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第二十九話 瞳の中の彼女と、夏の忘れ物

 休日の市民プール。連れの女子たちと戯れながら、暑さを忘れて楽しんでいると、「X」から直々に呼び出しがかかった。水着姿を披露してやるから、今から会おうというものだ。普段なら面倒くさがるところだが、この時は少しも煩わしく思わなかった。


 ここ数か月、俺とアリスを悩ませ続けている相手が、わざわざ姿を現してくれるのだ。今まで姿を隠しての嫌がらせに専念してきたくせに、どういう心変わりなのか気になったが、直接対峙出来るのなら、文句はない。


 メモから目を離すと、アキが俺のすぐ後ろに引っ付くように立っていることに気付いた。いくら人でごった返しているとはいえ、こんなに密着されても分からないほど集中していたのか。自分の無防備状態に苦笑いしたが、人の背中にピッタリと張り付くアキの傍若無人さにムッとした。


「何だよ」


「こっちの台詞ですよ。お義兄さん、誰かから紙を投げつけられたと思ったら、いきなり怖い顔で黙り込むんですから。何があったのかなって疑問に思いますわな」


「む……」


 アホみたいに大口を開けて、水を楽しんでいるだけと思っていたら、こいつなりに、俺のことを観察している訳か。


「お義兄さん、ひょっとして……、誰かから恨まれているんですか!? 彼女を寝取っちゃった彼氏からとか、奥さんを寝取っちゃった旦那さんからとか……」


「違うわ! ていうか、どうして寝取り限定なんだよ。お前の中の俺は、どれだけ極悪な間男なんだ!」


 やはりアキは思考が足りない。中途半端なところで結論を出す分、何も考えていないより性質が悪いかもしれない。


「呼び出しだよ。ちょっと話があるから来いってさ。すぐに戻ってくるから、みんなで楽しんでいてくれよ」


「おお! ハーレム状態のお義兄さんを狙ったモテない軍団からリンチの誘いがあったんですね。ちゃんと歯を食いしばらないと駄目ですよ!」


「どうして俺が袋叩きにされること前提なんだ? せめて返り討ちにするくらい言ってほしいな」


 モテない軍団から呼び出される危険については、否定しない。こうしてアキと話している瞬間だって、数人のDQNぽいのに睨まれているからな。


 でも、今考慮すべきは連中ではない。ある意味で、もっと厄介なやつからお呼びがかかっているのだ。そいつはDQN共と違って、俺に好意を持っている。にも関わらず、俺に害をなす困ったちゃんだ。


 アキたちに断ると、プールから上がって、一人になる。後ろを振り返ると、早速ナンパされていたが、盛大に返り討ちに遭っていたのが笑えた。


 プールから離れる過程で、アカリたちが追って来ていないことを何度も確認してから、わざと独り言を漏らした。


「あ~、ちょっと疲れたから、人気のないところでゆっくりするか~」


 わざと周囲に聞こえるようなボリュームで話してやる。誰に向けて話しかけているのかというと、姿は見えないが、確実に後を付けてきている「例のあの人」に向けてだ。こいつは、アカリたちと違って、気配を断つのが恐ろしく上手いので、いくら神経を集中させても見つけることは出来ていない。でも、もうすぐ会うことが出来る。待ち合わせ場所は指定してきていないので、俺に取って都合の良い場所を選ばせてもらおう。


 俺は周囲に人がいない場所を求めて、一般の客が立ち入り禁止になっている場所へと足を踏み入れていた。ちょうどスタッフルームを見つけて、中を覗くと、全員出はらっているらしく、無人だったので無断で失敬させてもらうことにした。当然、不法侵入なんだろうが、背に腹は代えられん。なるべくきれいに使いますので、ご勘弁を。


 入室後、部屋の奥まで進むと、振り返って廊下に向かって話しかけた。姿は見えないが、きっとやつはそこにいる筈なのだ。


「出てこいよ。ここでじっくり話し合おうじゃないか」


 しばらくは様子を見てくると思ったが、相手はすぐに応じてくれた。開きっぱなしになっているドアの向こうから、まず左足が見えた。そのまま堂々と室内に入ってきた。水着しか着ていないし、俺を見て注意する素振りもないことから、スタッフでないのは間違いない。


 そいつは俺に向かってまっすぐに歩いてきた。他の人間と明らかに雰囲気が違っていたので、「X」だと名乗られるまでもなく、本人だと分かった。てっきり顔を隠したり、自身の水着姿を撮影しただけの写真が置かれていただけだったりするのかとも思っていたが、まさかのご本人登場だ。しかも、どこも隠していない。俺と同じ年頃の少女が水着のみをまとって近付いてくる。


「……お前が、俺の許嫁か?」


 回りくどい話は好きではないので、直球で聞いてやった。もし、別人だったら、いきなり許嫁呼ばわりされたことに、動揺を示す筈だ。しかし、そいつは余裕たっぷりの笑みのまま、あっさりと肯定した。


「そうよ。私があなたの許嫁。やっと対面出来たわね、愛しい爽太君」


 こいつが、俺とアリスの仲を裂こうとしている張本人。アリスから記憶を奪った元凶。考えるだけで、腸が煮えくり返りそうになる。


 俺が怒りを必死に抑えているのと対照的に、「X」はにこやかに世間話でもするような感じで、マイペースに話しかけてくる。


「こうしてあなたの目を見て話せていると思うと、感無量だわ。どう? 私の水着姿」


 問いかけに対して、俺は無言のまま、睨み続けていた。なのに、向こうは、表情一つ変える気配がない。こういう反応をすることくらいお見通しとでも言うように。


 「X」は真っ直ぐに俺のところに歩いていると、そのまま立ち止まることなく俺にぶつかってきた。


 いや、違う。これは……、唇を重ねようとしている。つまり……、キス!


「止めろ!」


「キャッ!」


 互いの唇が重なろうという瞬間、俺は強めの力で「X」を引き離した。性格はアレだが、力は普通の女子高生程度しかないため、俺が本気を出すと、苦も無く引き剥がせた。その際に、女性らしいか細い悲鳴を上げたが、敢えて流すことにしよう。


「あ~ん、爽太君ったら、ガードが固いよ~」


「いきなり勝負に出てくる輩には慣れているんだよ。それに、どうせ不意打ちを仕掛けてくるだろうとあらかじめ構えていたんでね」


 ここまで読みが上手く的中してしまうと、ちょっと鼻高々になってしまうぜ。


「そっか……。キス駄目か……。アリスとは日常的にするくせにね……」


 微笑みの絶えなかった目元に、突如狂気の炎が浮かんだ。以前、アリスの記憶を奪った時のことが否応なくフラッシュバックされる。


「おい……、アリスに何かしてみろ。俺にも考えはあるぞ……」


 女性に手を上げたくはないが、限度を超える素行については、保証出来ない。それが俺のことを愛しているゆえの行動だとしてもだ。


「冷たい目を向けてくるのね。そんなに私のことが嫌い?」


「自業自得だ……」


「ふふふ……。うふふふふふ! 素敵! 私を睨む、その射抜くような眼差しも素敵!」


 たじろぐどころか、逆に興奮させてしまったようだ。前から思っていたが、やはりこいつとは調子が合わせづらい。このまま話し続けたら、限りなく調子を狂わされていくことになるだろう。そうなる前に決着を付けなくては! 


「ねえ、この水着どうかしら? 私って、結構着痩せするタイプなのよねえ……」


 めげることなく、俺に体をこすりつけながら、自身の水着姿をアピールしている「X」に向かって、俺は口を開いた。前回は突然の金縛りに気が動転してしまい、話しそびれてしまったが、今回は心の準備は出来ている。婚約の解消を叩きつけてやるのだ。


 しかし、俺の目論見通りに事は運ばない。俺の行動など、こいつにとっては、予想の範疇でしかないのかもしれない。この後、こいつの狂気を思い知ることになってしまった。




 俺と「X」の対峙からどれくらいの時間が経ったのだろうか。俺は寝ているところを、アキによって起こされた。


 あれ? 俺はどうしてこんなところで寝ていたんだろう。思い出そうにも、霞がかかったように、頭がぼんやりする。


「お義兄さん、どうしたんですか。こんなところで眠るなんて。みんな、いつまで経っても戻ってこないお義兄さんを必死になって探しているんですよ。本当にリンチに遭っているんじゃないかって。なのに、実際は眠りこけていたなんて、人騒がせを通り越して失礼ですよ」


 相当探し回ったんだろう。反応が薄い俺を、アキがなじってくる。厳しい表情が、アキのあまり穏やかではない心中を物語っているようだった。


 本当なら、すぐにでも謝るか、言い訳をするところだが、俺の口から洩れたのは疑問の言葉だった。


「ここ……、どこだ……?」


「ふえ……?」


 俺の口から出てきた予想外の言葉に、アキも一瞬たじろいでしまう。だが、とぼけているのだろうと思い返し、すぐに笑顔で取り繕ってきた。


「お、お義兄さん。怒られるのが嫌だからって、とぼけるのはいけませんぜ。男なら、謝る時は、しっかり頭を下げなきゃ……」


「悪い。本当に覚えていないんだ」


 冗談でも何でもなく、記憶が消失している。ここにどうしているのか思い出せないのだ。


 結論から言うと、この時の俺は軽い記憶喪失に陥っていて、今日一日の記憶を失っていた。


 俺がマジなのを察したアキも、怒るのを忘れて、一緒に呆然とする。遠くからは、救急車のサイレンが、他人事のように聞こえてきた。


せっかく会えたのに、記憶を消された爽太。

失われた記憶とともに、許嫁の顔を思い出すことは出来るのか?

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