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第百七十三話 俺の彼女と、アリスからの最後のお願い 後編

「爽太君にね。お願いがあるの」


「お願い……?」


 病院で手当てをしてもらった後、アリスに連れ出された俺は、彼女からお願い事があると持ちかけられた。神妙な顔からして、簡単なものではないと感じて、思わず身構えしてしまう。


「そんな身構えなくていいわ。難しいことじゃないから」


 表情を硬くする俺を安心させようと、柔和な笑みでアリスが優しく話す。だが、その内容は、そういった心遣いが無駄に思えてしまうほどに、ヘビーなものだった。


「私はこれから自分の記憶を消します」


「!?」


 記憶を消す……? 何を言っているんだ、この子は!


「えっ。記憶を消すって、自分の頭をフライパンで叩く気なのか!?」


「そんなんじゃないわよ。これのことも忘れているのね」


 アリスが見せてくれたのは、さっき取り出した液体の詰まった注射器だった。まさかそれを射すというのだろうか。


「全然覚えていないんだね。正直、爽太君がどこまで覚えているのか予想も出来ないや。もっとも、もうすぐ全部思い出すから、良いんだけどね」


 そう言うと、アリスは、俺にもう一つの注射器を差し出してきた。


「これを打つと、爽太君の消えた記憶が戻るわ」


 嘘みたいな話だった。注射器を打つだけで、記憶が戻ってくるだって? フライパンで頭を叩こうと言われなかっただけマシだが、すぐに信じることも出来そうにない。


「ちなみに、これから失う私の記憶も、それを使えば、すぐに戻すことが出来るわ」


 それじゃあ、何のために記憶を失うんだ? 薬の効果を、俺に見せるためか?


「ここでお願いなんだけど、私の記憶を戻すのは、私を選んでくれる場合に限ってほしいの」


「?」


 アリスを選ぶ? 何の話だろうか。他の人間とも、俺を巡って争っているとでもいうのだろうか。


「あなたが他の人と仲睦まじくしているのを見させられるのは、耐えられないのよ……」


 俺でない誰かに話しかけるようにアリスが言う。記憶を失う前の俺に話しかけているのだろうか。


「信じてないって顔ね」


「まあね」


 俺がきょとんとしているのを見て、アリスが苦笑いしてきたが、誤魔化そうとも思わずに、正直に答えた。そういう反応をすることは分かっていたらしく、アリスは仕方ないという顔で聞いていた。


「でも、これから目にする光景の後では、信じざるを得なくなるわよ。もっとも、その時には、私はあなたとこうして話すことはないでしょうけどね」


 その言葉に、何となく不穏なものを感じた俺が目を上げると、アリスが、自身の右腕に注射器を射そうとしていた。


「今度こそ……、お別れだね……、爽太君」


 アリスの話では、確かあの液体を注入すると、記憶を失うらしい。もちろんそんな話を信じた訳ではないが、全てを捨て去るような彼女の表情が、どうにも不安を誘ったのだ。


「あ、待って……!」


 ここでアリスを止めないと、かけがえのないものを失ってしまうような胸騒ぎに襲われてしまい、俺は止めるように促した。しかし、俺が手を伸ばすのもお構いなしに、アリスは自身の右腕に、記憶を失う薬とやらが詰まった注射器を射していた。


「あ……」


 俺は右手を伸ばした姿勢のままで、間抜け面をアリスに向けたまま、唖然としていた。アリスは、そんな俺をおかしそうに笑っていた。いや、笑っているのは確かだが、おかしいからというより、別れを惜しんで笑っているように見えた。


「う……!」


 アリスは、何か言いたそうにしていたが、それを口にすることはなかった。その代りのように、短く唸ると、そのままうずくまってしまう。何事かとアリスに駆け寄ると、彼女が弱々しく顔を上げて、俺をじっと見つめてきた。


「爽太君……、今までありがとう……。そして……、さようなら……」


 瞳に大粒の涙をためながら、俺にそっと告げると、アリスは、再び顔を伏せてしまった。


「おい……。おい!」


 その後は、体を揺さぶっても、問いかけても、アリスの反応はなかった。これはまずいのではないかと、さっき出てきたばかりの病院に戻ることを考えていると、微動だにしなかったアリスの体が、ピクリと動いたのだった。


 俺の腕の中で、アリスがのそりと顔を上げる。ホッとしつつ、その顔を覗き見るが、そこでつい固まってしまう。さっきまでと別人のような気がしたからだ。顔が変わったとかではないが、何かが明確に違っているのだ。


「あの……、大丈夫?」


 ずっと見つめ合っているのも何だったので、かすれるような声で、当たり障りのないことを聞いてみた。


「大丈夫って?」


 どこかよそよそしい顔で、俺を睨むような目つきで凝視してくる。さっきまでの親しげな感じは、嘘のように消えていた。もちろん、目には、もう涙はなかった。


「今、よろめいたよな。立って大丈夫なのかって聞いているんだよ」


「え? そうだったの? 全然気付かなかった」


 会話が、まるで噛みあわない。まるで別人格と話しているみたいだ。


 アリスは俺を払いのけるように立ち上がると、自然な足取りで俺から離れた。まるで他人を相手にしているようだ。


 こういう風に、素っ気ない態度に出られると、俺もどう接していいのか分からない。まさか、本当に記憶を失ってしまったというのか。それも、俺に関する記憶だけ……。


 そんな馬鹿なと思ったが、それしか現状を説明する方法がない。


「つまり私が倒れているところを心配してくれていたってことね。余計な気を遣わせちゃって、ごめんね、爽太君」


 どう話したものか、言いあぐねている俺に、アリスが語りかける。俺への想いは忘れてしまったが、名前だけは覚えてくれているみたいだな。


 ふと、頭の中に疑問が生じた。さっきは答えてくれなかったが、今のアリスなら、答えてくれる気がしたのだ。


「な、なあ、アリス。一つ聞いてもいいかな?」


「? 何を?」


 ジロリと俺を睨むアリスに、じゃっかん気後れしつつも、俺はかたずを飲んで、一つの質問をした。


「俺と君って、どういう関係だったっけ?」


 声色に注意して聞いたつもりだったが、アリスからは、思い切り苦虫を噛み潰したような顔をされてしまった。


「何を言っているのよ。ただのクラスメートに決まっているでしょ? それ以外でも、それ以上でもないわ」


 さっきはいくら聞いても教えてくれなかった、俺との関係をあっさり白状してくれた。素っ気なく言い放つと、俺との距離を、さらに広げた。俺への警戒心が高まったためだろう。


 ただのクラスメート……。さっきまで話していたアリスが、妙に親しげに接してきていたので、特別な関係だったのではないかと邪推していたのだが、杞憂だったのだろう。きっと彼女が一方的に、俺に思いを募らせていたのかもしれない。今のアリスから、そういう感情は微塵も感じられないがね。


「とりあえず心配してくれたことにはお礼を言うわ。もう立ちくらみもないみたいだから、私はもう行くね」


 もう用事を済んだという顔で、アリスが立ち去ろうとする。どこか足早に見えるのは、俺に対して警戒心を抱いているからでもあるのだろう。


 呼び止めようとするが、アリスから、「まだ何か?」という顔で見つめられると、蛇に睨まれた蛙のように、何も言うことが出来なかった。


「何なんだよ、一体……」


 去っていくアリスを唖然としながら見送りつつ、呟いた。この数分の間にあったことに対する混乱は、まだ残っていた。ただ、あんなに親密だった女の子が、手のひらを返したようによそよそしく接するようになったのは、もの悲しいものがあった。


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