第五十四話 アイスで崩れる、私のハートは砂でした
海で悪ふざけが過ぎたばかりに、木下が溺れてしまった。友情に薄い俺たちは、やつの蘇生を、ライフセーバーの素敵なお兄さんに丸投げして、事なきを得た。
せっかくの楽しい時間に水をさすことになってしまい、その後の雰囲気は、どうも白けてしまった。
木下だけは復活と同時に、また海へと繰り出していった。あいつって、本当に懲りないのな。そういえば、遊里もいつの間にかどこかに行っている。俺はというと、コーラを片手に、ぼんやりとしていた。
「あ~、絞られたわ~」
「災難でしたね」
今回、一番損をしたのは関谷先輩だろう。犯罪者を見る目で説教されていたもんな。
「俺、見た目がこんなんやろ? だから、こういうことがあった場合、当たりが強いねん」
愛想笑いを返しておいたが、納得する部分もあった。確かに、茶髪にグラサン、手入れの中途半端なあごひげ。何も知らない人が見たら、完全にヤンチャなDQNさんだもんな。
「あ~、次に似たような事件が起きたら、確実に出禁にされるわ。今の彼女もゲットした、思い出の場所なのに~」
「そんな逸話があったんですか」
そういう一夏のエピソード的な話は結構好きかも。まだあるんなら、どんどん聞かせてほしいな。俺は、拉致監禁されたくらいしか思いつくものがないからなあ……。
あ、一つだけ。アリスと花火をしたのは楽しかったかな……。
アリスのことを不意に思い出してしまった。あれからどうしたんだろう。糞ガキのナンパには引っかからないと思うけど、心配だ……。
電話して、それとなく聞いてみようかと思案していると、横をアリスが横切っていった。
さっきナンパしていた糞ガキが一緒だったら、どうしようかと思ったが、一人みたいでホッとしようとしたところに……。
「待ってよ~」
アリスは相手にしないように、努めて無視を通しているのだが、糞ガキは諦めようとせずに追っていく。ナンパはないと判断した直後に姿を現しやがったか、糞ガキめ。
「どうしたの? 顔が怖いことになっているわよ」
虹塚先輩から指摘されるくらいなのだから、俺は凄惨な表情をしていたんだろう。否定する気もない。
「ちょっと……、腹の具合が悪くなってきたので、しばらくトイレにこもってきます。長くなるかもしれませんので、先に帰っていてもいいですよ」
「え……?」
虹塚先輩は、笑顔で取り繕うのも忘れて固まっていたが、俺にとってはどっちでも良かった。早くアリスを追わないと……。
「ねえ、ねえってば。ちょっと遊ぶくらい良いでしょ? ねえってば」
「……しつこいわね」
さっきから無視を決め込んでいるのに、一向に諦めないナンパに、アリスは辟易していた。
自分一人では手に余るので、応援を呼ぼうかと、携帯電話を取り出して、アキの欄で目が止まる。妹に助けを求めようという考えが頭をよぎるが、すぐに振り払う。厄介ごとが増えるだけだという結論に思い至ったのだ。
「爽太君にSOSを出すべきかしら。でも、過剰反応しそうだしなあ。興奮して、手がつけられなくなるかも」
「呼んだか?」
どうしようか悩んでいるところに、聞き覚えのある声がしたので、アリスは振り返った。そこに立っていたのは、憤怒の形相をした俺だったりする。
「爽太君……?」
「え? し、知り合い……?」
突然現れた俺に、アリスが驚く以上に、糞ガキは怯えた。いきなり修羅みたいな顔で、年上の男子が仁王立ちしていれば、そりゃ誰だって肝を冷やすよね。
しばらく俺の顔を見つめていたアリスだったが、すぐにピンと来たようだ。
「お兄ちゃ~ん。この男の子がさっきからしつこいの~。どうにかしてよ~」
丸っきり棒読みだが、俺の妹になりきるつもりらしい。妹になったアリスもそれはそれで可愛いけど、今は感慨に耽っている時ではない。
「へえ……。俺の妹に手を出そうとしていたのか~。お前、見かけによらず、命知らずだな」
敢えて怖い顔を作ろうと意識するまでもなく、勝手に悪人顔へと変貌していく。小学生の子供には、到底耐え切れない迫力があった。
「ご、ごめんなさい! しゅいましぇんで、したっ!」
俺がひと睨みしてやると、少年はろれつの回らない口で謝ると、足元をもつれさせながら、逃げて行った。
ふん! この程度でもう怖気づいたか。それで、俺からアリスを盗ろうなんて、ギャグにすら聞こえないぜ。
「なあに、勝ち誇っているのよ。子供に勝ったのが、そんなに嬉しいの?」
「う……」
アリスに痛いところを突かれて、勝ち誇った顔のままで固まる。うわ……、気まずい。
「とりあえず、助けてくれて、ありがとう。うんざりしていたのよ」
「い、いえいえ……」
機嫌は害していなかったことに、ホッと胸を撫で下ろした。そうしたら、アリスが俺に寄りかかってきた。思わずドキリとしてしまったが、アリスはこのままでいさせてほしいとせがんできた。
久しぶりに俺と会えて甘えてきているのかと、自分に都合の良いことを考えていると、アリスはとにかく疲れているのだと内心を明かしてくれた。
「さっきの子に限ったことじゃないんだけどね。今日は妙にナンパされるのよ」
「はい⁉︎」
アリスのまさかの告白に、自分でも情けないと思ってしまう女々しい声を上げて、フリーズしてしまった。
「ナンパされるって、どれくらい?」
「今日だけで、五人にナンパされたわ。明らかに小学生って子が四人と、四十代と思われるおじさんが一人。まあ、おじさんに声をかけられた時はさすがにビビったかな。警察を呼ぶっていったら、慌てて逃げて行ったけど」
これまでナンパとは縁のないアリスが、今日だけで五人にも声をかけられたという事実だけでも驚きなのに、その内一人はおじさん⁉︎ 犯罪の匂いまでするじゃないか。
「まあ、そんなやつらはあいつに比べたら、全然たいしたことないんだけどね」
「あいつ?」
「昨夜、爽太君と別れた後に、とっても嫌なやつに会ってね。怒りのメーターが振りきっちゃって、まだ気分がよくならないのよ!」
「そいつに何かされたのか?」
昨晩、アリスと「X」が、俺のあずかり知らぬところで対峙していたことを知らないので、アリスの言うムカつく相手が他の海水浴客だと思い込み、何とも間抜けな質問をしてしまうことになった。
「お、おい、アリス! お前、単独行動を取るな!」
「それは、私がナンパ男の口車に乗るのが心配だから?」
「違う。お前が危険な目に遭わないか心配なだけだ」
糞ガキだけならいざ知らず、ロリコンの親父にまで目を付けられていると聞いては、黙っていられない。
「でも、単独行動を取らない方が良いのは確かかもね。アキと一緒に行動することにするわ」
俺の助言を素直に聞き入れて、アキを呼ぼうと携帯電話を取り出すアリス。
ちょうどその時、アキが横を通っていった。タイミングがいいと思っていると、後ろを腹の突き出た、脂ぎったおじさんが追って行った。
「ねえねえ、おじさんと楽しいことをしようよ〜」
「今、急いでいるんで」
「そんなつれないことを言わないでよ。アイスを奢ってあげるからさ!」
「え? アイス?」
アイスと聞いた途端に、目の色を変えやがった。どれだけガードがゆるいんだよ。
「あ。あの人……」
アキをナンパしているおじさんを見たまま、アリスが固まっている。
「え? 知り合い?」
「さっき私をナンパした変態中年……」
「へえー」
アリスだけでは飽き足らず、アキまで毒牙にかけようというのか。
「ちょっと追っ払ってくるよ」
「手荒なのをお願い」
とりあえず声をかけて、振り向いたところを、顔面ホールドでいいかな。