第百八十三話 彼女たちの骨肉のトークバトルと、それを冷静に観察する俺
優香に、もう俺たちに絡んでこないように、話し合いをするために、体を縛った状態でスタンバイした。相手の自由を奪っておいて、話し合いも何もないと思われそうなのだが、こうでもしないと、乱闘になることが必至なので仕方がないのだ。
何も知らない主人格には気の毒なことをしたが、話したい方の人格を出すことには成功した。だが、勝負はここからなので、気は抜けない。
覚醒した優香は、まず俺とゆうちゃんを交互に観察してきた。何か言ってくるのかと身構えていたが、向こうから話しかけてくることはなかった。
「よお……」
お互い黙りこくっているのも気まずいので、とりあえず声をかけてみる。
「おはよう」
案外あっさりと俺の呼びかけに返事をした。声の感じからして、落ち着き払っているようだ。自身の敗北を察して、暴れ狂う展開も覚悟していたので、ひとまずホッとした。
「目覚めがいいんだな。てっきり悪い方だと勝手に考えていたよ」
「人は見かけによらないものよ。もっとも爽太君の隣に、虹塚心愛がいなかったら、さらに爽やかな朝の挨拶が出来たんだけどね」
覚醒草々、早速ゆうちゃんを挑発してきた。目覚めたばかりだから、頭の回転は鈍いと予想したんだが、そんなことはないみたいだな。挑発されたゆうちゃんはというと、俺の横で笑顔を引きつらせている。挑発が上手くいったことに味を占めたのか、優香の口が順調に回りだした。
「あ~あ、目覚めてみれば、鬱陶しい光景が展開されているわねえ。二人が仲睦まじく寄り添う姿を目にすることになるなんてね。こんなことなら、視力なんていらないわ」
眼前にいる人間は変わっていないのに、その声色と態度は、さっきまでとは、まるで別人。室内の空気も、一気に悪くなる。
互いにけん制し合うゆうちゃんと優香を見ていると、この二人が仲良くなるようなことは、これから先もあり得ないんだろうなと思った。
「お久しぶり。私が誰なのかも、思い出してくれたみたいね。本音を言うと、私と爽太君に関わること全てを永遠に忘れておいてほしかったんだけど。でも、機嫌はあまりよろしくないようね」
ゆうちゃんが、表情をどうにか取り繕って、平静を装い優香に話しかけるが、フンと鼻を鳴らされただけだった。
「機嫌が良い訳がないじゃないの。この状況を見れば、自分が負けたことくらい、容易に想像出来るわ。目の前で、好きな男が泥棒猫と仲良くしているのを見せつけられて、どうやって笑顔を作ればいいのよ」
「何ですって……」
泥棒猫呼ばわりされたことで、ゆうちゃんの顔が再び強張る。駄目だ……。まずこの牽制を止めさせないと、いつまで経っても話し合いに移行しそうにない。
「あ~あ! 森での一戦の時、あの大男に、しっかりあんたの口を抑えつけるように厳命しておいたのに、離しちゃうんだものね。ここぞという時に使えないやつで、本当に困っちゃう」
大男に背後から抱きつかれるという、トラウマ級の嫌な記憶を呼び起こされたのか、ゆうちゃんの顔が引きつった。
「あなただって負けたんでしょ? 自分の実力不足を棚に上げて、お仲間のことを悪く言うのは筋違いじゃないのかしら」
「それもそうね。言い過ぎたわ。負けて機嫌が悪くなっているから口が滑ったってことで大目に見てよ。とりあえずゲームに勝利したあんたを讃えることにするわ。おめでとう」
信じがたいことだが、優香の口から、ゆうちゃんを讃える言葉が漏れた。これまで互いを罵るようなことばかり言い合っていたというのに。言われた側のゆうちゃんも、予想外の言葉に勢いを削がれたのか、口をつぐんでしまう。もちろん、俺は、そんなものは嘘だと見抜いていたがね。
「ゆうちゃんの勝利を讃えるなんて、ずいぶん殊勝な心がけだな」
「あははは。私にだって、こういうところはあるのよ。それよりも、そいつの呼び方が変わっているわね。ゲームに勝ったお祝いのつもりなの?」
俺が自分の彼女を、「心愛」から「ゆうちゃん」と呼び始めていることに、もう気付いた。ゆうちゃん本人もそうだが、みんな本当に目ざといな。というか、優香の様子を見る限り、ゲームに負けたことよりも、俺が彼女のことを「ゆうちゃん」と呼んでいることの方が気に食わないようにも思える。
「ゲームに勝ったお祝いというより、記憶を全部取り戻したお祝いかな。記憶喪失剤のせいで、一時重大な記憶喪失に陥ったんだが、薬の力で回復したんだ。その時に、今まで忘れていた分も、一気に取り戻させてもらった」
「ふん! 怪我の功名ってやつ? つまりゲームに勝って、心愛との幸せな生活をゲットした上に、記憶喪失も回復して、至れり尽くせりってことかしら」
さっきから優香と会話をしていて感じることだが、ゲームに敗北したことへのイライラが、一切伝わってこない。負けたくせに、冷静過ぎるのだ。こいつに、スポーツマンシップの類が欠如していることは、とっくに理解している。俺の知っている優香は、なりふり構わない負けず嫌いだった筈だ。
そんな優香の様子を観察していて、確信させてもらったよ。
「お前……、これで幕引きにするつもりなんて、サラサラないだろ。俺たちの隙を見て、間に割って入ろうと、虎視眈々と狙い始めているんじゃないのか」
優香は、俺の顔を伺うように見つめてきたが、否定しないところを見ると、当たりらしいね。
「爽太君も、私のことを分かってきたみたいね」
「いろいろあったからな。下手な友人や肉親よりも、理解が深まっているかもな」
正直な評価を伝えると、優香の顔が嬉しそうにほころんだ。
「ふふん! それは大変光栄なことね。あまり好ましい意味じゃないとしても、好きな相手から理解されるのは嬉しいことよ」
「だが、これ以上深めたいとも思っていないんだよな。そんなことよりも、もう終わりにしたい気持ちの方が強い」
俺が自分の意思をハッキリと告げると、優香の笑みが強張った。代わりに垣間見えるやりきれない無念の想いを目の当たりにしていると、俺のことが好きなことは確かなんだと、心が痛む。
「あ、あははは。そうハッキリと言われると、へこむなあ。でも、同じくらい燃え上がってくるなあ……。意地でも……、力づくでも……、私の物にしたくなってきちゃうよ……!」
本性を現したようにも聞こえるが、実際のところは強がっているだけなんだろうな。そもそも彼女は体の自由が効かない状態なのだ。そんな体制では、すごまれても脅威など感じない。
「優香……。俺がお前に振り向くことなんて、この先一切ないんだ。だから、もうこんな不毛なことは止めて、他の恋に移るんだ。あ、でも、ちゃんとやり方は考慮してな」
「言い切るね。でも、人の心なんて、風と同じで、簡単なことで変わっちゃうものなんだよ。それは、今の彼女だって、よく分かっていることじゃないの?」
ゆうちゃんを見ながら、優香が醜悪に笑う。ゆうちゃんの父親の浮気のことを揶揄しているのだろう。これには、ゆうちゃんもたまらず、手を出してしまう。
パーンと乾いた音が、室内に響き渡った。
「黙りなさい……!」
全身を震わせながら、ゆうちゃんが、優香を全身全霊で睨みつけた。だが、平手打ちをされた優香は、余裕の笑みを漏らす。
「殴るんだ……。いいよ。殴りなよ。ただし、爽太君の前だということを忘れないでね。あなたが我を忘れて、手を出すほど、彼はあたなに幻滅していくでしょうね。そうなれば、気持ちが覚めるのも時間の問題……」
「あなた……!」
挑発に乗るように、もう一度平手打ちをしようと、右手を振り上げるゆうちゃん。それを俺が、そっと制した。
「心配ないよ。いくら暴れようと、ゆうちゃんへの気持ちが揺らぐことはない」
ゆうちゃんがそういう一面の持ち主だってことは、もう理解しているからね。今更、そんなことで動揺したりはしない。
「だから、安心して、下がっていればいい。俺が話をつけるから」
「爽太君……」
そうともさ。これは俺が言い出したこと。だから、決着まで、俺の手でしっかりと付けさせてもらうよ。