第十八話 恨みはありませんが、あなたのお命を頂戴します 中編
アリスの家にゴキブリが発生した。やつのことが大嫌いなアリスから、即座にSOSが届き、駆けつけた俺のゴキブリ探しは幕を開けた。
彼女の前で頼れるところを見せたい一心で、一生懸命探したが、潜伏の天才であるやつを追いつめるには至らず、時間だけがイタズラに流れていった。そして、ついに健全な男子高生は帰宅する時間になってしまう。
アリスを置いてけぼりにするみたいで気が引けたが、将来の義理の両親の目が気になるので、もう帰ることにした。だが、帰ろうとする俺の手を、アリスが掴んで離そうとしない。
「今夜は帰らないで……」
「え……?」
まさかの言葉がかけられた。この言葉を、俺に都合よく解釈してもいいのだろうか。
「い、いいの?」
震える声で聞き返してしまうが、アリスは無言のままだが、否定はしなかった。俺を両親に紹介するということなのか……?
「だ、だってゴキブリ。見つからなかったんでしょ? また出てきたら怖いもん……」
「……」
あ、そういうことね。両親に紹介するとか、そういう目論見があった訳じゃないのね。
だが……、恥じらいつつ、もじもじしながら、お願いしてくる姿は、俺にはストライクだった。
「つまり用心棒という訳だね」
頼りにされていることには変わりないし、どの道、このまま居れば、ご両親とも挨拶をすることになる。チャンスには変わりない。
「OK! ゴキブリ探しを続行させてもらうよ」
ゴキブリをそのままにして帰ることには抵抗があったので、作業を続行できる点も良い。何だかんだ言っても、あのまま帰っていたら、様にならなかったしな。
「そうと決まれば、また家宅捜索を再開させてもらうよ。アキも構わないよな?」
もし、危険が及んでも、俺が撃退してやると、安全性をアピールしてやったが、アキは冷めた顔で掃除用具とゴミ袋を押し付けてきた。
「ていうか、お義兄さん。後片付けはしっかりしてくださいね。それが終わるまで何日でも泊まり込んでもらいますぜ」
ゴキブリ探しに熱中するあまり、家中をひっ繰り回してしまっていたので、その掃除をしろという意味での発言だったが、テンションの上がっていた俺は、猛烈に勘違いしてしまう。
「何日でも!? それはもう家族と呼んでいいのではないか! 同棲というやつではなかろうか!」
「いや、ただ単に散らかした個所を掃除しろって意味です」
せっかく人のテンションがマックスになっているというのに、つれないな。姉妹揃って、ガードが固い。
「でも、まあ、その通りかな?」
ゴキブリ探しに夢中になり過ぎて、アリスの家の家具をひっくり返しての捜索の結果、強盗に押し入られた後のような惨状を見せていた。
正直、自分でやっておきながら、改めて見回すと、若干圧倒されてしまった。ため息をつきたくなってしまったが、とりあえず自分でやったことと言い聞かせて、ゴキブリ探しを兼ねて、片づけていくことにした。
三十分後、半分も片づくことはなく、夕方から始めたゴキブリ探しの疲れも出てきて、だんだん弱気になってきた。
「……これ、アキがやったことに出来ないかな」
「お義兄さん!?」
罪を押し付けられそうになって、アキが驚いた声を上げた。ひどいことを言っているとは思うが、散らかっていたこいつの部屋を掃除してやったのだ(あまり感謝されなかったけど)。俺の代わりに怒られてくれても、ばちは当たらないと思う。
「……携帯電話」
「あ~! また私を脅そうとしている! 鬼! 悪魔!」
「携帯電話?」
携帯電話の件を知らないアリスは、不思議そうな顔をするが、アキにとっては笑い事ではない。
「ち、ちが……。何でもないからね!」
姉に携帯電話の件がばれないように、必死になって誤魔化している姿が、ちょっと笑えた。でも、慌てながらも、俺の代わりに怒られることに関しては、首を縦に振ってくれなかった。仕方がないので、また掃除を再開することにした。残念だったけど、良い息抜きにはなったよ。
「あ~あ。今回も失敗したか」
「何度試しても、私は脅しには屈しませんからね!」
ぶつぶつ言いながらも、腹いせも兼ねているのだろう。ソファに座って、スナック菓子を頬張っている。そっちで出たゴミは掃除してやらないから、怒られるのが嫌なら、自分で掃除するように。
「ちなみにアキって、ゴキブリが苦手なのか」
「全然! 新聞紙を丸めて、瞬殺でさあ」
あっさりと言ってのけた。思い返してみれば、自分の部屋でゴキブリが動き回っていた時も、こいつは全く動じていなかったな。今だって平然としているし、少しは慌てろと、思ってしまうくらいだ。
こいつがか弱くゴキブリに怯えている姿は想像できない。それなら、アキに頼ればいいと思うのだが、そこは姉としてのプライドが許さないのだろう。そして、代わりに頼られたのが俺という訳だ。彼女に当てにされるのは、悪い気はしない。大船に乗った気でいろよとつい思ってしまう訳だ。
ボーン……。ボーン……。
リビングの時計が鳴る。午後七時になったのを告げたのだ。なかなか渋い音だ。俺の部屋にも一つ同じものが欲しいな。
「……な、なあ。ちなみにさ。両親って、何時ごろに帰ってくるんだ?」
もうそろそろアリスのご両親が帰ってきても、おかしくない時間だな。言わずもがな、俺にとっては、お義父さんとお義母さんになる人だ。初対面が掃除中の姿では、好印象は得られそうにないので、それまでには終わらせてしまいたい。
……お義母さんはともかく、お義父さんは、俺を見て、何て言ってくるかな?
「お前に娘はやれん!」とか言われたらどうしよう。内心で、ドキドキと不安が沸き上がってきていたら、アキから驚きの台詞が。
「今夜は帰ってこないよ。二人共、仕事で出張しているから」
「ああ、そう……」
緊張していただけに、肩透かしを食らった時の脱力がすごいな。でも、仕方ないか。お義父さんがいないからこそ、俺が呼ばれたんだもんな。
……って、ちょっと待て。むしろ、こっちの方がドキドキすべき状況ではないのか!?
いや、ドキドキといっても、性的にいやらしい意味でのドキドキだ。彼女の両親と会う方のドキドキとは、鼓動する場所が同じ心臓でも、意味合いが全く違う。
俺の動揺を目ざとく察したのか、アキが意味深な笑みを浮かべて忠告してきた。
「親がいないからって、変な気を起こしちゃ駄目ですよ?」
「起こさんわ!」
ていうか、起こした方がアキ的には面白いんじゃないか? 忠告してきてはいるが、お前の笑みの中に、何か起こることを期待している不純な欲求が垣間見えているぞ。
俺とアキで、しばらくお互いの心情を探り合うように見つめ合った。念のために述べさせてもらうが、ラブに発展しそう感情は一切沸き上がっていないので、ご了承を。
沈黙を破ったのは、台所から漂ってきた食欲をそそる、家庭的な匂いだった。
「もうすぐ夕食の準備が出来るから、それまでに区切りの良いところまで進めちゃってね」
俺の分も作ってくれているらしい。自分で泊まってくれと言ってきたのだから、当然のことだが、やはり彼女が手料理を作ってくれるというのは嬉しいことだ。お腹が対して空いていなくても、待ち遠しくなってしまう。
「ふむ……。この匂いはシチューの様ですな」
「ああ、間違いない」
特別好物でもないが、アリスが作ってくれたものなら、全ての料理が大好物へと変化するのだ。俄然やる気になった俺は、残りの掃除も終えた。でも、一番肝心なゴキブリを発見するには至らなかった。
俺の目論見通り、アリスの作った夕食は絶品だった。やはり家事の出来る彼女はポイントが高いぜ。
「うん、美味い! やっぱりアリスの手料理は最高だ!」
「ありがとう……。そう言ってもらえると、作った甲斐があるよ」
和気あいあいとスプーンが動いていき、会話も弾む。まだ見つかっていない例の黒いものの話題を意図的に避けていることを除けば、団欒という言葉がよく似合う食卓だった。出来れば、将来はアリスの両親も交えて、この雰囲気で食事できればと願う。
俺がこんなにしんみりと食べているのに、アキは相変わらず人をおちょくるのが好きなようだ。
「そう言えばさあ。今日はお義兄さんも泊まるんだよね。リビングのソファで、寝てもらうとして、お風呂はどうする?」
「え?」
「だ~か~ら~。お風呂の順番はどうする? 先に入ってもらう?」
アリスのことだから、きっと風呂も使わせてくれるだろう。そんなこと、食事の場で話すことでもない。わざわざ持ち出すということは……、また何か企んでやがるな、こいつ。
主人公たちが和気あいあいとしていて、存在を忘れられつつありますが、
黒い悪魔はまだこの家に潜んでいます。
そして、まだ活動を控える気はないみたいです。