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第十九話 恨みはありませんが、あなたのお命を頂戴します 後編

 「家にゴキブリが出たの」「分かった。じゃあ、俺が退治するよ」


 こんな流れで、初めて訪れた彼女の家。彼氏として、アリスの前で良いところを見せたい一心で探すも、ゴキブリの方が一枚上手で、仕留めるには至らず。


 意気消沈して帰ろうとするも、仕事で帰ってこないアリスの両親に代わって、用心棒として泊まることになった。高校生の身分で、初めて訪れた彼女の家に、そのまま泊まる。これはすごいことなのではなかろうか。


 否がおうにも上がるテンションの中、掃除も兼ねて、家の中を再度探し回ったが、やつの行方は依然不明。


 案外、このまま行方をくらませるかもしれない。一度見逃すと、また現れることなく、姿をくらますことも多いからな。


 その後は、ゴキブリが出たせいで、一時騒然としたのが嘘のように、平和な時間が流れた。夕食も、アリスの作ったとびきり美味しいシチューだったし、会話も弾んだ。厄介者の真っ黒いのが出れば、すぐさま臨戦態勢に移るつもりではいたが、現れないので、こちらも仕方なく入浴タイムへと移行していく。


 風呂の順番は攻勢を喫するために、じゃんけんで決められた。一番風呂がアリスで、次が俺、締めがアキ。


「お二人共付き合っているから、一緒に入ればいいのに」


 ふしだらなことを提案するアキに、二人で同時にチョップをお見舞いしてやった。本音はやりたいに決まっているが……。まだ、そこまで親密な仲に発展していないので、今回は我慢だ。何より、アキを野放しにすると、どんなちょっかいを仕掛けてくるか分かったものではない。どちらかが入浴する際に、こいつの言動を監視していなくては。


 そういう訳で、一番手のアリスが着替えを持って、浴室へと入っていった。俺はというと、リビングにて、アキと一緒に今夜の寝床となるソファにごろんと腰から据わって寛いていた。


 テレビをつけて、チャンネルを適当に変えてみたりしたが、生憎どれも俺の趣味には遭わず、仕方なく読書で時間を潰すことにした。読む本は、お義父さんの書斎から、アリスに断って借りた。


 家に本を貯蔵するためだけに作られた部屋があることにも驚いたが、もっと驚いたのは、その貯蔵量だ。ざっと見ただけでも、千冊はある。俺の好きな作家の本も、一通り揃っているのを見た時は、柄にもなく興奮してしまった。「どうせ私たちは読まないから、好きなものを読んでいいわよ。傷を付けないで元の場所に返してくれればいいから」とのお許しも出たので、遠慮なく失礼させてもらっていたのだ。


 ずっと読みたかったけど、高くて手の出なかった本を読めるとあって、上機嫌でページをめくる。隣にアキがいるのも忘れて、つい鼻歌まで漏れてしまう。アキに笑われて、わずかに赤面していると、風呂からも鼻歌が聞こえてきた。


 アリスめ。上機嫌に鼻歌なんて歌って。リラックスしているな。さっきまでゴキブリに怯えていたので、落ち着いてくれたことに安堵した。


「ところで……」


 さっきから気になっていることを突っ込ませてもらおうか。


「夕食の後なのに、まだ食うのか?」


 アリスがポテトチップスの袋を開けて、中身をバリバリと咀嚼している。


「ふっ……! 好きなものは別腹でさあ」


 この間もかなり食っていたよな、人の奢りで。これだけ食っているのに、食べた分はどこに消えているのだろう。腹は出ていないし、頭にも胸にもいっている気配がない。アキの中にはブラックホールでも存在しているのかね。


「ていうかな……。お前、近いよ?」


 せっかく広いソファに座っているのに、わざわざ俺の隣に座りやがって。近過ぎて密着しているじゃないか。絶対に、わざと体を寄せてきているよな。これは恋人同士の距離だぞ。


 俺が遠回しに離れろと伝えても、アキは体を密着させたまま、話しかけてきた。まるで耳打ちでもするかのような小声だ。成る程。俺と密会の真似事をするために、体を寄せてきていたのか。


「お姉ちゃん……、お風呂に入っていますね」


「言われなくても知っているよ」


 それをわざわざ重要事項で話すかのように、口にしているということは、また何か企んでいるということだ。こいつはそういうやつだ。


 じろりと横を向くと、案の定、満面のニヤニヤ笑いを漏らしていた。俺が「何だよ……」と呟くのを待っているような顔だ。つっこみたいが、つっこんだら負けの気がしたので、黙っていたが、それで見逃してくれる訳もなく、アキの追及が始まった。


「覗かないんですか?」


「覗かない」


「強がらなくていいんですよ」


「強がっていないから」


 彼女の入浴をのぞき見するなどと言う不埒な真似をするほど、俺は落ちぶれていない。というか、入る時に、「覗かないでね」とまで念押しされている。


「ああ言っていましたけど、もしかしたら、覗き待ちかもしれませんよ?」


「そんな訳あるか」


 こいつの甘言に乗って、本当に覗こうとしたら、すぐに大声を出して、アリスに知らせる腹積もりに決まっている。そして、その後の修羅場を笑って眺める。こいつはそういうやつだ(現に追求したら、意味深な笑いで、否定しなかった)。


「そういや。数時間前から、パッタリと見なくなりましたね、ゴキッシー」


「何だ、そりゃ」


 いつの間にか愛称をつけやがった。某有名ゆるキャラの呼び方を真似たつもりか? 言っておくが、本家に比べて、絶対に人気は出ないぞ。


「もしも……。もしもですよ。今、お姉ちゃんの前にゴキッシーが現れたら、生まれたままのあられもない姿で、お義兄さんに泣きついてきちゃいますよね」


「まだ言うか……」


 悪態をつきながらも、うっかりその時のことを想像してしまい、顔が赤面してしまう。底を見逃すアキではなかった。ニヤニヤと無言で笑われしまい、慌てて咳払いをして誤魔化す。


「ああ、そっか。そんなことをしなくても、もう五年くらいすれば、堂々と一緒に入れるもんね」


「ばっ……」


「あっ! 赤くなっている。うふふ~! お義兄さんったら、モテモテなのに、ウブ~!」


「う、うるさい」


 アキのくせに、ませたことを言いやがって……。俺も俺だ。こんな見え透いた手に踊らされるな。こいつが入浴中のアリスをネタにからかってくることくらい予想していただろうが!


「とにかくだ。ゴキブリがアリスの入浴中に出ることはないよ。入る前に徹底的に確認したからね」


 怯えるアリスだって馬鹿ではない。入浴中にゴキブリが出てきたら、一糸纏わぬ姿で、俺の前に出てくることになってしまうことくらい予期していたのだ。


 それを防ぐために、入浴前にやつが隠れられそうな場所を、隅から隅まで徹底的に確認しているのだ。俺も狩りだされたので、どれくらい徹底的に確認したのかは分かっている。仮にやつがアリスを狙っているとしても、入浴中に襲うことはできまい。


「何でえ。つまんねえの……」


 ゴキブリが出ないと知り、興醒めしたようにため息をつくが、すぐに次の手を思いついたようだ。すっくと立ち上がると、浴室に向かって歩き出す。何をする気かと思っていると、ドアの前で立ち止まり、いきなり緊迫した声で叫んだ。


「お姉ちゃん! ゴキブリが出た! 今、風呂に入っていったよ!!」


「えええええ!!!?」


 うわっ! こいつ、ゴキブリが出ないものだから、しびれを切らして、嘘までつきやがった。そうまでして、姉にイタズラを仕掛けたいのかよ。


 しかし、アリスは完全に嘘を信じ込んでしまい、風呂から脱出しようと、ドアの向こうでドタバタと走り回っている。さすがに全裸で出てくるようなことはないと思うが、この慌てようだと、ほとんど服を身に付けていない、あられもない姿でドアを開けることになってしまうだろう。


「アリス、今のはアキのついた嘘だ。ゴキブリは出ちゃいないし、風呂にも行っていない!」


「う、嘘!?」


「そう、嘘! 全くのでたらめだ。大体何もないことは入浴前に、血眼になって確認したじゃないか」


「わわわ! お義兄さん、ばらしちゃ駄目ですよ」


 すったもんだが続いている最中も、ドアノブはガチャガチャと音を立てて、今にもドアが開きそうになっている。俺と会話しながらも、パニックになっているアリスがドアを開けようとしているのだ。


 向こうから開けてくれるなら、不可抗力ということで見ても大丈夫かと思ってしまったが、すぐに思い返し、まさに開こうとしているドアをしっかりと抑えた。


 この後、騒ぎの原因となったアキは、風呂から上がったアリスから制裁を受けて、地獄を見ることになるのだが、それはまた別の話。その際に、俺にも簡単に見ていないか聞いてきたが、サラリと否定した。


 本当は一瞬ドアが開きかけた時に、ちらりと肩の辺りまで見えてしまったのだが、話したら、またパニックになると思ったので黙っておくことにしよう。


 アキからは、「最後まで紳士を貫くとか、何を純情ぶっているんですか。それでも、男子高校生ですか」と、批判的なことを言われたが、アリスの入浴がどうにか無事に終わって良かった。でも、この虚しい気持ちは一体……。


 アリスと交代で、今度は俺が入浴する番に。


「分かっていたよ。漫画みたいな美味しい展開はそうそう来ないって……」


 脱衣所で、ブツブツ言いながら、服を脱ぐ。着替えは用意していなかったので、アリスの計らいで、お義父さんのパジャマを貸してもらっている。借りた本もそうだけど、絶対に汚す訳にはいかないな。


 アリスの裸を見られなかったことを残念に思いつつも、これから入浴できるということで、完全に気が緩んでいたらしい。


 一つ、重要なことを忘れていたのだ。何かというと、もちろん黒いアレのこと。アキがゆるキャラっぽく呼んでいたやつのことだ。迂闊だった。


 やつは、俺が服を脱ぎ終えて、一時的に自由に動くことが出来なくなるこの瞬間を狙っていたのだ。


 ちょうど全裸になって、これから入浴……というところで、リビングから、悲鳴が上がった。アリスの声だ。


「そ、爽太君……。来て~! やつがきたの~!」


 やつが!? 嘘だろ?


 よりによって、俺が入浴中に出てくるなんて。すぐに脱いだばかりの服を着て、駆けつけようとしていると、アキがドアの前まで駆けてきた。


「お義兄さん! ゴキッシーが出ましたぜ!」


「ああ、分かってる。今、行くから……、ドアを開けるな!」


 まだトランクスも履いていないんだぞ。今、開けられたら、第二の惨事が待っている。


「でも、ゴキブリが出てますよ? お姉ちゃん、ピンチですよ?」


「分かっている! 服を着替えたらすぐに行くから」


「そんな悠長なことを言っている場合じゃないです! ほら、急いで」


 い、急いでいるけどさ。でも、まだ不味いんだよ。早く駆けつけなきゃいけないのに、アキと俺でドアの引っ張り合いが始めってしまう。ゴキブリは狼藉の限りを尽くしているらしく、アリスの悲鳴が途切れることなく聞こえてくる。ああ、もう。落ち着かねえな!


後編とはなっていますが、まだ続きます。次回こそは決着する予定です。

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