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第百八十六話 どこにでもある街の、ある一つの愛憎劇の終末 後編

 長かった優香との戦いにも、ついに終止符が打たれた。結果は、俺とゆうちゃんの勝利。二人の間が引き裂かれることはなかった。


 盛り上がる俺たちをよそに、敗れた優香は、記憶喪失剤を打つことによって、自身の存在を消すという選択肢を下したのだった。強要した訳ではないが、負けたまま生きるのは、彼女のプライドが許さなかったらしい。


彼女の潔さに感服したのか、犬猿の仲だった筈のゆうちゃんが、言い残すことはないかと問いかけた。すると、最後にお願いしたいことがあるのだという。


 ゆうちゃんが俺の方を振り向いて、構わないかどうかを目で訴えてきた。俺は、それで構わないと頷いた。


 もう最後なので、一応聞いてやろうとは思うが、あまりにも突拍子もない願いだったら、やんわりと断ってしまおうとも考えた。


 間もなく口を開いた優香は、こんな我が儘を要求してきた。


「この縄を解いて……、あなたを思い切り抱きしめさせて……」


 その申し出を聞いて、ゆうちゃんはわずかに顔をしかめた。今更になって、言い残したことがないかどうか確認したことを後悔しているように見えた。


 驚きの言葉を発した優香は、それ以降は一言を発さずに、俺をじっと見つめていた。その目は、「嫌なら良いわよ」とも、「断らないわよね」とも、言っているように感じた。


 この申し出を受けるかどうか、アイコンタクトで、ゆうちゃんと相談する。ていうか、彼女の眼前だ。普通に考えて断るのがベストに決まっているのに、どうして相談なんか始めたのか分からん。


 ゆうちゃんも、普段の彼女なら、俺が相談を持ちかける前に、全開の笑顔で却下するところなのに、難しい顔で唸っている。


 二人とも、これで最後という根拠のない確信があったせいで、思考回路まで、普段とは違ってしまっていたのかもしれない。動揺していたのかというと、そうでもない。断っておくが、俺もゆうちゃんも冷静だと言い切れる。


 結局、お互いに難しい顔で見つめあったまま、相談タイムは終了した。結論が出ることはなかった。じゃあ、どうするのかというと、俺が決断を下すことになってしまったのだ。


 ゆうちゃんは、処理を俺に任せると、後ろの方に引っ込んでしまった。嫌なら正直に言ってくれて構わないんだぞ。そっちの方が、俺も断りやすいんだから。


 一人で優香の前に立つと、気のせいか、さっきよりも瞳に力が入っているような気さえした。


 俺は大きく呼吸をすると、覚悟を決めた。


 そして、優香の自由を制限している縄を解いたのだった。もし、これで優香が襲い掛かってきたら、せっかく決着したかに思えた勝負が、振出しに戻ってしまう。無謀極まりない行為だったが、勢いに任せて、実行してしまったのだ。


 え~い! もうこうなったら、やけだ! さっき一回抱きしめているから、これくらいどうにでもなれ。ゆうちゃんも開き直ったみたいで、眉間にしわを寄せながら、目を閉じている。


 もうみんな変なテンションになっているな。冷静なんだが、どこかおかしい。ていうか、言い訳がましいな。


 俺も目を閉じて、両腕を広げた姿勢で待機していると、柔らかい感触が体を包んできた。優香が抱きついてきたのだろうな。彼女の物と思われる吐息が、俺の顔をかすっていく。


 ゆうちゃんの方からは、何も聞こえてこない。彼女も、俺と同じように目を閉じて、時が過ぎるのを待っているとみた。


 しばらく静かな時間が流れた。遠くで、車が走っている音が聞こえてきたが、それがハッキリと聞き取れるほどの静けさだった。あまりにも静かなので、自分自身の心臓の音が聞こえてくる。相変わらず一定のリズムで鳴り続けていた。


 どれくらいの時間が流れただろうか。優香からは何も言ってこないので、俺から切り出すことにした。


「満足したか?」


 閉じていた目を開けて、もう何も言ってこない優香に、確認の一声を投げかける。俺の問いに返答はなかったが、うな垂れる優香を見ていると、返事は聞くのが忍びなかった。


 言っておくが、俺はずっと目を閉じていた。ロマンチックな雰囲気など、欠片もない。だが、それでも、優香は満足そうだった。


「ありがとう、私のことを信じてくれて……」


 優香が最後に見せたのは、これまで一度たりとも見せたことのない、愛情と誠実を湛えた笑顔だった。


 その笑顔が消えない内に、ゆうちゃんは彼女の腕に、記憶喪失剤の詰まった注射器を射していた。いや、どっちかと言えば、我慢の限界だったのかな。優しく打ったようには見えなかったしね。


「……ごめんな」


「謝るくらいなら、最初からやらないでちょうだい」


 勢いに任せた行動を謝ると、そうたしなめられた。そりゃそうだ。


 苦笑いしながら、申し訳なさそうに頭をかいていると、優香が再び体を起こした。


「あれ? ここはどこ? 私、また見覚えのない部屋にいるわ。一体何が起こったのかしら?」


 聞こえてきたのは、呑気で眠そうな声だった。今まで話していた優香が消えて、主人格が再び俺たちの前に現れたのだ。彼女の顔に、さっきの笑みは、もう残っていなかった。


 それどころか、さっきまで縄でぐるぐる巻きにしていたことも、無理やり注射器を突き刺したことも、覚えていないようなので、ホッと胸を撫で下ろした。かなり強引に行動したので、激しく追及されたらどうしようか気を重くしていたのだ。


 寝起きでぼんやりしている優香の顔を眺めていると、俺も緊張の糸が解けてくるな。どうやらかなり無理をしていたみたいだ。ほんの少し気を緩めただけで、全身の力が抜けてしまい、その場にへたり込んでしまった。


「終わったわね」


 へたり込んでいる俺に寄り添うように、ゆうちゃんが寄り添ってきた。彼女も、同じように全身の力が抜けてしまったようだ。


「ああ。終わったな」


「? あなた達どうしたの?」


 俺とゆうちゃんを不思議そうに眺めた後、優香もへたり込んだ。俺たちの真似をしているつもりなのかね。


 ゆうちゃんと体を支え合いながら、フローリングの床に座って、放心状態で考えた。


 優香が最後に見せた、切なさに溢れた顔が忘れられない。


「あの顔を見せてくれたのが、最後の最後で良かったよ……」


 もし、一度でもあんな顔をされていたら、俺は……。




 一休みして、だいぶ体に力が戻ってきたので、もうこの部屋を後にすることにした。最後はのんびりしてしまったが、ゆうちゃんと優香が、監禁されかけた部屋でもあるのだ。とても長居出来る部屋ではない。


 玄関に向かうと、大男が、まだ眠りこけていた。事情を忘れてしまっている優香が助け起こそうとするのを止めて、やつは特殊な性癖の持ち主で、玄関で鍵を開けたまま寝るのが好みだと伝えた。


 そんな性癖が、この世に存在する訳がないのに、優香はあっさりと信じてくれた。こっちの優香は、心配になってしまうくらいに、人を疑うことを知らないようだ。


 マンションの受付を通ると、おじさんが居眠りを始めていた。俺が上で大変な目に遭っていたのと同時進行で、この人には、平和な時間がひたすら流れていたらしい。外に出ると、もう夕方だった。


 流れ解散も考えていたが、ちょうど小腹が空いていたこともあり、ハンバーガーを食べていくことにした。


ここ数日、ずっと緊張しっ放しの上に、ろくに食べていない状況が続いていたので、三人とも、怒涛の勢いでハンバーガーを注文していった。チーズバーガーにテリヤキバーガー、フィッシュバーガーと定番のメニューは当たり前。限定物のハンバーガーも、どんどん注文していく。あまりにも勢いよく注文していったので、店員からはちゃんと完食できるのか、確認されてしまう始末だった。どうも注文するだけ注文して残していく、冷やかしの類と思われたらしい。もちろん違うので、完食する旨を伝えた後、最後にドリンクを注文した。結構な金額になったが、そんなものはものともしないくらいに空腹だった。


 テーブルの上が一時的にすごいことになったが、こちらの食べる勢いが強かったので、すぐに状況は改善された。年頃の男女のグループが、こぞって大食いに興じていれば、いかにも人の目を引きそうなものだが、店内にいた他の客でこっちを見ている者はいなかった。


 食べながら、迎えの席に座っている優香を見ていると、不思議な気分になる。こいつの中にいた別の人格と、ここ数日……、というか、ついさっきまで戦っていたんだよな。そんなのと、食卓を仲良く囲んでいるなんてね……。


 だが、そいつはもういない。やつは自分から望んで消えていった。無理やり記憶を奪った前回や、前々回と違って、もう俺の前に現れることはないだろうという確信があった。


 不思議だ。あんなに面倒くさいと思っていたのが、もう会えないと思うと、途端に寂しくなってくる。


 その後、駅前で優香とも別れると、いよいよゆうちゃんと二人きりだ。特別なことをする訳ではないが、ドキドキしてくるね。


 そんな俺に、ゆうちゃんはつかつかと歩み寄って、いきなりグーで殴り始めた。


「え? ゆうちゃん!?」


「馬鹿! いきなりあの女に抱きつくなんて! ビックリするじゃない!」


 たじろぐ俺に、ゆうちゃんがグーパンチを続ける。溜まっていた怒りが、たった今爆発したのだ。


「それは謝るよ。でも、敵を騙すには、まず味方からっていうだろ?」


 実際、ゆうちゃんの余裕のない表情を見て、優香も演技でないと早合点していた部分はあった。


「もう! 私に小細工を使う爽太君なんて嫌い! 爽太君は、私の手のひらで踊っていればいいの!」


 それもそれでどうかと……。実際、ゆうちゃんは、俺をいじめて楽しんでいる部分があるからなあ……。


「あ! いつも私が爽太君をいじめているんだから、今日くらい良いじゃないかとか考えているわね」


 ! 声に出していないのに、どうして分かったんだ!? 俺の考えそうなことは、何でもお見通しということなのか?


「もう! 今日という今日は許さないわよ。お姉さんの恐ろしさを、骨の髄まで理解させてあげるんだから」


「わあ~! ちょっと待って! ストップ! 俺が悪かった! 次からはちゃんと相談するから!」


 俺は謝りながらも、走り出していた。しばし暗くなりだした街を、激昂したゆうちゃんに追われる身となる。


次回、最終回です。

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