第四十六話 彼女と会った後は、許嫁とも関係を深めましょう
アリスと楽しい時間を過ごして、俺もそろそろ寝ようかなと考えていると、いきなり誰かから羽交い絞めにされてしまった。
不意を突かれたとはいえ、なかなかの力の持ち主だ。気を抜くと、すぐに意識を持っていかれそうだ。
俺を締め上げてくる腕は細い……。女か!?
「誰だ。お前……」
飛びそうな石粉を必死に保って、襲撃者に問いかける。
「許せない……」
ボイスチェンジャーを使っているのか、相手の声は平坦で、抑揚のないものだった。
「私というものがありながら……。アリスなんかとベタベタして、許せない……」
私というものが……? 彼女であるアリスを差し置いて、こんな厚かましいことを言ってくる相手を、俺は一人しか知らない。
「お前、「X」か……」
その問いに返答はなかったが、こんな真似をする知り合いはこいつくらいのものだ。肯定もしてこないが、否定もしない。「X」で間違いなさそうだな。
「こんなところまで……、追ってきたのかよ」
「爽太君が行くところだったら、私はどこにでもついていく。どこにでも……」
「俺一人を付け回して、ずいぶん暇なんだな、お前……」
この台詞を言ったのがアリスだったら、歓喜しているところだね。
というか、俺に惚れていると言いながら、アリスとイチャついている場面を目にした途端に襲いかかって来るとは、なかなかのヤンデレぶりじゃないか。
「お前……。アリスたちに手を出していないだろうな……? もし出していたら、俺の方こそ、お前のことを絶対に許さない」
「……自分の身の心配より、アリスたちの身を案じるんだね」
聞きようによっては、寂しそうにも聞こえているが、首を締め上げられている状態では、同情するほどの余裕はない。
「つべこべごちゃごちゃ言ってねえで。とっととアレを出したらどうだ? お得意の記憶を消すやつ」
それでアリスとの楽しい思い出を消す気なんだろ? ……そう思い通りにはさせないけどな。
「今回は使わないわ。このまま意識を持っていけそうだし……」
「あまり……、俺のことを舐めるなよ? 自分の思い通りにいっているからって、天狗になっているんじゃないのか?」
俺は渾身の力を込めると、「X」の拘束を一気に緩めた。まさか反撃されると思っていなかったみたいだな。かなり上手くいった。
そのまま昔かじっていた柔道の背負い投げを華麗に決めてやる。やつは小さい悲鳴を漏らして、宙に浮いた後、地面に叩きつけられた。
大の字になって地面と衝突した「X」を見ると、フルフェイスに、体のラインを隠すダボダボの服で、完全ガードしていた。これだけでは、誰なのか特定出来ない仕様だ。かなり怪しい外見だが、見事なまでに正体を隠している。
「どうだ? 実力的に劣っているやつに一本取られた気分は」
相当屈辱だろうな。おそらく怒りに任せて、また襲いかかってくるに違いない。高らかに勝ち誇りながらも、次の一手への警戒は怠らなかった。
しかし、「X」は大の字になって寝ころんだまま。……ひょっとして打ち所が悪かったのか?
いや、全身が震えているから、意識はあるだろう。
「……格好いい」
「は!?」
「格好いい! 私の不意打ちをものともせずに、形勢逆転してしまう爽太君。超格好いい!! さすが私の将来の夫となる人だわ!!」
何かよく分からんが、喜ばれてしまった。しかも、うざいくらいに興奮している。さっきまで、俺を許さないと言っていたのはもう水に流したようだ。
「……興奮しているところを悪いんだけど、もう帰っていいか。眠くて仕方がないんだよ」
「X」を前にこんなことを言いだすのも何だけど、もうどうでも良くなっちゃったんだよね。
「そう、爽太君。眠たいんだ。じゃあ、私と一緒に寝ましょうよ」
むくりと起き上がると、またずれたことを言いだした。お前となんて寝てやらないと言っても、聞く耳を持とうともしない。
「ちょうどこの近くに絶好のスポットがあるの。そこに行きましょう❤」
「……断る」
行き先をまだ聞いていないが、こいつのことだ。ろくな場所じゃないことだけはハッキリと分かる。
「つれないのね。でも、それで私が大人しく引き下がらないことは分かっているでしょ?」
「もちろん」
不都合とあらば、俺の記憶だって消去するようなやつだ。この程度で諦める訳もない。
「正直、あまり女に手を上げたくないんだけど、あまり我がままが過ぎるようなら仕方ない。もう一回宙を舞ってもらうぞ」
「ふふふ。あくまで徹底抗戦する姿勢、やっぱり格好いい」
アホな会話をしつつも、俺と「X」は荒ぶった闘志を胸に秘めて向かい合う。そして、一瞬のすきをも見逃さないつもりで対峙した。
一瞬の沈黙が流れる。そして、俺が先に動く。「X」の襟元を掴もうと、手を素早く伸ばす。だが……。
「ああ~ん! 投げ飛ばされた時はゾクゾク来たのに、アレが限界だったのね。でも、いいの。爽太君の格好よさは十二分に堪能出来たから」
今度は通用しなかった。「X」は俺の手をあっさりとはねのけると、みぞおちに強烈な一発を喰らわせた。
「がっ……!?」
思わずよろける俺に、隠し持っていた注射針を突き刺した。これは……、記憶を消す薬か?
「心配しないで。記憶がなくなることはないわ。意識をほんのちょっと失うだけ」
意識を奪って何をするつもりだよ。心配せずにいられるかっていうんだ……。「X」に内心ツッコみながら、俺は砂浜に倒れ込んだ。
「今のじゃれ合いはなかなかに楽しかったよ。でも、私の方が強かったけどね。さて。……問題はこれからね。爽太君の体をあそこに運ぶのは、骨が折れるわ。でも、人に頼む訳にもいかないし……」
倒れている俺の横で「X」がぶつくさ言っている。どこかに運ぶつもりらしいね。遠くの方らしく、そのまま担いで運ぶのは難儀そうにしている。あいつらしくなく考え込んじゃって。
どっちにせよ、俺の前で隙を見せるんじゃねえよ。通報してくださいって言っているようなもんじゃねえか。
ポケットから携帯を取り出して、110番を押そうとするが、電源を切ったままなのを思い出した。すぐに起動しようとするが、時間がかかってしまう。結局、その間に「X」に気付かれてしまい、携帯は粉々に砕かれてしまった。
「駄目よ。これから二人の時間になるっていうのに、警察なんかに邪魔はさせない」
「はあ、はあ……。そうですか……」
やべ。意識が遠のいてきた。薬が回ってきやがったんだ。
「X」は俺をじっと見ているが、こっちには反撃するだけの力は残っていなかった。歯ぎしりしながら、意識はぷつんとシャットダウンした。
俺の記憶はそこまでだった。「X」が、「私の城に案内してあげるね」と言っているのも、もう聞こえない。