第二十三話 忘れ物を取りに戻ったら、泥棒猫が潜んでいた
学校の中庭近辺を歩いていたら、頭上から五十嵐遊里が降ってきた事件から数日が経った。白いバンツの衝撃も薄れてきた頃、木下が興奮した様子で話しかけてきた。
「おい、爽太。この間の落下少女なんだけどな。詳細が分かったぞ」
「この間の落下少女って、五十嵐遊里のことか?」
「! 知っているのか」
「ああ、本人から自己紹介されたからな」
そう言えば、この間はいつの間にか木下と別れていたんだよな。遊里を保健室に連れて行くことで頭がいっぱいで、気が付いたらいなくなっていたんだっけ。木下を見ると、つまらなそうな顔で、俺を睨んできている。何だ? 俺だけ遊里から自己紹介されたことが悔しいのか?
「でも、知っているのは名前だけだぞ。それ以外のことは知らん」
「いや、名前だけ知っていれば充分だろ……」
名前しか知らんと言っているのに、木下から強烈なジェラシーが漂ってきている。俺には既にアリスという彼女がいるので、遊里に手を付けることはあり得ない。ジェラシーの火を燃やす意味が分からないのだがね。
「俺の話はいいからさ。それより、お前の仕入れてきた情報を教えてくれよ」
果たして、俺のせいなんだろうか。腑に落ちないが、気まずい空気が流れているので、話題を変えることにした。木下が上手く乗ってきてくれたので、空気の改善には成功した。
「遊里は水泳部のエースでな。去年はインターハイにも出場している」
「インターハイ!」
先日のイメージだけなら、完全にアホな盗撮魔だったが、それが一気に覆った。人は見かけには寄らないんだな。
「趣味は動画撮影で、数は多くないが熱心なファンも多い」
そういえば、前回会った時も撮影中だったな。内容はアレだったけど。他の動画も似たような内容なら、彼女のファンというのもろくな人種ではなさそうだな。
「大雑把な性格で、あまり肌を露出することに抵抗を感じない。ん? どうした。顔が赤いぞ」
破けた腰の部分から覗いていた白いパンツを思い出して、柄にもなく赤面してしまう。それを木下に突っ込まれると、つい何でもないと意地になって否定してしまった。
「話を聞く限り、変わったところはあるが、運動部のホープということだな」
俺が遊里のことを褒めると、木下の顔が曇った。
「でもな。彼女には黒い噂も付きまとっているんだよ」
「黒い噂? まあ、大体の想像はつくけどな」
またも白いパンツを思い出しそうになったので、頭を強く振って淫らなイメージを振り払う。
「お前、さっきから様子が変だぞ。ま、深く突っ込みはしないけどな。それで黒い噂なんだが……」
俺の様子に不審がりつつも、話を続けようとする木下の声を遮って、アリスの声が聞こえてきた。
「何の話をしているの?」
「ア、アリス!?」
木下との雑談に夢中になり過ぎて、アリスが近付いてきているのに気付かなかった。俺が変な声を出して後ずさるのを、彼女は不思議そうに見つめている。
「雑談しているから、声をかけたのに、そんなに驚くことないじゃない。変なの」
「そ、そうだな。変だな。アハハ!」
幸い、アリスにこっちを勘ぐっているような素振りは見られないので、笑って誤魔化す。しかし、そのまま無事に終了とはならなかった。
「心にやましいことがあるから、怯えたんじゃないんですかい?」
アリスの背後から、アキが顔を覗かせる。アリスだけで十分なのに、余計なものまで付いてきてしまったな。しかも、いきなり核心をついてきやがる。動揺を悟られまいと、俺はアキの頭をはたいて、無理やり否定した。アリスはそんなやり取りを、相変わらず不思議そうに見ていたが、ため息を小さくつくと、用件を話し出した。
「二人共放課後は暇?」
「? 暇だけど」
木下も誘ってきているから、デートの誘いではないんだろうな。力仕事の依頼でなければいいと思いつつ、実際に暇だったので、暇だと返した。
「そうですか、暇ですか。丁度良かったですよ」
俺が話しているのはアリスなのに、アキがしたり顔で答える。お前とは話していないんだけどね。
「じゃ~ん!」
アキが得意そうに見せびらかしてきたのは、どこかのレストランの招待券だった。店名を確認したところで、俺と木下は目を丸くする。
「これ、ミシュランでも紹介されていたフランス料理の名店じゃないか。確か値段が馬鹿みたいに高いところだよな?」
驚きの一言で、アリスを見つめると、招待券を入手した経緯を話してくれた。
「親が雑誌の編集者をやっていてね。その店を取材した時に、このチケットをプレゼントされたの。せっかくだから友達を誘って楽しんでいらっしゃいって。だから、もし二人が暇なら、一緒にどうかと思ってね」
やった! 何て幸運なんだ。フランス料理なんて、一生縁がないと思っていたけど、ありつけるチャンスが訪れるなんて。
「爽太君は大丈夫みたいね。木下君は?」
「暇!」
ほとんど条件反射で、木下が即答した。口からは早くもよだれが溢れている。
「お前と付き合っていて良かったぜ」
そう言って、俺の背中をバンと叩いた。褒められているのだろうが、正直あまり嬉しくない。ぶっちゃけ、こいつは誘わなくてもいいんじゃないのか?
「お前、今日バイトだったよな」
もしかしなくても、バイトをサボって食事に行くつもりだと分かったので、軽く忠告してやる。案の定、木下はバイトの存在をすっかり忘れていた。しかし、思い出したからといって、真面目に働くつもりは毛頭ないようだ。
「ああ、そうだった。ちょっと待て」
木下がコソコソと携帯電話で、バイト先に体調不良で休む旨を伝えている。あまり褒められた才能ではないが、横から見ている俺でさえも、本当に風邪を引いているんじゃないかと思ってしまうほど見事な芝居だった。
「よし! バイト休み。改めて暇!」
電話を終えると、木下がガッツポーズしているが、バイトを休まないで汗水たらして稼いだ金で食べに行った方が豪華なものにありつけると思うんだけどね。
「相変わらずね。まあ、いいけど」
木下のいい加減な性格を目の当たりにして、アリスも飽きれているが、毎度のことなので、注意する気はないらしい。
それからは、フランス料理のことばかり頭に浮かんで、授業の内容は頭に入らなかった。そして、待ちに待った放課後……!
「あれれ?」
フランス料理店に出発という段階になって、それまで浮かれていたアキの表情が曇る。バッグの中を入念に確認しているところから、何かを探しているのは分かった。
「どうした? トラブル発生か?」
こんな時に勘弁してくれよと思いつつ、声をかけるも、トラブルは解消してくれなかった。
「い、家に忘れ物をしてきちゃいました……」
「おいおい……」
そそっかしいこいつにしてみれば、この程度のことは日常茶飯事だったが、何も今やらかしてくれなくても……。
三人で呆れかえったが、家に取りに戻らないといけないのなら仕方がない。家までは俺が付き添ってやるので、アリスと木下には先に店に行ってもらうことにした。
「ごめんね~。すぐに向かうから」
「そんな急がなくても良いわよ。あなたの分は私が責任を持って、食べておいてあげるから」
「~~! お姉ちゃん、ひどい~!」
アキが抗議の声を上げるが、自業自得だ。アリスたちと別れると、俺とアキは、彼女の家へと急いだのだった。
駆け足で向かったこともあって、アリスと別れてから、たいして時間をかけずに、家に到着することが出来た。
「お、お義兄さん。申し訳ないですね」
「気にするな。それより、早く忘れ物を取ってこいよ。入口のところで待っていてやるから」
アキから借りた鍵を差し込んで回してみたものの、開錠されたことを示すガチャリという音が聞こえない。不審に思って、ドアノブを回してみると、開いてしまった。
「おい……、鍵が開いているぞ」
まさか未施錠のままで登校していたのか? 忘れ物にとどまらず、どこまでそそっかしいのか。ここまでくると、アキの防犯意識にまで不安がいってしまう。
「え~? そんなことないですよ~。朝、学校に行く時に、ちゃんと確認もしているんですからね。怖いことを言わないでください」
確認したと文句を言っているが、やったのはアキだろ。どうせ寝ぼけて忘れたんじゃないのか?
「その目。私のことを疑っていますね。ひどい!」
俺の疑っている視線に気づいたのか、アキも躍起になって否定してきた。
「ああ、はいはい。信じてやるから、もう行くぞ。アリスをこれ以上待たせる訳にはいかないからな」
「どうでも良さそうな声が腹立つ! お義兄さんのことを嫌いになっちゃいそうですよ!」
信じないといっても怒るくせに、どうしろというのだろうか。面倒くさく思いつつも、ここで言い争いをしていても埒が明かない。この話は後回しということにして、アキに忘れ物を取って来させると、アリスたちの待つフランス料理店と急ぐことにした。
そして、俺とアキがいなくなり、再び無人となった筈の家の中で、クローゼットがカタリと音を立てて開いた。驚いたことに、中から少女が一人現れた。遊里だった。
「ふう……。パパの家で寛いでいたら、いきなり来るんだもの。ビックリしちゃった。今日は娘たちの帰りが遅くなるように仕込んでおいたっていうから、パパとの待ち合わせ場所にしたのに……」
どうやら遊里は、この日の日中、この家が無人になることを知っていて、パパを待っていたようだ。そこに俺とアキが来たので、クローゼットに隠れていたらしい。ちなみに、家の鍵はパパから、スペアキーを借りている。鍵が開いていたのも、こいつが開けた後、そのままにしていたからだ。
「でも、収穫はあったかな。さっきの話しぶりだと、爽太のやつ、この家に来るのは初めてじゃないみたいね。これはパパに報告しないと。うふふ! パパの怒る姿が目に映るわ~」
遊里は愉しそうに嘲笑っているが、俺にはたまったものではない。アリスの両親とは、良好な関係を築きたかったのに、一波乱訪れようとしているではないか。