第四十四話 二人の追跡者と、散乱した鍵
別荘に戻ると、すぐにバーベキューが始まった。
海の店で何も食べられなかったので、空腹で倒れそうだ。肉が焦げていくのを見るのが、こんなにも辛いものとは思わなかったね。
両面を丁寧に焼かれたタンを何枚か胃に収めたところで、ようやく体に生気が戻ってくるのを感じたよ。
ふと気になったのは、夕食の場に木下の姿が見えないことだ。あいつ、まだ横になっているのか? 復活の速さが売りなのに、珍しい。
「結局、木下はずっとダウンや。後で残りでも持って行ってや」
「はい……」
関谷先輩に聞いてみると、木下はやはり部屋で休んでいるとのこと。女子どころか、肉にもありつけない。あいつにとって、今回の旅行は踏んだり蹴ったりだな。次回は輸血用の血液でも持参した上で訪れた方が良さそうだなと思いつつ、こんがりと焼けたカルビを頬張った。
「爽太君。はい、チーズ!」
ちょうどぶっといソーセージを半分くらいまで口に入れているところだったので、その体勢でシャッターを切られることにした。しかし、遊里はデジカメを構えたままの姿勢でシャッターを切ろうとしない。そんなに間抜けな顔になっているのかと思っていると、今度は唸りだした。
「駄目。全然駄目」
「駄目って、俺の顔が?」
「いや、いつも通りのイケメン顔なんだけどね。エロが足りないのよ」
ソーセージを食べるために大口を開けている顔がイケメンとは思えないが、それ以上にエロが足りないって何だ?
「やっぱり男がソーセージを頬張っていても画にならないわ。ここは虹塚先輩に……」
自分が虚仮にされたことへの怒りと、18禁の映像を撮ろうとしていることへの制裁を込めて、遊里の口に、たった今焼けたばかりの唐辛子を丸ごとぶち込んでやった。
「~~!!」
熱いのと辛いので、遊里は口を抑えて、その場にうずくまってしまった。水を飲んで、息を整えている遊里を放っておいて、虹塚先輩のところに行くと、絶対にソーセージを食べないように耳打ちした。
だいたい腹も満たされてきたので、関谷先輩と肉を焼く役を交代した。先輩も空腹だったらしく、かなり喜ばれた。
「浦賀先輩。肉が焼けましたよ」
さっきから野菜しか食べていない浦賀先輩に焼けたばかりの肉を勧めたら、ベジタリアンだからいいと断られた。メガネフェチの件といい、この先輩は容貌から発生するイメージにそぐわない趣味をお持ちだな。
ちなみに、後で関谷先輩からこっそり聞いた話だが、ナンパは不発だったらしい。良い雰囲気だと思ったんだけどな。言われてみれば、確かに横にはティア先輩の姿がない。虹塚先輩と楽しそうに肉を頬張っている。いつも以上に哀愁が漂っているように感じたのは、そういう訳だったのか。
ともかく先輩も勧めてくれたのなら、遠慮することはない。肉を焼きながらも、その内の何枚かは、俺の口に運ばせてもらうとしよう。うん、美味い。
そうして、肉にがっつきながらも、俺の心は躍っていた。当然だ。あと数時間で愛しのアリスとご対面出来るのだから。
気分はすっかり肉食系だ。おっと! 何も今、肉を食べているから、こんなことを考えている訳じゃないぞ。
日中に会った時は、あまり話も出来なかったからな。人目を気にしないといけないから、悶絶しそうだったよ。本物のロミオもこんな気分だったのかな?
バーベキューが済むと、次は花火大会に移行した。
宴は夜遅くまで続いた。こう書くと、いかにもいかがわしげなことをしていそうだが、年頃の高校生の馬鹿騒ぎにしては、まともな部類に入っているといえるだろう。もちろん、ゴミもちゃんと回収した。
ドライブや海水浴で疲れていたのか、みんな後片付けが済むと、倒れるように寝室へと引っ込んでいった。
俺も眠りたかったのだが、ここは我慢だ。アリスと会わないといけないからな。
その前に、部屋で空腹のままでぐったりしているだろう木下に、残り物の肉を持って行ってやることにした。部屋に行くと、寝ている木下を遊里が揺さっていた。
「ねえ、いいでしょ? 幽霊役をやってよ。もう鼻血も止まっているんでしょ?」
「面倒くせえんだよ。こういうのは爽太に頼め」
「もう頼んだわよ。そうしたら、彼女と会うから嫌だって」
「あの野郎……」
彼女という単語が出た途端、木下の機嫌が悪くなったのが声で分かった。
「じゃあ、あいつらが仲睦まじくしているところを、動画に収めちまえ。それにデジタル加工で幽霊を追加して、心霊動画として世間に流出させる!」
「お! それも面白そう!」
面白くねえよ。人の熱愛を何だと思ってやがるんだ?
こんなやつに残り物はふさわしくない。廊下を引き返しながら、木下にやる筈だった肉は全部食べてしまった。
遊里のやつも、どうせ盗撮目的で後を付けてくるに決まっているので、アリスと会う前にとっちめてやる。
寝ているであろう先輩たちを起こさないように、抜き足差し足で別荘を出ると、夜の海に出た。
昼間、あんなに賑わっていたのが嘘のように静まり返っている。明日にはまた喧騒が返ってくるのだから、一時の休息といったところか。
歩き始めると、すぐに後ろから足音がしてきた。予想通り後をつけてきたか。俺に既に知られているとも知らずに、間抜けなことだ。
いきなり後ろを振り返っても良いが、アリスとの待ち合わせまで、まだ余裕もあるし、少し遊んでやるか。
足を速めながら歩いていたが、なかなか撒けない。これならどうだと、走り出しても、ちゃんとついてくる。
ていうか、尾行が下手くそだな。足音を消そうという努力が伝わってこない。その前に、俺が早足で歩いたり、走ったりしたりしていることで、尾行に勘付かれていると思っても良さそうなもんなんだけどな。
もういいやと思い、足を止めて後ろを振り返る。
「お~い! 遊里、出てこいよ。お前がついてきていることは、とっくにお見通しなんだぞ~!」
観念して出てくるのをしばらく待っていたが、何のアクションも示してこない。もうばれているのに、悪あがきなんかしやがって。
「お~い! 気付いているって言っているだろ? 俺も時間がないんだから、早く出てきてくれよ!」
焦れてきたのでもう一度叫んだが、やはり反応なし。……そうきたか。
それなら、こっちから会いに行ってやる。面倒くさいが、今来た道を引き返し始めたところで、向こうから駆け足で誰かが近付いてきた。
身を潜めて待ち受けると、やって来たのは、遊里だった。手にはデジカメがしっかりと握られている。
「あれ~。ここにもいない。爽太君ったら、どこに行っちゃったのかなあ?」
焦りを含んだ顔で、遊里はそのまま走り去ってしまった。
どういうことだ? さっきまでつけてきていたのは遊里じゃない? つまり、遊里とは別で、俺を付けているやつがいるということか?
幽霊が出た。とは思わなかったが、だんだん不気味になってきた。こっちはアリスと会いたいだけなのに、どうしてこんな目に……。
だが、別荘まで引き返しても、もうそいつの気配は感じられなかった。その後、アリスの元へと急いだのだが、やはりもう足音はしなかった。
一体何が起こっているんだと思いながらも、ようやくアリスと会えるのだからと、気持ちを切り返すことにした。もし、盗撮しているやつを見つけたら、叩きのめせばいいだけのことだ。
ガチャリ……。
足元で、硬い金属音がした。見てみると、大量の錠前や鍵が散乱している。どこかの業者が捨てていったのだろうか。
不法投棄だとしたら気分は良くないが、今はアリスと会うのが先だと、走り去る。この時の俺は知らなかったが、もうすぐ嫌というほど鍵を目にすることになるのだ。わざわざ興味深く観察することもあるまい。