を割くことになってしまったのだ。