第四十八話 まっすぐに笑っていたゆうちゃんと、その後歪んでしまった「X」
部屋から脱出するために、暗い中を難儀しながら物色することしばらく、分かったのは、この部屋にはベッドくらいしか置かれていないということだった。細々とした小物の類はあるが、武器にはなりそうにない。元々これしかなかったのか、意図的にこうしたのかはどっちでもいい。俺にとっては、あまりよろしい事態ではない。
こうなると、頼りになるのは自分自身の体くらいか。
ドアの位置も大体分かってきたし、体当たりでもしてみるか。推理ドラマとかで、よく鍵のかかったドアを、大の男が体当たりで破っているのを見かける。大ではないけど、俺も男だ。本気でぶつかればどうにかなるかもしれない。
「いくか……」
正直、まだ痛む体を全力でぶつけるような荒いことはしたくなかったのだが、脱出するためには仕方がない。ドアの前に立つと、深呼吸してから、ドアに向かって右肩を突きだした体勢で突進した。
結果、見事に玉砕して、いたずらに打撲した部分を増やしただけだった。
「はあ、はあ……。畜生……。ビクともしねえ」
ドアも壁も思った以上に頑丈だった。俺の再三に渡る攻撃を、苦も無く弾き返してしまった。「X」にもボロ負けするし、俺って、こんなに非力だったのかよ。というか、ドラマでドアを破っているといっても、あれはフィクションだからな。そっくりそのまま再現出来るとも限らない。考えが甘かった部分もあるな。
しかし、非力だと、もしアリスとのデート中に暴漢に襲われたら、ちゃんと守れそうにないな。面倒くさいし、痛いのは嫌だけど、格闘技を習った方がいいのかね。
とにかく状況は悪化した。道具もなし、力もなし。おまけに、ここから脱出する悪知恵を紡ぐ知恵もなし。
これは駄目だ。いっそ諦めるか……? って、馬鹿! 諦めてどうするんだよ。あいつの言い様にされたままでいいのかよ。
沈みそうになる自分自身を叱咤する。
諦めるな。俺は単独で海に来たんじゃない。団体でやって来たんだ。俺がいつまで経っても戻ってこなければ、最悪警察に連絡してくれる筈だ。そうだ。悲観することなんて何もない。
ここでこのまま待っているだけでも、俺は助かるのだ。心配することなど何もないのだ……。
「ちなみに今は何時くらいなんだろうか?」
部屋が暗いせいで、腕時計で時間を確認することも出来ない。携帯電話は破壊されちゃったしなあ。
「あらあら。もう降参かしら。何回か体当たりしただけで諦めるなんて、爽太君らしくないわよ」
頭を抱えていると、ドアの向こうからボイスチェンジャーでいじられた声がしてきた。俺をここに運んだ張本人のご登場だ。やはりドアの前で、ずっと待機していたか。
「こんなところまで俺を運ぶなんて、結構力があるんだな」
女性なら言われたくないだろうことを、敢えて皮肉を込めて言ってやった。だが、「X」は動じない。
「私と爽太君の、ひと夏の城に招待したの。気に入ってもらえたかしら」
招待? 俺を殺す勢いだったぞ。またしれっとしたことを言いやがって。
「気に入るも何も、部屋が真っ暗で分からん」
「その部屋、電気が通っていないのよ。ごめんね」
話しぶりからすると、電気の通っている部屋もあるみたいだな。そんな情報は、今は何の役にも立たないけど。
「ねえ、お腹空いていない? 簡単な食事なら、私、作れるよ」
「いらない」
肉を余分に食べていたおかげで、まだ余裕がある。こいつに施しを受けるまでには至っていない。ただ、監禁が長期に渡るのなら、不本意ながらお願いせざるを得なくなってしまう。そうなる前に脱出しなくては。
脱出のための関門となっているのは、まずこの部屋から出ることだ。そうしないと、俺はかごの中の小鳥でしかない。
自分の力だけでは、この部屋からも出ることは出来ない。そのためには、まず「X」を騙して、部屋を開けさせる必要がある。
「とりあえすこのドアを開けてくれると助かるんだがね。真っ暗だと気味が悪いんだ」
「そう言って、私がドアを開けたところを逃げる気でしょ? 分かっているんだからね」
見え見えだったか。さすがに直球過ぎたな。
「俺が寝ていたダブルのベッドなんだけど、誰かが添い寝をしていた形跡があるんだよな。お前か?」
「ええ。ここに爽太君を運んでくるので疲れちゃったから、一緒におねんねしたの」
つまり、もう少し早く目覚めていれば、寝ている「X」を置き去りにして逃げることも出来た訳だ。呑気に寝てんじゃねえよ、俺の馬鹿。
自分の犯した致命的なミスに、自己嫌悪に陥り、頭をポカポカと殴っていると、ドアの向こうの「X」が語りかけてきた。
「ねえ、ここがどこだが分かる?」
「……俺の宿泊している別荘の近くにある小島。……に建てられている城だろ」
真っ暗で周りがよく見えないが、手探りで探している時の感触でピンときたのだ。ここは遊里と昼間に来た城だと。明るい時にあちこちベタベタ触っておいたのが功を奏した訳だ。「X」は「正解❤」と薄く笑った。
「爽太君が昼間に女の子と来たところを見ていたんだけどね。すっごく楽しそうにしていたよね……」
嫉妬丸出しの声だ。あの時に近くにこいつもいたってことか? 女の子というと、俺と島に来た遊里と、その様子を遠くから見ていてついてきた虹塚先輩……。きっとこの城に潜んでいたんだ。鍵がかかっていて入れない部屋が複数あったじゃないか。そのどれかに隠れていたと考えられる。
いつものように監視されていたことを聞かされた俺は、不機嫌になり、声を荒げた。
「相変わらず裏でコソコソやるのが好きなんだな。そんなことをしないで、堂々と出てくればいいのによ」
「ああっ、私を突っぱねるような物言い、ゾクゾクするわあ」
否定してやったのに、逆に喜ばれてしまった。そういう反応をされると、怒っているのも忘れて、思わず脱力してしまう。
脱力ついでに、気になっていたことを聞いてしまうことにした。
「なあ、一つ聞きたいんだけど、お前、昔、「ゆうちゃん」って呼ばれていたことはなかったか?」
「……え?」
「いや、違っていたんなら、良いんだけど……」
というか、違っていたのなら、かなり変に思われたかもしれないが、俺もこいつのことを変なやつと思っているし、お互い様だろう。だが、「X」は歓喜に満ちた反応を示してきた。
「やっと、思い出してくれたの……?」
「……何?」
「私のことをやっと思い出してくれたのね」
この反応、どうやらゆうちゃんと呼ばれていた時期があったということでよさそうだな。
「思い出したといっても、それだけなんだけどな。他には何も……」
「そう……」
自分への愛を含めた全ての記憶を思い出していると思ったのだろう。「X」は明らかにガッカリしていた。人の記憶を奪い続けているやつが思い出すことに一喜一憂しているというのに、皮肉なものを感じる。
とにかく夢の中に出てきたゆうちゃんと、「X」が同一人物なのはハッキリした。ここで俺が言いたいのは、昔はあんなにかわいかったのに、どうしてこうなってしまったのかということだ。あの姿のままで成長してくれていたのなら、グッときたかもしれないのに、実際は、愛した男は拉致監禁することもいとわないヤンデレになってしまった。一体、どこで歪んでしまったのか。
そして、こいつとは、高校に上がるより前に、会っていたことがある。それも、道ですれ違ったとかじゃなくて、お互いに結婚の約束までしてしまうほど親密な関係だ。
それだけの関係を今まで忘れてしまっているような自分の薄情ぶりに、改めて嫌悪の感情を持ってしまうね。