第五話 彼女を守るために、俺は許嫁探しを決意する
俺はアリスとアキの姉妹を伴って、病院へと向かっていた。早退することを、学校に報告するのを忘れたけど、まあいいだろ。サボったことにしてしまえば。
「病院まで少し歩くけど、喉は乾かない? そういえば、昼飯もまだだよね。お腹は空いていない? 病院の前にファミレス行こうか?」
「いいですねえ~!」
「アキには聞いていない。大体君はさっき弁当を食ったばかりだろ」
「だ、大丈夫です。私にお気遣いなく……」
記憶を失ったアリスは別人のように、大人しい。さっきお腹が鳴ったから、腹ペコの筈なんだけどな。
無理をしているのは明らかだったので、ジュースを三人分買って、半ば無理やり渡した。そうでもしないと、今のアリスは受け取ってくれないからな。
「でも、お姉ちゃんが飲んじゃったのって、非合法の薬なんですよね。治療薬なんて存在するのかなあ?」
「存在しなくても、医者には見せた方がいい。プロに判断してもらった方が後々のためだ」
もっとも頭を強打した方が良いなんて言われたら、医者の頭を強打するつもりだけどね。
「お~い! 待ってくれ~!」
学校を出てしばらく歩いたところで、後ろから追ってくる者がいた。
「む! こっちに向かってくる者がいますね。お姉ちゃんの記憶を奪った犯人でしょうか?」
「いや……。自ら名乗り出てくるくらいなら、無人の教室に呼び出して、薬を飲ませたりしない。もっと堂々と仕掛けてくるよ。それにあいつは知り合いだ」
追いかけてきているのは木下だった。遅ればせながら、俺のメールを呼んで駆けつけてくれたのだろう。
俺たちが立ち止まって待ってやると、向こうはすぐに追いついてきた。学校を出てから、ずっと走っていたのだろう。しばらくは膝に手を置いて、呼吸を整えるのに必死だった。
「遅かったな」
呼吸が落ち着いてきたのを見計らって、声をかける。
「さっきは呼び出しを無視して悪かったな。授業を抜けられなくてよ……」
木下にしては珍しく、申し訳なさそうに、後頭部を右手でさすりながらの登場だ。無理を言ったのはこっちだし、仮に来なかったとしても怒ったりはしないよ。
「こ、こんにちは……」
「あ、どうも……」
アリスは、木下のことも忘れてしまっているので、初対面の相手として、恐る恐る挨拶をしていた。木下も、いつもと様子の違うアリスに、おっかなびっくり挨拶を返していた。
「マジで記憶喪失になっちまったんだな。実際に目にするまでは信じられなかったけど、これで信じざるを得なくなっちまったな」
物珍しそうに、アリスのことを頭の上から爪先までじろじろと見つめる。あまり見つめすぎて、アリスが怯えだしてしまったので、さすがに止めた。
「何か……。記憶を失ったアリスって、妙に礼儀正しいな。前のアリスより、こっちの方がいいかも……」
「あ、木下さんも思った? 実は私も……」
そこまで話したところで、二人の会話が止まる。俺が咳と一緒に、一睨みしてやったらからだ。
「俺はどっちのアリスも好きだ。でも、記憶は戻す!」
「分かってるって。そんなに怒るなよ……」
病院に到着すると、早速受付に向かった。結構混んでいたので、二時間待ちも覚悟したけど、予想に反してすんなりと名前を呼ばれた。本当はアリスだけでいいのだが、俺も付き添いで入ることにした。それに加えて、アキと木下もどさくさに紛れてついて来ようとしていたため、お引き取り願った。
案内された部屋には女医さんが一人座っていた。てっきり年配のおじいさんが据わっていると思っただけに意外だ。
「ごめんね~、待たせちゃって。退屈だったでしょ。痛くしないから、心配しなくていいのよ~」
明らかにアリスを子ども扱いした言動で話しかけてくる。受付で、高校二年と記載しているのに、見てないんだろうか。
第一印象から最悪だったけど、診察自体はちゃんとやってくれた。腐っても医者といったところか。
「そっか~。あの薬を飲んじゃったのか~。ニュースでも取り上げられていたのにな~。アニメばかりじゃなく、ニュースも観ないと駄目だよ」
「あの……」
「君にも言っているのよ」
あまりアリスを子ども扱いするなと嗜めようとしたら、逆に嗜められてしまった。もしかしたら、アニヲタと思われているのかもしれない。それにしたって、この話し方はないけど。
「それで……、治療薬はあるんでしょうか?」
いつものアリスなら、子ども扱いされることに耐えきれず、癇癪を起こして、今頃は病院を後にしているのに、気にする素振りも見せない。落ち着いた様子で、女医さんに質問していた。
「う~ん。あるって言いたいんだけどね~。実はないのよ~」
一応は期待していただけに、返答には少なからずショックを受けた。
「一生記憶が戻らないってことですか?」
「そんなことはないわ。明確な治療薬がないってだけで、自然治癒は十分可能よ。ただし、多少の個人差はあるけどね~」
個人差か。女医さんの言う多少がどれくらいなのか分からないけど、あまり時間がかかってほしくないな。
「力にはなれなかったから、診察代はタダで良いわ。どうしてもっていうなら、精神安定剤くらいなら出せるけど~?」
精神安定剤など気休めにもならないので、謹んで辞退した。それにしても、診察代はいらないとは、口の割には太っ腹な人だな。そう思って、一礼した後、部屋を出ようとしたところで、また声をかけられた。
「優しいお兄さんを持って、君は幸せね」
「あの……。俺たちは兄妹じゃないですよ」
付き添いで入ってきたせいで、間違えられたのかと思い、ちょっと強めの口調で付け加えると、「知っている」と返された。
この人……。知っていて、からかっていたのか……。
怒りが沸いてきたが、今はこの人に怒っている場合じゃない。なんとか我慢して部屋を出ると、アキと木下が待っていた。
「どうだった?」
開口一番に聞かれたのは、やはりそれだった。俺は女医さんに言われたことを、そのまま伝えた後、女医さんの性格が最悪ということもそれとなく付け加えた。
「やっぱりなかったか……。まっ、期待していなかったから、ショックはないけどね」
「性格が悪くても、あのプロポーションは無視できないぜ。安曇さんや、虹塚先輩よりも、胸の大きな人を見たのは初めてだ」
「お前はどこに注目しているんだ?」
「不謹慎です」
「ははは……、悪い」
アリスとアキも一緒になって、木下を責める。胸の話題が相当お気に召さないらしい。
「とにかくだ。記憶が戻るまで、私がお姉ちゃんの世話を務めさせてもらうよ。臨時のお姉ちゃんとしてね!」
「いや、それはいい。お前、本当にお姉ちゃんとして君臨するつもりだろ」
さっきも、下剋上がどうとか宣言していたしな。それに、本気だったとしても、アキに任せたら、アリスが駄目人間になってしまう。
「む~! 私って、信用がないなあ」
「普段の行いの賜物だよ」
「しかし、アリスの記憶の抹消を仕掛けてくるなんて、お前の許嫁も思っていたよりやばい相手だな。無視する以外の手を考えなきゃいけないんじゃないか?」
「ああ……」
もちろんそのつもりだ。俺がアリスと別れない以上、これからも仕掛けてくる筈だ。向こうが本気だと分かった以上、こっちも覚悟してかからせてもらう。
「絶対に”X”を見つけ出して、こんな馬鹿なことは止めさせてみせる!」
「”X”?」
「俺の許嫁を、これからそう呼ぶことにした」
許嫁と呼ぶと、俺との関係を認めているみたいで嫌なのだ。ただ、木下はかなり怪訝そうに俺を見つめてくる。
「……後にも先にも、許嫁をそんな風に呼ぶのはお前くらいのもんだぜ」
「こんな馬鹿な犯人探しゲームをするのは、俺くらいのもので良いよ」
本当なら、俺もしたくはなかったんだけどね。
「いいですねえ! 犯人当てゲームってやつですかあ。私もお姉ちゃんの恋を成就させるために、微力ながら協力させてもらいますぜ、お義兄さん!」
「乗りかかった船だ。俺も手を貸すよ」
「二人ともありがとう」
ありがとうとは言ったが、二人共ただ単に楽しそうだから手を貸しているというのは、何となく伝わってきた。でも、それでもいい。Xが単独でくるとも限らないしな。もしもの時のために、人数は揃えておくに越したことはない。
こうして、俺の許嫁探しは幕を開けた。
登場人物が増えてきたので、「登場人物紹介」でも作ろうかと考えています。