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第百七十六話 そして、俺は記憶を失った……

今回の話は、爽太が記憶を失う直前にあったエピソードですね。

時間軸としては、169話と170話の間の出来事になります。

 これは、俺が記憶を失う直前の出来事だ。ちょうどさっき思い出したばかりのものだ。


 眼前で、虹塚先輩が大男に口を塞がれて悶えているのを、穴の中で見つめていた。すぐにでも助けに駆け付けたいところだが、俺の自由は、優香によって塞がれていた。


「あははは……。駄目よ……。抵抗なんかしちゃ。もうすぐ私と付き合うことになるんだから、潔くその瞬間を迎えましょうよ……」


 優香が、寝言をほざいているが、聞き入れるつもりなど無論ない。というか、もうすぐ意識を失うんだから、寝言は、それから吐けばいいじゃないか。


「生憎と、俺にはお前よりも可愛い彼女がいるんだよ。しかも、目の前に」


「……まだそういうことを言うんだ」


「言うさ……。お前が理解するまで、何度でもな……。だから、とっとと退いてもらおうかな」


 お姫様抱っこでもするかのように、両腕で優香の体を持ち上げる。それで分かったのだが、こいつの体は思ったよりも軽い。


「くたばりやがれえええ!!!!」


 特定の何かに対して、くたばれと言っている訳ではない。ただ気合を入れるつもりで、叫んだだけのことだ。だが、その効果はあった。一度だけだが、体に力が戻ったのだ。いや、それどころか、いつも以上の力が宿った気さえする。これが火事場の馬鹿力というものなのかね。


「直接行って、あの馬鹿男の顔面を殴ってやりたいところだが、それまで持つか分からない。というか、穴を登っている間に、カウントがゼロになっちゃうからな。ここは裏技を使わせてもらうぜ……」


「なっ……!?」


 か細い声を上げる優香を、そのまま頭上の大男めがけて、投げつけてやった。ははは……! 向こうもビビってやがる。しかも、そのついでに、虹塚先輩の拘束まで解いてしまったのが確認出来た。


 そのすぐ後に、二人が激突して、地面に転がる音が聞こえてきた。


「良い音がしたな……」


 これで優香と大男が、ぶつかり頭にキスでもしていれば、申し分ないのだが、優香の叫び声が聞こえてこないことからして不発に終わってしまったようだな。


 おっと……! まだ安心は出来ない。絶対にやらなきゃいけないことが、まだ残っているのだ。


 ま、まだ、カウントはゼロになっていないよな。いや、数えていたやつが、カウントをストップしているから、まだゼロにはなっていないということにする。せこい気もするが、自分の彼女がかかっているのだ。卑怯だと蔑まれようが、この程度のことは、何でもしてやる。


「心愛! でくの坊の手は、退いたよな? お前の名前を急いで言うんだ!!」


 俺がしてやれるのは、ここまでだ。後は、虹塚先輩のガッツに期待するしかない。もっともその心配は、杞憂に過ぎなかったがね。


「……心愛。虹塚心愛。私の名前は、虹塚心愛よ!」


 ははは! 三回も言ったよ。一回で十分なのにな。だが、これで俺たちの首の皮は繋がった訳だ。


 記憶を失っていく頭で、どうにか間に合ったことに、胸を撫で下ろして、大の字になってへたり込む。


 持ち上げた時に気付いたが、優香の意識は、風前の灯だった。あの調子だと、既に気を失っていてもおかしくない。いや、虹塚先輩が名乗るのを妨害してこないところから察するに、もう気絶していると見たね。


「つ、次は……、こっちがカウントを宣言してやる番かな。へへへ……」


 実際にそうしてやりたいところだが、本音を言うと、もう楽になりたいという気持ちもあったりする。


 しかし、脅威はまだ去っていなかった。優香を撃破したと思い込んだせいで、気が緩んでしまったんだな。もう一人残っているのを忘れていた。


「爽太君! 今行くから、待っていてちょうだい!」


 俺の手当てをしようと、穴に降りようと身をかがめる虹塚先輩だが、後ろから不意打ちで殴りつけられてしまった。


「俺の……、存在を、忘れないでくださいよ……」


 虹塚先輩の肩越しに、大男が顔を覗かせた。顔をしかめているから、さっきの衝突の際に、それなりのダメージは受けたみたいだが、ノックアウトさせるには至らなかったようだ。


 後頭部を殴られたせいで、虹塚先輩は、気を失って、その場にへたり込んでしまう。穴に向かって落下してくるようだったら、俺が受け止めてあげるつもりでいたが、それは叶わなかった。


「く、くくく……! やった……。やったぞ……。ついに、虹塚さんを、俺の物にしてやった……」


 穴の中で唖然としている俺に、優位を見せつけるように言い放つ。というか、まるで勝ったような口調で話しているのが気に食わない。


「おい……! 虹塚先輩は、ちゃんと時間内に名乗ったんだぜ。ルール違反も甚だしいんじゃないのか?」


「知るかよ……! 関係者は全員記憶を失っているんだぜ? そんな細かいことにこだわるのは馬鹿のやることだ。おっと! 虹塚さんの記憶はこれから奪ってやるけどな!」


 こいつ、開き直りやがった。とんでもない理屈を振り回しやがる……。勝ち誇ったような笑い声も癪に障る。完全に棚からぼた餅のくせにな。


「それにしても……、後ろで伸びている優香も、黙っていれば、可愛いんだよな……。よし決めた! あいつも、俺の女にしてしまおう!」


 呆れたことに、優香まで手中に収める気だ。おいおい、ルールでは、お前の彼女に出来るのは、一人だけの筈だぞ。そこすら守る気がないのかよ。


 くそ……! 優香が起きていたら、こんな強気には出てこないのに……。さっきはガッツポーズを作ってしまったが、今は優香の意識が途絶えているのが、とことん口惜しい。


「いい加減笑えない冗談は止めろよ。ただでさえ気分が悪いのに、吐いてしまうだろ……」


 のぼせあがっている大男は、俺の憎まれ口にも、余裕で言い返してくる。


「無理すんなよ。お前だって、時期に記憶を失うんだろ?」


「ぐ……!」


 もう一度火事場の馬鹿力が発揮されてくれることを願ったが、再び体に力が入ることはなかった。さっきのがラストチャンスだったらしい。


 俺にもう反撃に出る力が残っていないのを悠々と確認すると、大男は、虹塚先輩と優香を抱えて、この場を立ち去ることにしたようだ。


「あばよ! 俺はこの二人とこれからよろしくやるが、お前は記憶を失うんだ。悔しがることもないから、思う存分あのチビとでも、幸せな負け犬ライフをエンジョイするといいさ!!」


 チビ……? アリスのことか……。残り物を分けてやるつもりで言っているのなら、叩き潰してやる……。


 だが、内心とは裏腹に、着々と脳内は白紙になっていく。このままだと、何も出来ないまま、俺はゲームオーバーだ。俺は記憶を失って、紆余曲折を経て、アリスと交際を再開する。何も知らないまま、一見すると、仲睦まじく日々を謳歌していく。


 確かにそれも幸せかもな……。だが……、それじゃ、駄目なんだよ……。


 立ち上がるのも億劫なので、匍匐前進の格好で、穴からの脱出を試みる。勢いさえつけなければ、かろうじて動くことはまだ可能だ。


 だが、これで大男に掴みかかっても、勝つことは不可能だろう。その前に、掴みかかることさえ怪しい。だとしたら、どうしてこんな無意味ともいえることをしているのかという話になるが、そこは彼氏の意地というものだろう。


 そんな俺をあざ笑う大男の高らかな笑い声は、徐々に遠ざかっていき、ついには聞こえなくなってしまった。


 大男が去って、穴の外に出る頃には、もう誰もいない。無念の思いで這いあがる。もう気分は最悪で、今にも吐いてしまいそうだ。


 だが、俺には路上にうずくまっている時間すら惜しい。口に手を当てながら、大男が歩き去っただろう方向に向かって、一心不乱に歩を進める。脳内はグルグルしていて、これが現実なのか、夢の中なのかも、もう怪しいや。


 追いつく可能性は、さらに低いのに、残り少ない力を懸命に振り絞って、前進する。だが、無情にも、タイムリミットが迫っているのが、だんだんと鮮明になってきた。


 何とかしなければいけないと思うのに、どんどん頭の回転は鈍っていく。万策尽きたかと思われた時、携帯電話が鳴った。どうやら必死に歩き回っている内に、電話が使えるところまで来ていたみたいだ。


「アリスからか……」


 携帯の画面には、アリスの名前が表示されていた。心なしか、いつもより大きく感じるが、気のせいだろうな。


 見えない何かに命じられているかのように、迷うことなく電話に出る。そして、聞き覚えのある元カノと会話しながら、俺の記憶は途絶えていった……。


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