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第五十九話 うやむやの残る裁定と、陰りを含んだ彼女の笑み

 一人でプリントを持つ仕草が危なっかしかったため、アカリを手伝ってやっていたが、階段を上っている途中に、バランスを崩して転倒してしまった。


 それを俺が抱き留めて、事なきを得たのだが、その際に、アカリの胸に顔をうずめることになってしまった。ラブコメにありがちな展開だ。女子生徒を救ったご褒美かなと、呑気に考えていると、その場面をアリスに見られてしまう。


 うわ! 絶対に鼻の下が伸びているところも見られたよ。死刑確定じゃないか。せっかく事なきを得たと思っていたのに、結局は事が起こってしまったということなのか。いや、ふざけている訳じゃないよ。混乱しているだけだ。


「ア、アリス。これはな……」


 言い訳をしようとするが、舌がもつれてしまい、話を噛んでしまう。何を動揺しているんだよ。これじゃ、やましいことをしているみたいじゃないか。いや、やましいことは、やましいことなんだけど、わざとやった訳じゃない。それをアリスに説明しなくちゃいけないのだ。


「俺は止めろと言ったんだけど、爽太のやつが聞いてくれなくて……」


「おい! 何を言っているんだ。俺を陥れているんじゃねえよ! 違う。違うんだ、アリス! 嘘はつかないから、俺の話を聞いてくれ!」


 聞いてくれたところで、死刑は免れないと思うが、精神的に追い詰められて軽いパニックを起こしていた俺は、必死になって訴えた。犯罪で捕まった加害者もこんな気持ちなのだろうかと、あまり意味のないことが頭をよぎっていた。


「あ、あの……、爽太君……」


 俺にのしかかったまま、アカリが心細そうに呟いている。この状況じゃ、アカリも共犯に見えてしまう。そうなると、一緒に制裁を受ける危険もある。今にも泣きそうな声なのも頷ける……。


「あ、あられもないところを、彼女に見られてしまいましたね」


「ああ……。信用してもらえないとは思うけど、やるだけのことはしないと。だって、さっきのは事故だし……」


「でも、アリスさんが信じてくれるかどうかは分からないんですよね。聞く耳を持たずに、激怒して、襲ってくるかも……。こ、こうなったら……。開き直って、イチャイチャ……」


「しないよ!? 俺、そんなことはしないから。だから、早くどいて!」


 開き直って、とんでもないことを提案してきた。木下だったら、首を縦に振っていたかもしれないが、俺はというと、一刻も早くアリスに駆け寄って頭を下げたかった。なので、未だに乗っかかっているアカリに、早急にどくように促した。


 ようやくアカリの拘束から逃れると、俺は一目散にアリスの元へと駆け寄った。


「あ、あのな……。これには、深い訳が……。いや、見ての通り、階段から足を踏み外したアカリを抱き留めたら、ああなっただけで、決して、故意でやった訳じゃ……」


 後から思い返すと、顔から火が出そうになるくらいにわざとらしい言い訳を、とにかく思いつくままに必死に連呼した。きっとアリスから見ても、相当痛々しく見えたに違いない。


「でも、ラッキーだと思ったのは事実だよな」


「うるさい! 弁解に協力する気がないなら、お前、どっかに行きやがれ!」


 この状況を明らかに楽しんでいる木下に対して、つい声を荒げてしまう。思い切り威嚇してやった後、アリスに向き直ると、また平謝り。自分で言うのも何だが、結構忙しいことをしているな。


「……こんな感じで、さっきの状況になってしまった訳だ。何が言いたいのかというと、わざとやった訳じゃないんだ。さっきから同じことばかり言っていると思っているだろうけど、あれは事故だったんだ!!」


 思いつく限りの言い訳を終えた俺は、この後の処遇を、全てアリスに託した。こうなった以上は、彼女の寛大な心に頼るのみなのだ。……たぶん無理だと思うけど。だって、言ってから気付いたけど、「あれは事故だった」って、浮気男が吐く、嘘の代名詞みたいな台詞じゃないか。


「そ、そんなに、頭を下げなくていいよ」


 鉄拳を覚悟して、歯を食いしばっていた俺の耳に、最初に入ってきたのは、女神が乗り移ったのではないかと思われる慈悲の一言だった。


「わざとやった訳じゃないんでしょ? 事故だったら仕方ないよ」


 「仕方がない」。アリスの放った信じがたい言葉が、俺の脳内で何度も反復される。


「待て、アリス。こいつを信用する気なのか? それは駄目だ。考え直せ。階段から落下する女子を抱き留めたら、ああなっていたなんて、現実の世界で起こると思うのか? こいつの狂言に決まっている!」


「お前、本当に黙れ……」


 アリスの寛大な処置に納得いかない木下が、裁定のやり直しを求めていたが、どうやら俺の言い分を聞き届けてくれたみたいだ。


「あ、ありがとう、アリス。信じてくれて」


「爽太君ったら、大袈裟だよ。事故なんだから仕方がないじゃない。そう、事故なんだから。わざとじゃないんだから」


「……?」


 何事も起こらず、ホッとしていたが、アリスが「事故だから」とか、「わざとじゃない」と言ったのが、妙に気になった。俺のたどたどしい言い訳を反復しているようにも聞こえるが、気のせいだろうか。自分自身にも言っているようにも聞こえるのだ。無論、気のせいであってほしいが。


 ふと、昨日の帰りに、アリスの様子がおかしかったのを思い出した。俺には何も教えてくれないけど、アリスの様子がおかしいんだよな。


 無事に済んでくれたけど、アリスの様子が気になって、どうもスッキリしない。明らかにおかしい。ひょっとして、何かあったんじゃないだろうか。


「ゆ、許してくれて、ありがとう。今後は気を付けるよ……」


「そうだね。いくら事故といっても、彼氏のああいう姿は見ていて、良い気がしないから、気を付けるのは忘れないでね」


 にっこり笑って、釘を刺されたが、その笑みも、どこか無理をして笑っているような気がする。


 アリスは授業があるからといって、そのまま立ち去っていったが、怒りの収まらない木下はまだぶつぶつ言っている。どうして、こいつがアリスよりも怒っているんだよ……。


「くそ……。ラッキースケベの上に、彼女からも御咎めなしだと? この全男子の敵が……」


 木下が親の仇を見るような目で、俺を睨んできている。こいつの怒りを、この身に受ける気は一切ないが、確かに的を得ている。今となっては御咎めなしで済んだことでさえ、むしろ気になり始めていた。いつものアリスだったら、今頃、俺は生傷を数えきれないくらい作られていただろう。さっきまで必死になって避けようとしていたそっちの未来の方が、後々は良い方向に進んでくれたんじゃなかろうか。


「そ、爽太君……。こんなことがあったばかりで悪いんだけど……」


 物思いにふけっていると、アカリが不安そうに話しかけてきた。そうだ。プリントを運んでいる最中だったのだ。今のドタバタで、手伝うのを止めたと言われないか不安になっているのだろう。こういうところは、しっかりしているよ。


 俺は脱力しそうになりながらも、再度床に散らばったプリントを、また拾い上げたのだった。







 どうしよう……。拓真君にキスされた時の感触が、まだ唇に残っているよ。


 一日たったのに、その感触は消えるどころか、さらに強まってしまった。不謹慎なことなんだけど、爽太君とのキスよりも、強く印象に残っているかもしれない。


 雑念をどうにかして振り切ろうとして、授業の合間に、校内を歩いて、落ち着こうと努めていたら、爽太君がアカリさんと事故とは抱き合っているところを見てしまった。


 頭に血が上って、すぐに爽太君を引っぱたこうとしたんだけど、昨日のことが頭をよぎって、出る寸前だった手がピタリと止まってしまったのだ。


 私だって、爽太君を裏切るようなことをしているじゃない。たとえ、故意じゃないにせよ。私の前で、必死に言い訳をする爽太君。そんな彼の口から、「わざとじゃない」と言われた時、私はもう、怒ることが出来なくなっていた。そして、不本意ながらも、許すと言ってしまっていたのだ。


「大丈夫よね。爽太君、しっかり反省していたし。これで調子に乗って、女の子と遊ぶようなことはしないよね……」


 信じたかったけど、最近の彼は私以外の女子と接する時間が増えている気がする。もしもの事態が起こりそうな気がして、不安でならなかったのだ。


「どうしたんですか、アリスさん。そんな顔をして」


 今一番聞きたくない声を聞いて、ドキリと立ち止まる。俯いていた顔が命令をされたように、前を向く。何とか堪えたが、もう少しで悲鳴が漏れるところだったわ。


「拓真君……」


 昨日、私の唇を奪った年下の子が立っていた。どうしてここにいるの? この子、中学生でしょ!?


「来ちゃいました。アリスさんに会いたくて」


 ずいぶんあっさり言ってくれるわ。落ち着き払ったその態度が恨めしい。私は今にも心臓が破けそうなくらい振動しているというのに……!


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