第二十七話 人混みの中、相次ぐ水着トラブル
夏の暑さ。休日。この二つが組み合わさることで発生するもの。それは、人間でごった返す市民プールだ。
右を見ても、左を見ても、み~んな汗をかいている。読唇術がなくても、彼らが冷たいプールを欲していることが分かってしまう。
俺が疑問なのは、この人数がみんなプールに収まりきるのかということだった。どこかに「一時間待ち」とか書かれたプラカードを持った男は立っていないよな。
「やっぱり混んでいるわねえ……」
「休日だから仕方ないよ」
女子たちも、ようやくプールに入れる達成感よりも、人混みの多さへの煩わしさをまず口にした。
「人混みなんてプールに飛び込むまでの辛抱ですよ」
「飛び込むな。マナー違反だぞ」
入水から数秒で、係員につまみ出されたいのか? もしそうなっても、俺は他人の振りをして難を逃れるからな。助けてやらないぞ。
「そんなに飛び込みたいなら、専用の台が設置されているところを紹介しようか?」
「おお! 是非!」
まだ知り合って間もないのに、アキと遊里は、もう意気投合している。傍から見ていて改めて思ったことだが、この二人、やはり似た者同士だ。
この二人なら飛び込みをしなくても、別のトラブルを起こして追い出されそうだけど、そうなったら、落ち着いてプールを楽しめるかもしれない。
視線をアキたちから離して、アカリたちを見ると、ゆきがアカリに近寄って、コソコソと内緒話をしていた。
「ね、ねえ。頼んでいた物は?」
内緒話をしているにも関わらず、ゆきの声は相変わらず大きくて聞き取りやすかったので、聞き耳を立てるまでもなく、こっちに聞こえてきた。
俺の視線に気付いたゆきが俺の顔をちら見しながら、アカリに何かをせがんでいる。心なしか、顔が赤らんでいるようにも見えた。ただ、声のボリュームは落ちていないので、相変わらず丸聞こえなんだけどな。
アカリはバッグに手を入れて、ゴソゴソと探った後、何故かマウスパッドを取り出した。俺たちがこれから入るのは、プールであって、そこにパソコンはない。一体何に使うつもりなのだろうと不思議がっていると、ゆきの顔が紅潮し始めた。
「……ねえ、何これ」
「何って、頼まれていたものだけど」
不思議そうな顔をしているアカリの頬を、ゆきが掴んで引っ張った。状況は掴めないが、アカリの側に不手際があったらしい。
「私はね。あなたのお姉さん愛用の胸パッドを貸してって頼んだのよ。あなたの買ってきたこれは、マウスパッド。ハッキリいって、冗談だとしても笑えないのよ。それとも、遠回しに挑戦状を叩きつけているのかしら」
……アカリって、ボケキャラだったのか。こんな漫画でしか見られないようなボケを普通にかますとは。しかも、暑さで頭がふやけてしまっているのか、今日のアカリは珍しく反論した。
「でも、これだって使えなくはないんじゃない?」
「……あ!?」
何かゆきの後ろに真っ黒いオーラが発生している。半端な説得は命取りだぞ、アカリ。
「ゆりの胸と同じ形だから、ちょうどいい……。ごめん、今のは冗談。冗談だから……!」
冗談のつもりで、タブーに触れてしまったらしい。アカリも、口にしてから失言に気付いたようだが、時すでに遅し。即座に、人でごった返している中、鬼ごっこが開始されてしまった。
「泣かす! 今の発言は聞き捨てならん! アカリといえども、泣かす!」
「いつも泣かしているじゃん!」
人混みの中を縫うように追いかけっこをしている。今のところ、器用に避けているので、通行人にぶつかったりはしていないが、迷惑には違いないので止めさせた。
俺が力づくで二人を引きはがしても、二人はまだいがみ合っていた。
「こ、こうなったら、意地でも例の水着を着せてやるわ」
例の水着というのは、話に聞く生地の少ない水着のことだろう。俺も年頃の男なので、出来ることなら拝んでみたいという欲求はあるが、嫌がるアカリに無理やり着せるのは反対だ。
「残念でした! 例の水着は、今日持ってきてません! だから、私に着せることは不可能よ!」
自信満々にアカリが言い切ったが、ゆきも負けてはいない。
「残念なのはそっちよ。そんなことだろうと思って、こっそりとあなたの家に行って、例の水着を回収してきたわ」
「な、な……!」
アカリの顔が瞬間湯沸かし器のように、真っ赤になる。その顔を満足そうに眺めながら、ゆきはアカリのバッグに手を突っ込んで、スク水を取り出した。
「そうと決まれば、これは必要ないわよね。私が預かっておいてあげるわ」
ゆきが没収しようとしているスク水を、アカリが掴む。意地でも、これを着たいらしい。というか、例の水着を着たくないらしい。
「嫌! 私はこれを着るの! あんなの着たくない!」
「我がままを言わないの! あんたの一番の武器をアピールしなくて、どうするのよ? 爽太君を落としたくないの?」
「べ、別の部分で勝負するわよ。私の魅力は胸だけじゃないもん」
「何を言っているの! あなたから胸を取ったら、魅力激減よ!」
親友のアカリに対して、かなりひどいことを言っている。ゆきも口が悪いな。
俺は呆れながらも仲裁に入るが、水着の奪い合いに夢中な二人は耳を貸してくれない。
そんなに強い力で引っ張り合ったら……。
ビリイィィ……。
破滅的な音を立てて、アカリのスク水は真っ二つに分裂してしまった。
「あ……」
さっきまで水着だった残骸を手に、硬直して互いの目を見る二人。今破けたの、アカリが学校でも着ているやつだよな。授業にも支障が出てしまうな……。
「こ、これで、新しい水着を着るしかなくなったわね」
そういうことになってしまうけど、これではアカリが不憫だ。ちょうど向こうで、水着のレンタルをやっていたので、そこを紹介してやった。
「やれやれ。到着早々、水着を台無しにしちゃうなんて、ついてないですな!」
水着を借りに走っていくアカリの後ろ姿を眺めながら、アキが呟いた。俺からすると、お前が一番心配なんだよな。ちゃんと水着は持ってきているんだろうな。
「失敬な! 学校の宿題は忘れても、水着だけは忘れませんよ」
そう言って、頼みもしないのに、バッグから水着を出して、証拠だと言わんばかりに見せつけてきた。
いやいや、逆だろ。今の台詞だけでも、お前がどれだけ学校生活を軽視しているかが分かるぜ。
もっともアキのいい加減な態度はいつものことなので、たいして呆れることもなかったが、アキの持っている水着が嫌に小さいことに気付いた。
「その水着、お前のものにしては小さ過ぎないか?」
「え?」
俺の指摘に、訝しむアキだったが、改めて自分の水着を見ていると、突如表情が凍りつくのだった。
「これ……、お姉ちゃんのだ……」
「……アホ」
「ひどい! そんな言い方ないじゃないですか!」
ボソリと呟くとアキが悲痛な声で叫んだ。しかし、心配した通りになってしまうとは、アキのそそっかしさは相変わらずだ。
「水着は台無しになっていないけど、ついていないな。お前もアカリと一緒に水着を借りてこいよ」
俺にからかわれたアキは、顔を赤くしながらも、強情を張った。
「いいですよ……。頑張って着ますから。少しくらいなら、きつくても我慢します」
自暴自棄ともとれるアキの発言に、他のメンバーは固唾を飲んだ。いやいやいや……。
「無理に決まっているだろ。お前とアリスじゃ、体格や身長が全然違うじゃないか」
無理に着ようとしたら、先ほどのアカリの水着と同じ運命を辿ることになる危険もある。もしくは、かなりピチピチになって悲惨な姿になることだろう。そんなことくらい考えなくても分かりそうなものだけどな。
「あ、今お姉ちゃんのことを馬鹿にした」
「は!?」
「遠回しに、お姉ちゃんのことをチビって言った。言いつけてやろ……。痛い!」
事実無根なことを言いだしたので、頭突きをお見舞いしてやった。俺がアリスのことを馬鹿にする訳ないだろ。
「でも、お姉ちゃんの水着を私には小さ過ぎるから着られないと言ったのは事実ですよね。それって、お姉ちゃんが私に比べてチビだって意味ですよね」
「違う!」
「違いません!」
く……。人の発言の揚げ足を取りやがって。間違って姉の水着を持ってきてしまったくせに。
少々イラッときたので、半ば強引に水着を借りに行かせると、遊里がニヤついた顔で小突いてきた。
「着替える前からトラブル続出だねえ。これから起こる災難の幕開けを予兆しているみたい」
「縁起でもないことを言うな」
お前に言われるまでもなく、同じことを考えて不安になっていたところなんだ。わざわざ指摘してくれなくていい。
「……さすがにお前は大丈夫だよな?」
俺の水着は大丈夫なことはもう確認済みだ。あと、不安なのはこいつだ。アキと同じようなしょうもないミスをやらかしそうな気がしたのだ。
「君は私を何だと思っているのかな? こう見えても、水泳部。体育着は忘れても、水着の管理は怠らないよ」
だから、安心しろと言いたいのだろうが、俺は同じような台詞を直前に聞いている。そして、そのセリフの主は、今水着を借りに走っている。
「……たぶんね」
「何か言ったか?」
遊里がボソリと不安をさらにあおるようなことを言っていたが、結果的に問題なかった。水泳部の面目は保ったといえる。