第三十九話 惨劇の後始末と、乱入してきた妹
「木下君、気分はどう? 良かったら、ピースして。悪くても、ピース。あと、とびきりの笑顔もお願いね」
座席にもたれかかって、脱力している木下に向かって、遊里がデジカメを向けながら、語りかけている。車内を己の血で汚しておきながら、呑気にピースしている姿を見ていると、立てている指を掴んで、あらぬ方向に曲げてやりたくなるな。
木下の鼻血ショックから、ようやく車内は落ち着きを取り戻しつつあった。車の持ち主である関谷先輩だけが、執拗に掃除をするように、俺に指示を出している。
「ティッシュやタオルはいくら使っても構へん! だから、跡形もなく拭き取るんやで!」
「はい。現在やっております」
本当は車を止めてでも、自分で清掃を行いたいのだろう。声からは悲痛な心境がにじみ出ていた。
「だいぶ拭き取ったわね。さっと見回しても、拭き漏れは確認出来ないし、こんなところかしら」
「ホンマか? ホンマに完了したんか!?」
「ええ。大丈夫。私が保証するわ」
虹塚先輩はにっこりほほ笑んで、心配しなくても大丈夫だと優しく諭しているが、元はといえば、この人が木下を興奮させたのが原因なんだよな。言い方は悪いが、原因から大丈夫と言われても、説得力がない。
「……だいぶ車の量が増えてきましたね」
「目的は俺らと同じやろうな。どの車にはボードやら、パラソルやらが、備え付け取る。分かりやすくて笑えてくるわ」
関谷先輩に言われるまでもなく、そのことには気付いていた。何故なら、渋滞のためか、分かりやすいくらいにスピードが落ちていたからだ。
「日帰りにしなくて正解デシタ。もしそうだったら、海に着いたと同時にUターンすることになっていたデショウ」
ティア先輩の言う通りだ。ストレスをためるだけの面白くない旅行にならなくて、マジ助かったよ。
「浦賀先輩が「どけ!」でひと睨みしたら、前を走る車が一斉に横にずれたりしないかな?」
「あまり派手なことをすると、警察を呼ばれるぞ」
「ちゅうか、君ら。俺らのことを先輩と思うてへんやろ?」
「……確かにな」
怒鳴られることこそなかったものの、関谷先輩から忠告を受けてしまった。おそらくサッカーの試合だったら、イエローカードに匹敵しているとみた。レッドカードに変化したら、恐ろしいことになりそうなので、調子に乗りかけた自分を猛省した。
ただ、ドライバーである関谷先輩も、気持ちは俺たちと同じだったらしい。いや、運転する立場だからこそ、むしろ俺たち以上にじれったく感じていたのかもしれない。
「このまま渋滞と仲良くするのは性に合わんなあ。ちゅう訳で、ショートカットさせてもらうで」
この辺の道に詳しいのか、次の曲がり角で車は右折した。道幅は狭いながらも車は少なく、途端にスピードは元に戻ったのだった。
「この辺はよく走るんですか?」
「ああ。免許を取ってから、何度も往復しとる。目を瞑っても、問題ないくらいや!」
本当にやられたら困るが、道に詳しいのは本当のようだ。この分なら、まだ明るいうちに海に着くことが出来そうだ。
「私の水着を披露しちゃうよ~! そうしたら、木下君はまた鼻血ブーになっちゃうかもねっ♪」
「ふっ……。無駄だ。お前の水着姿は水泳の授業で、飽きるくらいに堪能させてもらった。もはや、瞼を閉じれば、正確に再現出来るほどさ」
「む……! 私の裸を見飽きたですって!? 言ってくれるじゃない」
「俺の鼻から血を流すことが出来るのは、虹塚先輩のボディのみ……」
「どっちにせよ鼻血を流すんじゃねえか。とりあえずお前黙れ!」
本人が隣にいるというのに、中二病的な言い回しでセクハラを敢行する木下の口をタオルで覆ってやった。ていうか、あれだけ血を噴き出しておいて、まだ流せるだけの余裕が残っているのかよ。
でも、俺もアリスの水着姿を見たら、興奮して鼻血を流すかもな。それは否定出来ない。ああ、早く見たいなあ。だから、早く着かないかなあ、海。
まだ見ぬアリスの水着姿に想像を膨らませていると、向こうでヒッチハイクしているやつがいるのを見つけた。今時、こんな面倒くさいことをしているやつを初めて見たよ。いるもんなんだな。
目的地はどこか知らないが、電車を使った方が早いと思うがな。もしくはタクシー。それを使わないということは、金がないのだろうか。
ヒッチハイカーの必死な姿を、しばらくぼんやり眺めていたのだが、そいつが近付いてきて、顔立ちがハッキリしてくるにつれて、明らかになったことがあった。
「あ……!」
そいつの顔を確認した時、思わず持っていたポテチを床に落としそうになってしまった。見間違いということで、片付けてしまおうかとも思ったが、そうすると後が怖い。
ヒッチハイクをしていたのは、アリスと一緒に海へ向かっている筈のアキだった。本当なら、こんなところにいる訳がない。
でも、あれは紛れもなくアキ……。そんなことを考えながら、向こうを凝視していると……。
「お!」
向こうも気付きやがった。そして、気付いた途端、すごいスピードで手を振り始めた。もう間違いない。俺に気付いて手を振ってきたということは、やはり本人なのだろう。
「なあ、あのヒッチハイカー、爽太君に向かって、めっちゃ手を振ってるで。知り合いなん?」
「……どうでしょうね」
どうしよう。素直に知り合いだと認めて車に乗せてしまうか。でも、絶対に面倒くさいよな。
「あいつは爽太の妹ですよ」
ようやく鼻血が収まってきた木下がいらんことを暴露してくれた。当然、みんなから向けられていた視線は一気に気色ばんだ。
「えっ、爽太君。妹なんておったん?」
「ていうか、何で妹がこんなところで立ち尽くしているんデスカ?」
矢継ぎ早に質問されたが、それは俺が一番知りたい。
「お、に、い、さ~~ん!!」
「おい……。あの子、叫びだしたで。しかも、プラカードを掲げながら。元気なのはええけど、ちょっと落ち着かせた方がええんとちゃうの?」
「どうして妹さんが道端でヒッチハイクをしているのかしら。爽太君の指示なの?」
アキが不用意に叫んだせいで、さらに質問の的にされてしまった。当然の質問の中に、俺の名誉を棄損する発言が含まれていた気がするが、相手にしないで、観念することにしよう。
「すいません。知り合いの妹なんです。俺のことを兄として慕っていて、落ち着きはないですが、根は良いやつなんです」
彼女の妹と紹介すると、面倒くさい展開になりそうだったので、彼女という単語はぼかしておいた。今の説明でも、間違いではないので、問題はないだろう。
「分かるわ。知り合いの女の子に「お義兄さん」って呼ばせて楽しんでいるんでしょう?」
「神に誓って違います」
全ての過ちを包み込む女神のように優しい笑みを向けてくる虹塚先輩に、そういうプレイでないことを全力で説明した。この発言はボケなんだろうか。それとも狙ってからかっているのだろうか。どちらにせよ、誤解を招く言動は御免こうむる。
俺を悩ませてくれているアキはというと、俺の名を叫ぶだけでは飽き足らず、大の字になって道路上に寝転んでしまった。乗せる前からやりたい放題だ、あいつ。
「これはもう止まらざるをえんで。君の妹、厚かましい性格してんなあ~」
「……お恥ずかしい限りです」
俺が悪い訳じゃないのに、頭を下げることになってしまった。何か今日は、この後も災難が続きそうな気がしてきた。
「ほら。乗せてやるから、とっとと乗れよ」
「えへへへ……。ありがとうごぜえやす。この恩は一生忘れません~」
乗車してきたアキは拝み倒しながら、手を合わせている。一生忘れないと言っているがどうだろうな。この作品、忘却がテーマといっても過言じゃないからね。
「お! ちょっと会わないと思ったら、こんなところで浮気をしていたんですか……。痛い!」
乗車しながら、根も葉もないことを言ってきたので、挨拶の代わりにはたいてやった。関谷先輩たちは驚いていたが、このやり取りで、俺とアキがどういう関係かは分かってもらえたようだ。
アキは図々しく俺の隣に座ると、早くも関谷先輩たちと和やかに話し出した。強引に乗って来たくせに、もうこの場に馴染みつつある。
「……で? 何であんなところにいたんだ? お前、別行動の筈だろ」
「てへへへ、寝坊しちまいまして」
起きて時計を見て、寝過ごしていることに気付いたのか。必死に身支度を整えるも、一緒に行く筈の姉はもう家にいない。こいつの慌てふためいている姿がリアルに想像できるな。
聞けば、ここまでヒッチハイクで来たらしい。金がないのに、ここまで到着するこいつの行動力には良くも悪くも脱帽してしまう。
いつまでもこいつに振り回されるのはごめんだ。アリスに、『お前のところの座敷童をたった今拾った』とメールを送っておいた。
メールを送信すると、鼻歌を口ずさみながら、俺にすり寄ってきているアキをジロリと睨んだ。
「そんな怖い顔で睨まないでくださいよ。お詫びに私の水着姿をお見せしやしょう。実はこの服の下に着こんであるのですよ」
そう言って、シャツを捲し上げようとしたので、またはたいてやった。頼むから、これ以上俺の立場を危ういものにしないでくれ。
「うふふふ。楽しそうな妹さんね」
「よく言われます!」
誰とでもすぐに打ち解けるアキは、特に虹塚先輩と波長が合ったようだ。
しばらくすると、アリスからメールが返ってきた。『その座敷童はちゃんと福を招いていますか』だって。『未熟者なので、一から教え直す必要がありそうです。ご返品願いたいのですが、よろしいでしょうか?』と返事をすると、快諾する返事がすぐに来た。ここにアリスはいないけど、すぐ近くで会話している気になるね。
これで到着早々、アリスと会えるとほくそ笑んでいると、申し合わせたようなタイミングで、車は海へと着いたのだった。
海に行くまでにかなりかかりましたが、次回からようやく海での話になります。
あと、近況報告なんですが、今日道を歩いていたら、後ろからカラスに
突進されました。それも二回。恨まれることはしていないんですがね。
アイツらの目には、美味しそうなごちそうにでも見えたんでしょうか。