第五十七話 大切な彼氏に、隠し事が出来た夕方
暑い日が続く中、アキからアイスを無心された。断ればいいものを、人の良い俺は、流されるままにアキにアイスを奢ることにした。
放課後、暑さが幾分か和らいできた街中を、アイスを歩きながら頬張っているアキを連れて歩いていた。
「ふぃ~! お義兄さんのおかげで、冷たいものを堪能することが出来ました! このご恩は一生忘れやせん!」
「ああ、そうか。そりゃ良かった」
一生忘れないとか抜かしているが、家に帰る頃まで覚えていたら上出来かね。
ていうか、アイスを三つも奢らされた。こいつ、自分の金じゃないとなると、途端に胃袋の容量を広げやがるな。口では満足したと言っているが、まだお代わりを要求してくる可能性も否定出来ない。油断は禁物だな。
「あ~あ、同じ遺伝子で作られている筈なのに、どうしてこんなに違うものなのかね。アリスはこんなにがっついたりしないのにさ」
「む~? そんなことないですよ~。ほら! 海の家で、お義兄さんそっちのけで、人形を食い入るように見つめていたじゃないですか。お義兄さんが買ってあげようかと言った途端に、目を輝かせていましたよね。要するに、欲しいものが違っているだけです。それを目の当たりにした時の反応は姉妹で同じですよ。見境がなくなります!」
アキの言っていることは、一応筋の通っていることなので、俺は反論が出来ずに押し黙ることになってしまった。
……アリスの話題で話していたら、会いたくなってきちゃったな。海と違って、制限がかかっている訳ではないので、思い切ってこれからデートに誘ってみるか?
どうしよう。いきなりで迷惑がられないかな? まさに人形絡みの件で、アリスが俺以外の男から誘惑されているとは夢にも思わずに、俺は電話しようかどうかに、頭を悩ませていた。
その頃、私は偶然知り合った拓真君という中学生と、コーヒーを飲みながら、人形談義に花を咲かせていた。爽太君以外の男の子と二人きりになることへの抵抗はあるけど、人形のこととなると、止まらなくなっちゃうのよね。
じっくり話してみると、拓真君の人形に関する知識はなかなかのものだった。家にはコレクションルームまであるみたいで、収集している人形もかなりの数に上るらしい。
「羨ましいわ。私は自分の部屋くらいしか置く場所がないから、数が置けないのよ」
「そうなんですか。家族に理解がないと、収集部屋は確保できませんからね。どうです? 今度コレクションルームを見てもらえませんか?」
「本当! 是非見せてもらいたいわ……!」
本当に何の気なしに、そんな言葉が口から洩れてしまった。純粋に人形を見てみたいと思っただけで、あまり深く考えずに発言したのだ。
「そうですか! それなら、今度と言わずに、今から来ませんか?」
「え……?」
どうしよう……。行きたいと言ったのは本音だけど、そう言われると、途端に口ごもってしまうわ。
「も、門限があるから、もう帰らないと……」
本当は、門限までには余裕があったけど、口実造りのために簡単な嘘をつくことにした。
「そうですか。すごいものをお見せできると思ったのに、残念です」
私が断ると、拓真君は本当に残念そうにしていたわ。その姿を見ると、何か悪いことをした気になっちゃう。彼って、母性をくすぐるところがあるのよね。
どう声をかけた者かと思っていると、携帯がメールを受信した。爽太君からだった。今から合わないかという内容の呼び出しだった。
「彼氏からですか?」
「えっ!? ……まあね」
一瞬、口ごもってしまったが、結局認めてしまった。私は気恥ずかしさから、曖昧に笑って、視線をずらしてしまい、拓真君の目が怪しく光っているのを見逃してしまった。
「……やっぱりアリスさんみたいな素敵な女性には、彼氏がいるものなんですね」
「え? やだ! 素敵な女性なんて……」
そんなことを言われたことはないので、柄にもなく心臓が高鳴っちゃうわ。相手は年下の子なのに、みっともない。
「今のメール、彼氏からの呼び出しとお見受けしました。これ以上、引き留めているのも迷惑です。もう店を出ましょうか」
「え、ええ……」
空気を呼んでくれた拓真君は、私を促して店から出ようと言い出した。話しぶりから、少なからず私に気が合ったのが頷けるわ。結果的に弄ぶことになっちゃったのね。私ったら、悪い女。
この時点で、私は拓真君を年下の礼儀正しい子とみなしていた。声をかけられた時に抱いていた警戒心は、とっくに緩んでいる。これがいけなかった。
「ねえ、アリスさん」
店を出て、もう別れる段階になった時に、おもむろに拓真君が話しかけてきた。
「なあに?」
私が軽い気持ちで返事をすると、真面目な顔で、丁寧な字で書かれた紙を渡してきた。
「僕の携帯の番号とメルアドです」
「え……」
そのメモの意味が分かってしまった私は、思わず受け取るのを渋ってしまった。しまったと思ったわね。いくら、同じ悩みを共有してそうだからといって、何の下心も持たずに、話しかけてくる訳がないじゃない。
「あ、あのね……。気持ちは嬉しいけど、私ね。彼氏が……」
そこから先を言うことは出来なかった。拓真君が自身の唇で、口を塞いできたから。
「……!」
「僕は本気です。アリスさんは気付いていないかもしれませんけど、さっきの店で、何度か姿を見かけているんです。彼氏がいるのを承知で、今日声をかけたんです」
そう言って、メモを強引に握らせると、そのまま走り去ってしまった。
本当なら、追いかけてでも、拓真君とは付き合えない旨を説明しなきゃいけないのに、私は電気に貫かれたように、固まって動けなかった。
彼の姿が見えなくなってからも、私はぼんやりと突っ立っていた。結構混雑している道だったので、ど真ん中で立ち尽くしている私は、かなり邪魔だっただろうな。
でも、私の時間は、拓真君とのキスから停止したままだった。
「あ! あそこでお姉ちゃんが小さくなっている。……って、元からか」
どれくらい時間が経ったのだろうか。前方から、人の尊厳を根本から否定するような失礼な声が聞こえてきた。どこの子供かと思えば、私の妹だった。
「姉に対して失礼だぞ、お前!」
無礼なアキの頭をはたいているのは、爽太君だ。……出来れば、今は会いたくなかった人だ。
「よお! こんなところで会うなんて、奇遇だな!」
「……そうだね」
視線を、アキから移すと、私にニッコリとほほ笑んできてくれた。
「これならメールを送るまでもなかったな。見ただろ? さっきのメール」
私に笑いかけてきてくれる爽太君の顔は、いつもと同じ。なのに、嬉しくないのは、私に後ろめたいことがあるからだろう。
「……どうかしたのか?」
顔を見つめるだけで、黙ったままの私の様子が気になったのだろう。爽太君が心配を含んだ顔で、尋ねてきた。
「……」
答えに窮してしまう。
どうしよう。今あったことを正直に話してしまおうか。一方的にキスをされただけなんだし、私は後ろめたいことなんて何もしていないのだ。
「えっとね……」
……駄目だ。正直に言ったら、爽太君は拓真君の後を追う。彼、許嫁ほどじゃないけど、結構嫉妬深いのだ。拓真君を庇う訳じゃないけど、揉め事に発展してほしくない。
「な、何でもないよ……。何にも……」
「そうか? そういう風には見えないけどな。まあ、相談したくなったら、いつでも言ってくれよ」
「そ、爽太君は心配性だなあ。心配ないって」
やはり不自然だったのか、爽太君は苦虫を噛み潰したような顔のままだ。いつもなら茶化してくる筈のアキまでが、真面目な顔でじっと見つめているのが息苦しく思える。頼むから、何か馬鹿なことを言って、この空気をどうにかしてよ。そういうの得意でしょ、アキ!
「お姉ちゃんが心配ないって、言っているから、大丈夫だと思いますよ」
「そうかあ?」
「ていうか、お姉ちゃんが持っているメモは何ですかい?」
「……!」
アキが一言付け加えてくれたおかげで、完全に疑いが晴れた訳ではないにせよ、この話題はお開きになった……、と思った矢先に、メモのことを聞かれた。それを慌てて隠したせいで、却って不審の目を向けられることになってしまう。
「お姉ちゃん、怪しい……」
「あ、怪しいって何がよ!」
今更正直に話すことは出来ないので、口調を厳しくして、無理やり白を着ることになってしまった。何をやっているのよ、私は。
それに……、爽太君に、嘘をついちゃった……。
この場で本当のことを言えなかった以上、余程のことがない限り、もう真実を言うことはないだろう。つまり、隠し事を抱えたまま、爽太君と付き合っていかなきゃいけないということだ。それを考えると、胸が締め付けられるような思いだわ。
「うふふふ! 良いものを撮らせてもらったわぁ~!」
私が爽太君たちと話す様子を、双眼鏡を通して、満足げに見つめているのは、爽太君の許嫁である「X」だった。自分の思い通りに事が進んで、満足そうなのが気に食わないわ。
「僕、あなたの役に立てましたか?」
「ええ、とっても。この調子で、どんどん私のために働いて頂戴」
拓真君を自分の膝枕に寝かせて、頭をさすってあげると、彼は子供のような声を上げて、気持ちよさそうに唸っていた。
「でも、あなたにとっては、せっかく見つけた同じ趣味の持ち主なのに、心苦しいんじゃないかしら」
拓真君が私と楽しくお話しするのを鑑賞していた「X」は、彼に情が発生していないか確認する意味も込めて、そんなことを聞いた。心苦しいので、私から手を引くようにと言われたところで、聞き入れるつもりはないというのに、意地の悪い質問をするわ。ただ、そういう心配は全くの杞憂だった訳だけどね。
「いえ、全然興味ないです。僕、こんな外見なんで、大人の女性に憧れているんですよ。おチビちゃんは対象外です。だって、子供同士がつるんで歩いているみたいで、軽く見られるじゃないですか」
「それなら言うことはないわ」
満足のいく回答をもらうと、「X」はにっこり笑って、撮ったばかりの画像を見返した。
「これであなたに致命傷を与えてあげる。爽太君も心に傷を負うけど、私がしっかりとアフターケアしてあげるから、心配することはないわ」
私は、とんでもない相手に、弱みを握らせてしまったのだ。迂闊という言葉では、とても足りない。現に、私の首はこの日からどんどん締まっていくことになる。