第三十六話 幽霊的な恐怖と、物損的な脅威
旅行当日、待ち合わせ場所に真っ先に到着したのは俺だった。……と言いたいところだが、着いてみると、既に関谷先輩と浦賀先輩と遊里が来ていた。ていうか、俺、四番手か。早めに到着したつもりだったのに、よりによって先輩より遅く来てしまうとは。やってしまった。
「ああ、ええねん、ええねん。俺らが勝手に早よ来ただけやし。なっ、浦賀!」
浦賀先輩は俺をチラッと見ただけで、またそっぽを向いてしまった。この先輩の場合、いつも仏頂面なので、本当に気にしていないか、実はかなり怒っているのかは、顔を見ただけでは判断がつかなかった。
出発前から何かやらかしてしまったような気がして、悪いことをした訳でもないのに、申し訳ない気持ちになってしまう。ともあれ、ただ突っ立っていたら、本当に怒られてしまうので、とりあえず先輩たちの元に行くことにした。すると、車が一台停まっていることに気付く。
「車で行くんですか?」
てっきり電車で行くものとばかり思っていた俺は、ドキリとしてしまった。
「アホか! これから女と旅行に行くのに、電車なんか使えるかい! マイカーに決まっとるがな」
マイカーって、この大人数が乗れそうな車が!?
「知り合いの兄ちゃんに破格の値段で譲ってもらったんや」
譲ってもらったって……。関谷先輩の人脈でとんでもないな。高校生なのに、車とか……。これを見せつけられたら、虹塚先輩とティア先輩だって驚くだろうな。
そういえば、その二人の女子の先輩がいない。もうすぐ指定した時間だぞ。
「あのう……。虹塚先輩たちの姿が見えないんですけど……。あと、ついでに木下」
「慌てるな! あいつには女性陣のエスコートを頼んどるんや。直に来るやろう」
「あれ? 私も女子ですけど、エスコートはないんですか?」
遊里が自分を指差して、女子アピールしているが、俺と関谷先輩は揃ってスルーした。
「ちなみに先輩の狙っているのって、四人のうちのどれですか」
一番人気は虹塚先輩だろうけど、木下も狙っているだろうしなあ。どっちにせよ、木下には落とせないと思うが、不用意にいがみ合う姿は見たくなかった。
「ん? ああ、俺は水着美女を鑑賞して、眼の肥やしにしたいだけやから、特定の女子とかは狙ってへんよ」
「そうなんですか?」
とか言いつつ、隙あらば狙うつもりなんだろうと思っていると、関谷先輩は笑って続けた。
「ホンマやで。俺にはかわいい彼女もおるしな。手を出したのがばれたら、袋叩きにされてまうわ」
先輩、彼女がいたのか。あれ? でも、それなら、そっちの彼女と行けばいいんじゃ……。
「それがどうもな。仕事が忙しいみたいで、来れへんちゅうねん。最近、そんな感じでつれないんや。倦怠期なんかなあ~?」
何か恋愛相談染みてきたな。ていうか、先輩の彼女って、社会人!? 知れば知るほど、俺の想像を超えることばかりだ。何てスケールの大きい先輩なんだ!
「心配せえへんでも、お前の彼女には手を出さんさかい、安心しろや」
「ああ、そうですか。それはありがとうございます」
何だ。関谷先輩、アリスのことを知っていたのか。でも、この場に彼女はいない。手を出すことは出来ないから、元より心配なんてしていないんだよな。とはいえ、どうも腑に落ちないものもある。
「狙っているとすれば、浦賀の方やな」
「え?」
驚いて声を上げてしまった。あの先輩が一番興味なさそうなのに……。そこに、遊里が自身の顔を俺の頭上に乗っけてきた。
「浦賀先輩ねえ。ティナ先輩のことが好きみたいなのよ」
「うえっ!?」
さらに驚いてしまった。今度は声も上ずった。そのまま吸い寄せられるように、浦賀先輩を見ると、ふいと視線をずらしてしまう。それは先輩なりの照れ隠しなんですか?
でも、まあ。あの先輩、美人さんだったしな。それに金髪の外人なんて、物珍しさもある。性格はちょっときつそうだったけど、人が悪い訳でもない。付き合ったら、案外尽くしてくれそうなタイプだ。
「俺……、メガネフェチなんだよ」
俺がティナ先輩に惚れた理由をあれこれ勝手に考えていると、浦賀先輩がボソリと呟いた。それっきり話すことはなくなったが、俺と遊里も黙りこんでしまった。え……? 惚れた理由はメガネ? 確かにかけていたけどさ……。
人の趣味に異論を挟むつもりはないが、もっと重要なものを見過ごしているようなじれったさを抱いてしまう。
「ああいうやつやねん。まっ、深く考えんとき」
関谷先輩は固まったままの俺たちを面白そうに眺めていた。
「時に遊里。何点か聞きたいことがあるんだが……」
「ん?」
さっき遊里に後ろからのしかかられた時に、背中の辺りに妙な感触があったのだ。あったとはいっても、女子高生の発達途中の柔らかい弾力を持ったアレではない。金属質の硬いものが俺の背中に押し当てられたのだ。
この感触。形。覚えがあった。
「お前、どうしてカメラを持っているんだ?」
見ると、遊里はデジカメを首から下げていた。
「いやあ~。すごい映像が撮れそうな気がしちゃってね」
どことなく撮れることを確信しているような口ぶりだ。真っ先に思い浮かんだのは、虹塚先輩の豊満なバストだ。あれを動画に収めてアップすれば、かなりの閲覧数を稼ぐことが出来るだろう。でも、先輩の了承は降りるのか? 加えて、俺がそれ目当てで海に誘ったみたいじゃないか。
「む! その顔は、またいやらしい想像をしているわね。違うわよ。私がカメラに収めたいのは、こっちの方よ!」
そう言って、手をだらんと下げて、幽霊のポーズをとった。ああ、そうか。心霊動画の方ね。……って、ちょっと待て。
「俺たちがこれから行くのは海だぞ」
「宿泊場所の近くに、絶好の撮影ポイントがあるのよ」
「心霊スポットの間違いだろ」
「そうともいうわね」
遊里は「頼りにしているわよ」と言って、腕にしがみついてきた。半袖なので、胸の感触が直に伝わってくる。頼りにしているということは、俺にも同行しろということか。冗談じゃない。夜は、アリスとデートをすると決めているんだ。
「おっ! 早速見せつけてくれるな。熱いで、自分ら!」
俺たちの様子を見た関谷先輩が茶化してくる。どうも先輩の言葉がおかしい。さっきから思っているが、何かを勘違いしている気がする。
ふと、遊里の顔を見る。不思議そうに見返してくるが、こいつが俺のことを関谷先輩に伝えているのだ。その際に、変なことを吹き込んでいる可能性が高い。
「なあ……。お前、関谷先輩たちに、俺のことをどう説明した?」
「? 普通に説明したわよ。おかしなことは言っていないわね」
その普通がどうも引っかかるんだよな。詳しく教えてほしいと言っても流すし。いくら聞いても流すし。
「二人の時間を過ごすのも良いけどな。車に荷物を積み込むのを手伝ってくれや」
「ああ、すいません。ただ今!」
しつこく食い下がる追求を中断させる絶好のチャンスとばかりに、遊里は車の方に行ってしまった。でも、俺は諦めないぞ。また後で聞いてやるからな……。
頼まれた荷物は結構な量だった。宿泊場所は、関谷先輩のおじさんが所有している別荘を使わせてもらえるとのことだが、何泊かするのだから、荷物が増えるのは無理もなかった。
夏の暑い朝に、こんな重労働をやらされるのなら、木下の代わりに虹塚先輩を迎えに行くべきだったかな。
汗と愚痴を流しながら、重い荷物と共に車の前に立った時だった。見つけてしまったのだ。
「おい、遊里……」
「何?」
いきなり関谷先輩に聞くのは憚られたので、まず遊里に聞いてみる。
「これは……、何だ?」
そこには大きなヘコミがあった。かなりの衝撃だったのだろう。どうして今まで気付かなかったのかが不思議なくらいに、ベッコリといっていた。
「……そこには目を瞑りましょうか」
アホな答えが返ってきたので、遊里の頭をはたいてやった。俺の期待に胸を膨らませる旅行に、暗い影が降りた瞬間だった。