第五十五話 背伸びしたいアリスと、揚げ足を取りたいアキ
海でアリスと雑談の花を咲かせていると、アキが中肉中背のおじさんに言い寄られているのを見つけた。断るかと思っていたら、アイスを提示された途端に、まんざらではない反応を示しやがった。犯罪の匂いも漂ってきていたので、傍観せずに止めに入ることにした。
「す、すいませんでした~!」
俺がすごむと、おじさんはあたふたと足をもつれさせながら、逃走していった。あの体型であんなに早く動けるのかと感心してしまうくらいに素早かった。
「何をしているのよ。あんなのに付きまとわれるなんて」
おじさんが消えたのを見計らって、追いついてきたアリスが、自分も同じおじさんに言い寄られていたことは棚に上げて、アキを叱咤した。しかし、アキはアイスに未練があるのが、ご機嫌斜めだ。
「もう少しでアイスを奢ってもらえたのに……。せめてその後に来て欲しかったです~」
俺は爽やかな笑顔で、アキの両側の頬を掴むとつねりあげた。
「アイスと引き換えにどんなことをされると思っているんだ? たかだか百円のアイスのために、危険な目に遭うんだぞ? もう少し自分の体を大事にしようなあ?」
「わ、分かりました。分かりましたから、手を離してください。痛いっす~!」
アキが俺たちの親心を理解してくれたようなので、優しい気持ちで手を放してやった。本当に痛かったらしく、アキはしばらくつねっていた部分をさすっていた。
「全く……。夏の海だからって羽目を外し過ぎよ。高校生だから大丈夫かと思っていたけど、これじゃ私の目が光るところに置いておかないと駄目ね」
「む! 失敬な、私にだって、男を見る目はありますよ?」
アキは猛然と反論していたが、さっきの光景を見た後では虚しく聞こえるだけだ。アリスもすかさずそこをついた。
「あんたは、アイスで釣られなくても、ナンパされたことに舞い上がって、誰彼構わずについていきそうね」
「お姉ちゃん。自分が見向きもされないからといって、ひがむのは良くないですぜ」
アキの毒のある一言に、アリスのこめかみがピクリと動いた。噴火するかと思ったが、まだ堪忍袋には余裕があったようだ。怒鳴ることなく、逆に笑顔で取り繕って、自慢話を始めた。
「残念だったわね。私は今日、何度もナンパされているのよ。嘘だと思うのなら、爽太君に確認してみなさいな。実を言うと、あまりにもしつこいやつを一人追っ払ってもらっているのよ」
ナンパの回数を五回と明言することなく、「何度も」とぼかしたのは、話を大きくしたかったからだろう。「マジですか?」と疑い深そうな目を向けられたが、事実だと断言してやると、アキは面白くなさそうな顔をした後、鋭いツッコミを返した。
「いやいや! 絶対に、お姉ちゃんを小学生とカン違いしたマセガキ君たちばかりですよね? どうせお姉ちゃんの実年齢を聞いたら、ドン引きして離れていく連中ばかりでしょ!」
「お、大人の人もちゃんといたわよ……」
アキのあまりにも的確なツッコミに、アリスが途端に圧され気味になってしまう。苦し紛れに大人も含まれていたというが、それがアキにも声をかけていたおじさんだということは伏せていた。
「ア、アキだって、実際に付き合ってみて、残念な頭の持ち主だって分かれば……」
「どうですかねえ? 女の子は多少お馬鹿の方が、人気があるって、いいますからねえ」
それには、俺も同意する。特にナンパする側からしてみれば、アキみたいに抜けたやつの方が釣りやすいだろうし、付き合うことになっても、操縦しやすいだろう。
「不思議なものだな。お前も、ナンパはあまりされないって言っていたじゃないか。それが海に来た途端、ナンパされまくるなんて」
俺が皮肉を言うと、その台詞を待っていましたとばかりに、顔をニヤつかせた。
「やっぱりぃ~! 去年とは決定的に違っているものがあるからじゃないですかねえ?」
そう言って、発育途中の胸を寄せた。まだガキで、平らだと思っていた胸が、かすかだが揺れたのには仰天した。一方でアリスは、自分が密かにやりたがっていたことを、妹に先にやられてしまったことで、何かがぷつんと切れてしまった。それが、堪忍袋が切れる音だということは想像に難くない。
アキの水着の胸元に手を伸ばすと、「これを外せばもっと揺らせるんじゃないの?」と据わった目で囁いたのには、傍観していた俺もビビった。
「ひっ、ひぃぃっ! ちょ、調子乗って……、しゅいませんしたっ!」
水着を掴まれた状態で、必死に許しを請う。余程怖かったのが、全身に鳥肌が立っているではないか。アキが本気で怯えているのを見て気が晴れたのか、アリスは水着からすっと手を放した。「最初からそう言えばいいのよ……」と無理やり勝ち誇っていたのが、子供っぽく見える。
アリスは勝利を確信したいのか、無理に笑顔を作っていた。
「何かのどが渇いちゃったわね。続きは冷たい物でも食べながら、話しましょうよ。何なら奢ってあげるわよ」
「お姉ちゃん、太っ腹! 私、アイスね!」
この奢るという行為も、アキに対して、自分が上だと印象付ける意味を含んでいるのだろう。今日のアリスはやけに必死だな。先ほどアイスを食べ損ねたアキは、当然のように所望した。
奢るという言葉に過剰反応を示すアキがやかましかったが、結果的には俺が奢ることになるのを知っているので、あまり嬉しくはなかった。
店員からすれば、俺とアリスはカップルではなく、兄妹と思われるので、どっちにせよ、俺が全額払うことになるんだよな。それで、子ども扱いされたことに憤慨したアリスをなだめつつ、食事。アリスの機嫌が直って、よし食べるかという段になる頃には、アキが完食しちゃっている……。
やば……! 未来予知に目覚めてしまったかのごとく、この後の展開が走馬灯のように脳内をよぎったぜ。
「ここよ。この家の焼きそばが、とっても美味しいのよ。お勧め!」
「へ、へえ……」
アリスが案内してくれたのは、昨日、修羅場になりかけた海の家じゃないか。どうしよう。一日しか経っていないんだから、絶対に俺のことを覚えているよ。また一悶着が起きちゃうよ。
「どうしたの? 青い顔をして。ほら、入るわよ」
「いや、その……。別の店にしない?」
「しない。他の店にしたい理由があるなら、聞くけど?」
昨日のことを言おうかどうか迷っていると、痺れを切らしたアリスとアキがさっさと先に行ってしまったので、仕方なく後を追わざるを得なくなってしまった。
案の定、カウンターで、昨日のおじさんにめっちゃ睨まれた。アカリは、今日は休みで店にいないらしく出てくることはなかったのが、不幸中の幸いだった。
不穏な空気はあったものの、オーダーは受けてくれたので、今日は料理にありつくことが出来そうだ。
数分後、店のテーブルに、幾つかの料理を前に腰を下ろすと、アリスに質問を浴びせられた。
「店のおじさんに妹ちゃんも大変だねって同情されて、涙ながらに焼きそばの大盛りを渡されたんだけど……、どういうこと?」
アリスから、かなりジト目で睨まれた。俺が浮気をしていないことは分かっているが、ヘマをやらかしたことも分かっていると、目が告げていた。
「ちなみに、私も妹ですって言ったら、憐れむような目で、同じように大盛り焼きそばをもらえましたぜ!」
焼きそば代を上手く浮かせられて、無邪気にピースサインをしている。店のおじさんがサービスしてくれたのは、お前が頭のかわいそうなやつに見えたからだろう。アリスのように、「君も大変だね」という意味の同情からではない。
もっともアキからしてみれば、サービスしてもらえれば、理由はどうあれ、それで良いんだろう。早速焼きそばにがっついている。ていうか、もう口元に青海苔をつけているじゃないか。もう少しお淑やかに食えよ。
「この後、どうする? 向こうでお土産も売っているから、冷やかしてみるか?」
「う~ん。潮風と日光で、保存状態はあまり良くなさそうね。私はパスかな……。ん?」
あまり興味なさそうに、顎肘をつきながら、向かいのお土産物屋を見ていたアリスの視線が、何かを見つけたようにピタリとロックオンされた。
何か欲しいものでもあったのかと、視線を辿ってみると、一つのお人形に行き当たった。少女用に着せ替え人形だ。あれが欲しいのか?
物欲しそうな目でじっと見つめている。まるで恋人を見ているような熱いまなざしだ。彼氏が隣にいるっというのにさ。
「あの人形を欲しいのか?」
「えっ、いや、そんなことは……、ない」
興味がないと言っているが、あまり説得力がないなあ。否定した後も、人形をちら見しているくらいだしな。
「買ってやろうか?」
俺がボソリと口にすると、アリスは飛びかかってきそうな勢いで、俺を見つめてきた。
「いいの?」
「いいよ。人形を買うくらいの余裕はあるから」
そう言うと、アリスは満面の笑みをこぼした。こういうところはやはり子供だ。これでは小学生に間違えられるのも無理はない。アキも同じことを考えていたらしく、焼きそばを頬張りながら、何か言いたそうな目で姉を見つめていた。
アリスの子供っぽい一面を見て、和んだ後はショッピングとなるのだが、このまま終わってくれないのが、俺の不幸なところだった。
そいつは俺たちの席からちょうど死角になる位置から、こちらの話に耳を傾けていた。
「へえ……。アリスはお人形さんが好きなんだ。そういうところは、やっぱりお子様なのね」
ライバルの意外な弱点を発見したことに、醜悪な笑みを漏らす。もちろん、その弱点を今後どんどんついていくつもりなのだ。
「覚悟しなさい、アリス。昨夜、私を虚仮にしたことを後悔させてあげるわ……」
ここ数話で、登場人物が謝る描写が多いですね。