第三十一話 ロミオとジュリエットと、逢引きの誓い
プールに行った翌日、記憶喪失仲間にして、最愛の彼女であるアリスに、早速昨日あったことを報告した。とはいっても、大半は忘れてしまっているんだがね。
「そう……。爽太君も記憶を失くしちゃったんだ」
「一日限定だけどな」
アリスの作ってくれた弁当を頬張りながら、こともなげに返事をした。ごっそり持っていかれたアリスに比べれば、一日分の記憶なんて大したことない。
それなのに、アリスは自分のこと以上に心配してくれている。もし、彼女の妹であるアキに同じことを言ったら、自分を差し置いてプールに行った罰だとか言いそうなところなのに、本当にアリスは性格の良い子だ。
「爽太君。記憶を失ったのに、何か嬉しそうだね……。これ、結構きついことだって分かってる?」
おっと! アリスからたしなめられてしまった。つい舞い上がってしまっていたようだな。俺は苦笑いをすると、アリスに頭を下げた。
「でも、爽太君にまで手を出すなんて……。安全地帯だと思っていたのに」
「まあな」
薄情に聞こえるかもしれないが、向こうは俺に惚れている訳だから、危ない目に遭うこともあるまいと思っていた部分は確かにあった。今回は、そんな心の隙を見事に突かれてしまった訳だ。被害こそ大したことがないものの、油断していたことは否定出来ない。
「でも、このことはプラスに考えることも出来る。俺に狙いを定めることもあるのなら、逆手にとって返り討ちにしてやることが可能だからな」
「あまり危ないことは考えないでね」
アリスが不安そうな顔をする。心配するなと意気込みたいが、今回の件がある以上、あまり大きなことも言えない。ちょっとだけ神妙な顔で、首を縦に振った。
しかし、「X」のせいで、すっかり雰囲気が沈んでしまったな。ここは明るい話題で気分転換だ。
「今度は海に行くことになったんだけどさ。そっちには絶対に一緒に行こうな」
意識して笑顔で語りかけたが、アリスの顔は晴れない。
「え、でも……。私、両親の目が厳しくて……。爽太君はおろか男子と出歩けない状態で……」
「だったら、別々に行けばいいんだ。そして、向こうで偶然を装って、合流する」
それなら、アリスの両親の目だって届かない筈だ。アリスはしばらく眼をいつもより大きく開けて呆けていたが、やがて決心するように、「いいね」とだけ答えた。
「会えない二人が、親の目を盗んで逢引きする。私たち、ロミオとジュリエットみたいだね」
「ああ。燃え上がっちゃうね」
恋は障害があるほど、激しく燃えるっていうしな。
「それに……」
一旦話を区切って、一呼吸置いてから、また話し出す。
「アリスの水着姿を見たい。学校指定の水着じゃなくて、プライベートの方を」
去年の夏は、まだアリスとは知り合ってもいないので、まだ拝んだことがないのだ。本当は、プールに行った時に見たかった。
俺が頬を赤く染めながら話すと、アリスはしばらく呆けていたが、やがて可笑しそうに噴き出したのだった。
「そっか。爽太君も男の子なんだね」
「えへへ」
アリスに痛いところを突かれてしまい、俺は苦笑いで誤魔化した。そりゃ、健全な男子高校生なら、自分の彼女の水着姿に興味を持っちゃうでしょ。必然的に。どうしようもなく。
「爽太君って、結構かわいいところもあるんだね」
そう言って、アリスが俺の頭を優しく撫でてくれる。記憶を失う前のアリスだったら、絶対にやってくれなかったことだ。こういうことをされてしまうと、こっちのアリスもいいかなと思っちゃったりするんだよな。
「ママ~! あのお兄ちゃん。女の子に頭を撫でられて喜んでいるよ。変なの~!」
「こら! 見るんじゃありません!」
幼稚園くらいの女の子が、こっちを指差して叫んだ後、母親に抱きかかえられてどこかに行ってしまった。
俺とアリスは顔を見合せたまま、赤面してしまう。慎重差があるから、俺がアリスに甘えると、高校生が小学生に甘えているように見えてしまうんだよな。当然、周りからは変な目で見られてしまうのだ。
「きょ、今日はこれまでかな?」
「そ、そうだね」
本当はキスまでいきたかったんだけど、さすがに周囲の目が気になってきた。無念だが、ここでストップだ。
その後、簡単な話し合いの結果、ざっくりとしたグループ分けをした。俺とアリスは当然、別グループ。誘えば間違いなく首を縦に振るだろうアキと木下を、アリスと俺でそれぞれ受け持つことにした。詳しい打ち合わせは後日、またするということにして、この日は終了。
「おほお! 海! いいねえ、海!」
俺から海行きを誘われると、暑さにダウンしていた木下は、一気に息を吹き返した。水着美女とのひと夏のハプニングを想像しているに違いない。
「ラッキーだよ。彼女と別れたばかりで、新しい彼女を探している最中だったんだよな」
「また別れたのか……」
木下は彼女を作るのは得意なのだが、どれも長続きしない。望めばすぐに彼女が出来るので、決してモテない訳でもない。顔だって悪くない。自慢の金髪が、教師からは睨まれているけど、クラスメートからの評判は上々だ。人に知られて、ドン引きされるような、妙な趣味がある訳でもない。なのに、呪われているんじゃないかと思うくらい、すぐに別れてしまうのだ。よく木下本人からも相談されるのだが、俺も明確な答えを返せずにいた。
「といっても、俺とお前しか決まっていないんだけどな」
「心配するな。俺がメンバーを探してきてやる。お前の名前を出せば、学校の綺麗どころがわんさか寄ってくるから、すぐに集まる筈だ。大船に乗った気分でいろよ」
木下に感謝の言葉を言おうとして、すぐに止めた。メンバーがすぐに集まるのは、俺の光明ではないか。言ってしまえば、寅の威を借る狐ならぬ、俺の威を借る木下ではないか。感謝するには到底値しない。
「ねえ、それって、立候補もアリなの? 人数に余裕があるんなら、私も行きたい! もちろん、爽太君のグループで!」
突然上から弾んだ声がした。反射的に、上を向くと、それと同時に見上げた顔に衝撃を受けた。
「もう鼻血は止まった?」
「いや……。勢いは減ってきているんだがね」
新しいティッシュを鼻に詰めると、再び寝転がった。遊里め。上空からヒップアタックかましてきやがって。直撃を顔に食らったせいで、まだ鼻血が収まらないじゃないか。小ぶりなくせに、勢いがあったせいで、破壊力が抜群なんだよ。木下に至っては、「女にモテまくった罰だ。これを機に、顔がグシャグシャになってイケメンを卒業してみるのはどうだ?」とからかってくる始末。どいつもこいつも……。
俺が頭に血を登らせている横で、遊里が情けない声で哀願してくる。
「ねえ……。もう十分反省しているからさ。そろそろ正座を崩してもいいかな。結構、足がやばいことになっているんだよね」
足の痺れが限界に達していると言う。俺の鼻血が止まったら、勘弁してやるよ。それまでは、たとえ休憩時間が終わろうとも解放してやらん。
「前にさ。爽太君に肩車する形で乗っかかったことがあったよね。あれをまたやろうとしただけなの。そうしたら、今日は調子が悪くて、失敗しただけ! 悪気はちょっとだけあったけど、故意じゃないの!」
そうか……。ちょっととはいえ、悪気もあったのか。失敗する度に、こういう目に遭うのなら、二度と試みないように、本日はしっかりとお灸を据えさせてもらおう。
「あの……。どうして俺まで正座させられているんだ?」
遊里の隣で、木下も足の痺れに泣きそうな声を出す。さっき、俺のことを馬鹿にしていたからだ。「尻に敷かれて鼻血を出すとか、どんだけラッキースケベなんだよw」とか、他人事のように言いやがって。思いしれ、馬鹿が。
一人が鼻にティッシュを詰めて大の字に寝転がって、残りの二人が正座で許しを乞うている。誰もいないから良いものを、何も知らない人間がこれを見たら、さぞかし奇天烈な光景に見えることだろう。
「改めてお願いなんだけど、私も海に連れて行ってよ」
俺の許可なく勝手に正座を崩しながら、再度懇願してきた。お願いするのなら、せめて誠意の印として、正座を続けるべきだと思うがね。木下も便乗する形で、足を伸ばしているし。
「……まあ、いいだろ」
「やった!」
「良かったな!」
遊里は木下とハイタッチして喜びを表現している。本音はうるさくなりそうだから、連れて行きたくないだが、下手に断ると、逆恨みされて何をされるか分かったものではない。さわらぬ神にたたりなし。渋々遊里の動向を許可した訳だ。
「お礼と言っちゃなんだけど、メンバー探し、私にも手伝わせてよ。知り合いも行きたがっていたのよね~」
「おお、いいじゃん! 人数は多い方が楽しいもんな」
俺の意見も聞かないで、二人で勝手に盛り上がっている。鼻血の一件など、もうとっくに忘れているんだろうな。
心底呆れて、ため息をつく俺の横で、遊里の目が怪しく光っているのを見逃してしまった。
結論から言うと、遊里にメンバー集めをお願いしたことを、心底後悔することになるが、それは次回ということで。
海もいいですけど、アイスも楽しみです。気になっているものがいくつかあるんですよね~。