第五十話 一か月間のゲームと、勝敗の行方がもたらすもの
城に幽閉された俺は、自身の許嫁と話を続けていた。向こうは俺にどうしても振り向いてほしいと言ってくるのに対し、俺はお前には興味がないと突っぱね続け、どれだけ時間を割いても話はまとまりそうになかった。
こう着状態になりつつある中、話が平行線になることをあらかじめ予期していたのか、「X」は関係を強制的にゲームで決定しようと提案してきた。
「ゲームだと?」
「そうよ。不毛な話し合いを延々と続けるよりも、手っ取り早くて良いと思うわ」
「……」
やつはこのゲームに乗ることが、俺にとってお得なように言っているが、騙されてはいけない。どこかでこいつが有利になるように仕組まれているに決まっている。全くのフェアな条件下で、自分が負ける可能性のある勝負を挑んでくるはずがないのだ。だって、提示された話通りなら、負けたら、俺に付きまとえなくなるのだ。そんなことを自分から提案してくる筈がない。
「警戒しているみたいね。でも、仕方ないか。いきなりこんなことを言われたら、誰だって構えちゃうものね。とりあえずルールを説明するから、軽い気持ちで耳を傾けてよ」
俺が黙ったままでいる中、「X」は淡々と話し出した。
「ゲームといっても、そんな難しいことはしないの。これから一か月の間に、爽太君と私がキスするかどうかで勝負しようってだけよ。キスしたら、アリスと別れて、子供の頃の約束通り私と結婚する。キス出来なかったら、私は爽太君から潔く身を引かせてもらうわ。どう?」
思ったより簡単な勝負の内容と、俺が勝ったら身を引くという勝利条件に、思わず反応しそうになってしまったが、危うく思いとどまった。こいつは人を拉致監禁するような女だ。うっかり了承した途端に、体の自由を効かなくした上で、悠々とキスをして勝利を宣言するに決まっている。この条件じゃ、俺が圧倒的に不利だ。そう考えると、次々に疑念が沸いてきた。
「お前の考えていることは分かるぞ。俺がキスに了承するまで、この部屋に閉じ込める気だろ? 今は強気でも、飢えがひどくなってきたら、俺も折れるかもしれないからな」
そうだ。そもそも俺の置かれている状況が、こいつにとって、圧倒的に有利なものなのだ。これではフェアな勝負など出来そうもない。
「もし違うというんだったら、まず俺をこの部屋から出せ! 話はそれからだ」
出たからといって、ゲームを受けるということではないが、閉じ込められたままというのは良い気がしない。
「いいわよ」
本当なら、拉致までして監禁したのだ。出せと言われて出すやつはいないが、こいつの行動は時々予測不能なところがある。実際、駄目元で提案してみたら、案外呆気なく通ってしまった。言ってみるものだ。
それから間もなく、ガチャリと鍵が開く音がした。俺があんなに苦労しても開くことの出来なかったドアが、あっさりと開くのを見ると、喜びよりも悔しさの方が勝ってしまう。
「お望み通り、ドアは開けてあげたわ。こっちはどうぞ、爽太君」
「分かっている」
「X」に言われなくても、出るつもりだった。
ドアから出ると、長い廊下だった。ここは見覚えがある。昼間に遊里と探索で通った場所だ。一部屋一部屋施錠を確認しながら歩いたのを、しっかり覚えている。
一歩一歩踏みしめるように、廊下に出ると、「X」が壁にもたれていた。服装は俺を襲った時と同じ。フルフェイスも依然着用しているので、顔は確認出来ない。
「まさかその恰好で添い寝をしていたのか?」
「心配しないで。寝ている時くらいは、ヘルメットは外していたから」
フルフェイスの少女と仲良く添い寝している自分の姿を想像して、思わず後ずさってしまったが、すぐに否定されたので安堵の息を漏らした。
「寝ている時以外は、素顔を晒す気はないんだな……」
「ええ。今正体を明かしちゃったら、絶対にゲーム終了まで避けられちゃうからね。私が不利になるわ」
不利というか、敗北確定だな。おそらく無人島で二人きりという状況になっても、俺は距離を詰めるということをしないだろう。
「あ、でも、爽太君が今ここで、アリスを捨ててくれるっていうのなら、すぐにでも外すよ?」
「その可能性は完全にゼロだから、そのままでいいよ。話し合いを続けようか」
「X」と廊下を挟む形で向かい合い、俺はどっかりと座りこんだ。
「俺がお前に一か月間キスしなければ、俺のことを諦めると言ったな?」
「ええ」
「そんな約束を真に受けると思うのか? 勝ったはいいけど、そんな約束をした覚えはないと白を切るつもりなんじゃないのか?」
こいつほど執着の強いやつなら、それくらいするだろう。
「するかもしれないけど、そんなことをするような、爽太君は私のことを完全に嫌いになるでしょ? だから、私が執着を続けたとしても、同じことよ」
嫌いという訳ではないが、好きになることもない。それは現時点でも言えることなんだが、敢えて今口にすることじゃあるまい。
「ルールに追加なんだけどね。爽太君と私がキスすることが、私の勝利条件だけど、それは爽太君の方からキスした場合に限るっていうのはどうかな?」
「……ずいぶんな自信だな」
そのルールなら、仮に「X」が、強引に俺の唇を奪ったとしても、勝利にはならない。俺が一番危惧していることを、まさか向こうから拒否してくれるとはね。
「そうでもしないと、勝負を受けてくれそうにないからね」
当然だ。でないと、勝負を受けると言った途端、この場で襲ってくるに決まっている。結果が見え透いていて、フェアじゃない。
「それで? どうするの? 提案はしたけど、強制じゃないわ。ゲームを受けないというんであれば、これまで通り、振り向いてくれるまで付きまとうだけだから」
「……分かった。ゲームを受けよう」
最初は拒否する気満々だったが、気が変わった。「X」との勝負、受けようじゃないか。
心変わりの二つ。こちらに有利なルール改正と、「X」の言った「振り向いてくれるまで付きまとうだけ」の一言だ。俺からキスしないと、「X」の勝ちにならないなら、後は俺の甲斐性勝負だ。我慢なら多少の自信はある。
それに、振り向いてくれるまで付きまとうと言ったが、こいつなら本当にそうするだろう。俺がいくら言っても、聞く耳を持たずに。記憶が全部戻って、やっぱりアリスが好きだといっても、結果は同じだろうね。ゲームに負けたら、俺のことを諦めるという言葉を完全に信じている訳ではないが、こんなことがずっと続くのなら、ここで勝負に勝って、すっぱりと悪いつながりを切った方が良いと判断したのだ。
「……言ったね」
念押しするかのように聞いてきたので、もう一度首を縦に振ってやった。すると、仮面の中からでも分かる大きさで、「X」は笑い出した。
「えっへっへ! ついに爽太君から前向きな返事を聞くことが出来たよ」
勝利を確信しているのか、もう勝ったかのような口ぶりだ。でも、残念。その笑いは直に鳴りを潜めることになるよ。俺がキスを求める相手は、この世に一人。雨宮アリスただ一人だからな。
「今更なかったことにしようとしても、もう聞かないからね。ここから先の展開は、ゲームに勝つか、負けるか。それだけよ!」
「ああ。問題ない。そのルールで、お前との勝負を受けてやる。負けたら、アリスと別れて、お前と結婚する」
たとえその気が全くなくても、アリスと別れるという言葉を口にするのは精神的にきつい。対照的に、「X」は狂喜しているようだ。ドアの向こうから、狂喜乱舞している雰囲気が否応なしに伝わってくる。
「結婚! 夢にまで見た爽太君との結婚!」
「俺がゲームに負けたらの話だからな!」
俺が釘を刺すと、やつは急に大人しくなった。何も言わないが、分かっているとでも言いたそうな背中だった。
「もうすぐ夜が明ける。その瞬間を持ってゲームスタートだよ」
「ああ……」
時計を見ると、早朝の五時だった。こんなところで一晩明かすことになったのかよ。
「おい……。俺はもう少しここにいるからお前から帰れ。また後を付けられたら敵わん」
「そんな経過しないでよ。私はあなたの未来の妻だよ?」
妻を自認するなら、もう少しお淑やかに行動しろよ。と、言ってやりたかったが、そう口走ったら、また調子付きそうだったので止めた。
「X」は俺の指示に大人しく従い、時々スキップしながら、上機嫌に俺の前から歩き去っていった。俺はというと、ゲーム開始と同時に襲ってこないことに、とりあえず安堵していた。
それから数分後、「X」は、上々の戦果に鼻歌を口ずさみながら、城を一足先に出ていた。
「ふふふ! 爽太君、きっとアリス以外とは絶対にキスしないつもりでいるんだろうな。それをこれから私色に染めてあげると思うと楽しみ!」
俺の顔を思い出しながら、クスクス笑いながら、ずっと付けていたフルフェイスを外した。素顔が露わになるが、もちろん、俺がこの時点で目にすることはない。
「それにしても、あんなむきになっちゃって。爽太君って、やっぱり可愛いわ❤」
乱れた髪を整えながら、俺をどう料理してやろうかとか考えていそうだな。だが、こいつの上機嫌タイムはすぐに終了となった。
「ヘルメットを脱ぐのが早過ぎるんじゃないの?」
「……誰?」
誰もいないと完全に油断しきっていた「X」の顔に殺気が宿る。しかも、話しぶりから、タダの通行人とも思えない。
「X」の前に出てきたのは、アリスだった。
「アリス……」
海辺で俺と別れて、今はホテルのベッドで休んでいる筈のアリスがそこにいたのだ。
「爽太君と浜辺で楽しくやったからね。もしかしたら、あなたが出てくると思って、先にアキだけ帰して、私は後を付けていたの。こんなに上手くいくとは思わなかったけどね」
「……くそ」
いつもしていることをそっくりそのままやり返された「X」は、屈辱に打ちのめされた。そんなやつに、アリスは尚も挑発を続ける。
「これ、返すね。使ってみたけど、効果がなかったよ」
アリスが「X」に投げつけたのは、背が伸びると騙して飲ませた記憶喪失剤だった。
「あなた……。記憶が戻ったの?」
「いいえ。でも、私の記憶を奪ったのが誰かはたった今分かったわ」
格下だと見下していたアリスの思わぬ反撃に、「X」の顔が見る見る強張っていく。アリスも気が強いところがあるので、お返しとばかりに睨み返す。
「ねえ、せっかく会ったんだし、女二人でガールズトークでもしない?」
「……いいわよ」
俺がまだ城の中でぼんやりとしている中、彼女と許嫁が無言で対立の火花を散らしていた。楽しい時間では終わりそうにない殺伐とした空気が辺りを包んでいた。