第三十二話 ぼったくりバー的展開と、振るわれることのなかった腹パン
木下と海に行く相談をしていたら、どこから話を聞いていたのか、突如振ってきた挙句、俺にヒップアタックをかましてきた遊里も連れて行くことになってしまった。
俺に鼻血まで垂れさせたことに責任を感じているのか、同じく海に行きたがっている知り合いを紹介すると言い出した。
「本当にナイスタイミング。もう神様が裏で糸を引いているんじゃないかって、思っちゃうくらい!」
「いいねえ、いいねえ!」
遊里と木下は、テンションを上げて話しているが、俺は距離を置いて、冷静に考えていた。
こいつの知り合い……。どんなやつらだ。とんでもないやつを紹介はしないと思うけど、遊里自身がああいう性格だからな。
訝しる俺をよそに、遊里は早速そいつらを連れてくるという。そいつらということは、複数人か。一人かと思っていた。
「俺も付き合うぜ。顔見せがてら、挨拶しておかないとな!」
鼻の下が伸びて、だらしない表情で木下が手を上げた。授業中は、何があっても、自分から挙手することはないくせに、こういうことにかけてはやる気を発揮するんだよな。こいつの母親の気苦労が知れるよ。
ホップ、ステップ、ジャンプという言葉がまさしく当てはまる軽快な動きで、木下と遊里は出かけていった。この場にアキがいたら、事態が掴めていなくても参加して、大バカトリオの様相を呈していたことだろう。
二人の遠ざかっていく後姿を見ながら、俺の胸中は複雑だった。遊里の知り合いとは、いったい何者か。はてさて、鬼が出るか、蛇が出るか。賽を放ってみたものの、どんな目が出ることやら。
不安はあったが、こうなった以上、成り行きに任せる他あるまい。俺は携帯電話をいじりながら、二人が戻ってくるのを待つことにした。
いつまで待つことになるのかと、ぼんやり考えていたが、木下たちは思っていたよりも早く戻ってきた。
「やあ、ごめん、ごめん。待った~?」
「……いや」
携帯電話を片手で操作する姿勢のままで、硬直してしまう。体が上手く動かせないので、軽い金縛りに陥ったんじゃないだろうか。
連れて来られた遊里の知り合いは二人。どちらも三年の男子の先輩だった。外見から判断した第一印象は、「不良」だった。それも、喧嘩が滅茶苦茶強く、キレたら手が付けられないタイプの「不良」。
この作品は、性格が病んでるやつだけじゃ飽き足らず、暴力的にぶっ飛んでいるやつまで出てくるのかよ。一応、コメディというカテゴリーに属していた筈じゃないのか? どこかで、バトルにも発展するのか? などと、自分でもよく分からない抗議文が頭に浮かんだが、きっと混乱していたんだろう。
俺の心中など知らん顔で、遊里は男の先輩の一人と、楽しそうに談笑している。その先輩は、制服を着崩していて、胸元からはアクセサリーも見えている。髪は茶髪。木下も金髪だが、やつより不良っぽい。歴戦の不良って感じだ。
その木下はやたら日本人離れした体格の、クマみたいな顔の先輩に首根っこを掴まれて、外傷は見られないのに、虫の息状態になっていた。見様によっては、首つり死体が柱ごと移動しているようにも見える。木下のことだから、遊里みたいな明るい性格の女子と知り合いになれると思っていたのだろう。そこに現れたのが、この二人。心臓がマヒしかねないショックに見舞われたに違いない。いや、今の木下を見るに、本当にマヒしてしまっている可能性も捨てきれない。早とちり故の自業自得だが、今だけは同情してやる。
よりによって、とんでもない連中を連れてきてくれたな。遊里に抗議の視線を送るが、気付きもしねえ。怖いボディガードがいなかったら、盛大に腹パン祭りを開催してやるところなのに!
くそ……。さっきまで海に遊びに行く話で盛り上がっていたのに、この急展開は何だ? 楽しく酒を飲んでいたら、実はぼったくりバーでした的な理不尽さだ。
「君が爽太君でええの?」
俺が黙ったままでいたら、先輩の方が先に口を開いた。
「ど、どうも……」
頭の中が真っ白になってしまったが、このまま黙っていたらどんな因縁を付けられるか分かったものではない。先輩に先に挨拶させるという失態を犯してしまったが、出ない声を振り絞って、どうにか挨拶だけは済ませた。
「そんな固くならなくてもええんやで。悪いなあ、ビビらすつもりはなかったんやけど~」
先輩の一人が、怯える俺を見て、人懐っこい笑顔で笑いかけた。見たところ、この人がリーダー格か。緊張がピークに達している時に、この笑顔はかなり救いになった。だからといって、恐怖心が雲散霧消した訳では、決してないけど。
「爽太君のことは、ここに来るまでにもう伝えてあるから、自己紹介入らないよ。代わりに、こっちの二人のことを、私から紹介するね」
後輩の分際で、ふてぶてしいまでの態度を崩さない遊里の姿には、尊敬の念のようなものも感じてしまう。もしかしたら、どっちかが兄なのかもしれない。
「こっちのチャラそうな茶髪の先輩が、関谷さん。木下君をつまみ上げているのが、浦賀先輩。どっちも見た目はアレだけど、心優しい頼れる先輩よ❤」
名字が違うので、どちらも兄ではない。ということは、血縁的には赤の他人に対して、不遜に接しているということか。遊里の図太い神経には、改めて驚かされる。
「チャラそうって何やねん。こんな好青年を捕まえておいて、よう言うわ」
「またまた~。自分の外見を鏡で見てから突っ込んでくださいよ~」
俺の驚嘆をよそに、実は付き合っているんじゃないかと思ってしまうくらいのフレンドリーな会話を展開している。
「ちなみに、木下はどうしたんだ? 息はあるんだよな?」
こいつが死んでも悲しくはないけど、殺人事件に関わるのは御免被る。
「ああ、木下君な。俺らの姿を見るなり、お化けでも見た様な顔で、気絶してもうてん。失礼なやっちゃ」
「そりゃあ、関谷先輩と浦賀先輩のタッグだもの。まともな男子高生なら、顔を見ただけでノックアウトだね」
「自分も失礼やな。大概にせんと、しめるで?」
確かに、今の発言はない。それを耳にして、冷静に突っ込む関谷先輩とやらの器量の深さは本物か。
でも、このメンバーで海に行くとなると、女一人に、男四人か……。俺は向こうで、こっそりアリスとお楽しみする予定だけど、木下からしてみれば、色気ゼロで、恐怖に彩られた、むさい合宿になるんだろう。当日までに自殺しないか、心配だな。
「さて。会ったばかりやけど、場所を変えようか? 実は親交を深めるために、連れて行きたい場所があんねん。積もる話もそこでしよか」
場所を変える……!
収まりかけていた心臓が、再び強く波打ちだした。これは……、アレか!?
生意気な後輩を、誰もいない校舎裏に呼び出して、ボコボコにするというアレか? そして、暴力によって、絶対的な支配を確立させるという、高校都市伝説にもなっているアレか!?
え……。俺、殴られるの? さっきそこでヘラヘラしている馬鹿女に鼻血を垂らされたばかりなのに、さらに痛めつけられるの?
恐怖が一気に襲ってきた。不味い。逃げなきゃ……!
この場を抜け出す言い訳を必死になって考えるが、妙案が全然浮かんでくれない。場合によっては、生命の危機に発展しかねないというのに。
「じゃ、行こうか」
気付かない内に、関谷先輩に後ろ手を回されていた。というか、いつの間にこんなに接近していたんだ? 身のこなしが柔らか過ぎる。
肩に手まで置かれてしまったら、もう行かざるを得ない。遊里は相変わらず何も考えていないような顔で微笑んでいるし、木下はノックアウト状態が継続中だし。
……短い人生だったな。
関谷先輩が連れて行きたいという場所に向けて歩き出す中、俺は今までの人生を顧みようとした。でも、走馬灯のように脳内で流れてくることはなかった。
また投稿が遅くなってしまいました。