第百八十四話 お前に気がないことを、証明してやるよ……!
優香に、もうちょっかいをかけてくるのを止めるように持ちかけているが、やはり手ごわい。俺をいつもあしらっているゆうちゃんでさえ、今回は弄ばれてしまっている形だ。
このままだと、からかわれるだけなので、以降の話し合いは、俺が前面に出て行うことにした。
ゆうちゃんを後ろに下がらせて、代わりに俺が、優香と対峙した。縄で体の自由が効かない状態だというのに、余裕すら感じさせる不遜な態度だ。
「やっほ~」
俺を目にしても、平然と挨拶をしてきた。こんなにあっけらかんとされると、こっちが不利な状況にいるように錯覚しそうになる。もっとも優香と何度も対峙してきたおかげで、だいぶ耐性はついているので、心配はない。
「それで? 彼女の前で良い恰好をしようと出てきたのは良いけど、どうするつもりなの? あ、もしかして土下座? 『俺の大事なゆうちゃんに、金輪際手を出さないでくれ。頼む! この通りだ!』みたいな?」
「やったところで、鼻で笑って流すだけだろ。俺は、無駄だと分かっていることはしない性質なんだ」
だいたい良い恰好を見せるために出てきたのなら、土下座なんてみっともない真似はしないだろ。
「じゃあ、どうする気なの? 言っておくけど、ただお願いしたって、私は首を縦には振らないよ」
「そんなことは知っているよ。だが、どうにか首を縦に振ってもらわないといけない。どんなに骨が折れてもな」
「ふ~ん。その割には、良い方法を思いついていないみたいだよね。彼女のピンチにいてもたってもいられなくなって、後先考えずに出てきちゃっただけにしか見えないよ? そういう熱いところは重要だけど、ちょっと浅はかじゃないかな~?」
俺の内情をよく御存じで。やっぱりこいつと話すのは苦手だ。早く話し合いを終えて、楽になりたいよ。優香は、何の策もなく、前に出てきたと言っているが、あるにはあるんだ。だが、上手くいくかどうかは、自信がないんだよな。
思い悩む俺を見て、からかってやろうと思ったのだろう。優香が、こんな提案をしてきた。
「あ、そうだ! 私にハグしてくれたら、考えてもいいわよ」
俺の後ろで、ゆうちゃんが気色ばむ音が聞こえた。普段はこんな血の気が多い女性ではないのだが、優香の挑発が効いているせいか、五割増しくらい怒りやすくなっている。これでは、優香のペースにはまる一方だというのに。
優香にハグしたら、考えると言っているが、どうせ数秒間思い悩んだ振りをして、やっぱり駄目だとか言うつもりだろ? 浅はか過ぎて、冗談にも聞こえないよ。
だが……、その挑発に敢えて、正々堂々と乗ってやろうではないか。実をいうと、優香が提示してきた提案。俺にとっても、チャンスだったりする。
「いいよ」
「……はい!?」
聞こえていない訳はないが、俺の口から出た言葉が信じられないのか、思わず聞き返してきた。さっきまでの余裕に満ちた表情がほころんだ。
「だから、お前にハグしてやってもいいと言ったんだ」
さっきよりもゆっくりと、聞き取りやすいように、今言ったばかりのセリフを繰り返してやった。
今度はしっかりと聞き取れた筈だが、優香は固まってしまっている。俺の真意を測りかねているようだな。挑発のつもりで口にしただけなのに、俺が大真面目に乗ってきたので、対処に困っていると見たね。
「か、彼女の前よ……」
これまで俺に彼女がいようとお構いなしに迫ってきた優香の口から、恋敵のゆうちゃんを気にするような発言が飛び出るなんてね。かなり動揺しているな。だが、無理もない。ゆうちゃんでさえ、驚いて言葉を失っているのだから。
「そんなことは知っている。だが、抱きつけば、状況が進展してくれるというのなら、仕方がないだろ。ゆうちゃんだって、きっと分かってくれるさ」
「ちょ、ちょっと……」
自分から提案してきたことのくせに、ちょっともないだろう。今更怖気づいて、待つように言っているが、そんなことするもんか。やっとお前が動揺して、こっちのペースになりかけているんだぞ? みすみすチャンスを逃すのは、馬鹿のやることだ。
優香に、俺のことを諦めさせるために、やらなくてはいけないことがある。そのために、俺は、ゆうちゃんの前ということを考慮した上で、優香の華奢な体を、優しく抱きしめた。
「そ、爽太君!?」
俺の乱心とも取れる行動に、ゆうちゃんが動揺の声を漏らした。優香も、俺の大胆な行動に、しばし目を白黒させて、フリーズしている。
「優香……。俺の言いたいことを、分かってくれたか……?」
抱きしめてから、間をおいて、優香の耳に囁きかけた。この質問の意味を早合点した優香が、心底愉快そうに高笑いを始めた。
「あ、あははははは! 分かったよ。ちょっとビックリしちゃったけど! これは、私に振り向いてくれたって解釈で良いのかしら? 実は、心愛のことを見限っていて、私に接近するチャンスを窺っていた。そう考えて良いのよね? 他に考えようがないものね~~!!」
優香にしては珍しくあっさりと信じてしまった。ゆうちゃんも信じ込んでいるみたいだし、俺の裏切りって、割と想定の範囲内だったりするのだろうか。
優香の耳障りな叫びをよそに、呆然と立ち尽くすゆうちゃんに笑いかける。心配しなくていいよと。俺の顔を見て、放心状態だったゆうちゃんの顔に、わずかばかりの生気が戻った。
不正解だよ、優香。悲しいまでにプラス思考だが、お前に分かってもらいたかったのは、そういうことじゃないんだよ。
「幸福の絶頂にいるところを申し訳ないんだが、お前に感じてほしいのは、そこじゃないんだよ」
「おやおや~。さらに気持ちの良いことをしてくれるの? 超楽しみ~!」
完全に有頂天になっているが、そこからテンションを急降下させてもらおうか。
「優香……。俺の心臓の鼓動が聞こえているか……?」
「爽太君の……? あははは! もちろんよ。こんなにくっついているんだもの。心臓の鼓動くらい余裕で聞こえるわよ」
「聞こえるのなら、次は、鼓動の速さに注目してくれ」
「……?」
何を言っているんだという顔で、俺を見てくる。さすがに説明が不十分なので、付け足す。
「人間ってさ。好きな人と一緒にいたりすると、ドキドキするものじゃないか? 特に、好きな人に接している時は、心臓がバクバクいって抑えようがないと思うんだよ」
「……そうね」
「俺の心臓は、どんな感じだ? バクバクいっているか?」
「……」
俺の質問に、優香は答えなかった。だが、その険しい表情を見れば、考えていることは筒抜けだ。
「全く速まらないんだ。こんなに長い間抱きしめていても」
「……」
ここにきて、浮気まがいの暴挙に出た理由を、優香も理解したようだ。そう! 俺が彼女に抱きついたのは、気持ちが移ったからじゃない。いかに、優香に気がないのかを痛感させるためなのだ。
さっきまで馬鹿みたいに大口を開けて大笑いしていた優香に、ここぞとばかりに追撃の言葉をかける。
「この際だから、ハッキリ言わせてもらうが、お前に対して、ときめかないんだよ。お前を異性として認識していないんだ」
子供の頃はどうだったかは知らないが、崖から突き落された時点で、気持ちは覚めてしまっている。出来れば、自力で気付いてほしかったんだがね。
好意を寄せている異性からこんなことを言われたら、相当堪えるだろうな。優香の表情も、瞬間的に強張る。殺意は浮き出ていなかったが、動揺と愕然は見て取れた。俺の言葉が、思った以上に効いているみたいだ。
「なんなら、何度でも、この検査をやってもいいぞ。結果は同じだとあらかじめ忠告しておくがね」
自分ではコントロール出来ない心臓の動きこそが、俺にその気がないという、何よりもの証明なんだ。それを優香に理解させることが、話し合いを決着させるために重要なことなのだ。
「ど、どうかな。爽太君が、たまたま鈍いだけかもしれないよ?」
往生際が悪いな。さっさと負けを認めればいいものを。
だが、その言葉を待っていたよ。そういうことなら、こっちも徹底的にやらせてもらうよ。
後ろに控えているゆうちゃんを見る。彼女も、俺が言いたいことを分かったみたいで、微笑んできてくれた。
聞かせてやるよ。俺とゆうちゃんの絆をな……!