第百五十七話 二人きりの廃屋にて待つ、ヤンデレの訪れ
本日快晴。天気が良いからか、すれ違う人の顔も、明るく見える。俺はというと、学校をさぼって、交際中の虹塚先輩と一緒に、一見した限りは楽しそうな会話を弾ませている。
「ネットで見た限りだと、結構広いみたいね」
「でも、所詮廃屋だろ? 風呂やトイレはないし、水道も止まっているだろうな。住み心地は期待出来ないね」
「近くに渓流があるみたいだから、そこで水浴びでもしちゃおうかしら」
虹塚先輩の口から、聞き捨てならない開放的な言葉が聞こえてきたので、思わず吹き出しそうになる。
「不用心だな。誰かに見られたら、どうするんだよ」
「あら。心配してくれるの?」
「当然だろ。彼女なんだから。……自分の彼女の裸を、誰かに見られたくないし」
言ってから、しまったと思った。これはからかわている流れだ。
「でも、シャワールームまで完備している廃屋なんてあるのかしらね」
そんなものはないと分かった上で、俺に対して、悪戯っぽく笑いかけてくる。こんな時でも、俺をからかうのが楽しいと見えるね。
俺たちは今、電車に乗っている。どんどん都市部から離れていき、車内からは人が減っていくのが、目に見えて確認出来る状態だ。
平日の電車に、高校生と見られる男女が二人で乗っているというのに、誰からも咎められない。探ってくるような視線で見られたりもしていない。余計な説教はたくさんだったので、これで良し。
以前、アリスと電車に乗った時のように、当てのない逃避行をしている訳ではない。昨夜、ネットの衛星写真を提供するサービスで探し当てた廃屋へと向かっているのだ。そこで、どうせ後から追ってくるだろう優香たちを待ち受けて、叩き潰してしまおうという考えなのだ。
俺は学校でもいいんじゃないかと思ったのだが、どうせなら人気のないところで派手にやりたいというのが、虹塚先輩のリクエストだった。
「きっとあの女も、それを望んでいる筈よ」
「そうかな?」
優香の性格だったら、場所を選ばない気もするが、虹塚先輩が良いというのなら、それに従うだけだ。
さて。電車に乗って、だいぶ経つが、これといったアクシデントはないな。平穏そのものだ。優香たちと、記憶の消しあいという物騒なゲームをしているというのを、うっかり忘れてしまいそうになるほどだ。
欠伸を噛み殺しながら、時計を見ると、午前十一時になろうとしていた。
今頃学校では授業を行っている訳か。
確かあと五分で休憩時間の筈だ。それを見計らって、木下に電話をかける。
「よお!」
「……よおじゃねえよ」
声色に気を遣って話しかけたつもりが、思い切り不機嫌な声で返されてしまった。
「もしかして機嫌が悪いのか?」
「当り前だ。学校をさぼっておいて、のうのうと電話をしてきやがって。こっちは抜き打ちの小テストでひいひい言っていたっていうのに、何様のつもりだよ」
なるほどね。テストの出来が悪かったから、八つ当たりしている訳か。
「心配するな。たかが小テストじゃないか。期末に挽回すれば問題ない」
「それが出来ねえから、苛立っているんだろうが……。ていうか、出席日数的には、お前の方こそ心配すべきなんじゃないのか?」
もちろん不安はある。今回の件が片付いたら、しっかりと真面目な学生に戻るつもりだ。まだ手遅れではないから、大丈夫な筈……。
「それで? 学校をさぼって何をしているんだよ。まさか女と遊んでいるとかじゃないよな?」
遊んでいる訳ではないが、女なら隣でニコニコと微笑んでいる。相変わらず変なところで勘の良いやつだ。
「よく分かっているな。実は、ちょっとばかり愛の逃避行の真っ最中なんだよ」
「……切るぞ?」
悪ふざけが過ぎたので、電話を切られそうになってしまい、慌てて謝った。こいつには、どうしても頼みたいことがあったのだ。
「電話を切る前に、頼みごとを聞いてくれないか? 雪城優香が学校に来ているのかどうか、さりげなく見てきてほしいんだ。本当にさりげなくな。いても、話しかけなくていいから」
機嫌の悪い同級生に頼みごと。断られるかもしれないと思ったが、意外にも快諾してくれた。しかも、トラブルの匂いを嗅ぎつけたのか、さっきとは打って変わって、どこか嬉しそうだ。
「何だ? 火遊びで手を出して、泣かせちまったのか?」
「ははは! そんな訳がないだろ。これでも、彼女以外には手を出さないように心掛けているんだぞ」
むしろ、俺の方が泣かされているくらいだ。
学校に女子生徒がいるかどうかを確認するだけ。本当にそれだけの単純な作業。人並みに交友範囲のある木下にとっては、朝飯前の仕事で、すぐにまた電話がかかってきた。
「優香だけどさ。学校を休んでいるみたいだぞ。念のために、同じクラスのやつに聞いてみたけど、今日は来てないってさ」
「来てないか……」
欠席の理由は、虹塚先輩を始末するためということで、間違いあるまい。問題は、優香が今どこにいるかだ。
俺の家か。虹塚先輩の家か。案外、既に俺たちを尾行して、同じ電車内にいたりしてな。
そんな考えが浮かんだので、車内をそれとなく見回してみたが、幸いなことに、優香と思われる人影は確認出来なかった。乗っている人自体が、そもそも少ないおかげで、確認は容易だった。
だが、いずれは、俺たちの居所を嗅ぎつけて追いついてくるんだろうな。それだけは何となく分かる。
どこにいても、察知して迫ってくるか。想像すると、改めてゾッとするな。黙っていれば、付き合う可能性もゼロじゃない美少女なのに、もったいない。
「爽太君、そろそろ……」
「ああ」
電車は、目的地の駅に到着していた。すでに到着してから、一分ほど経っている。車内には、ドアが閉まるので、駆け込み乗車はしないでほしいというアナウンスが流れだしていた。それに対して、心の中で、こっそり謝罪した。
アナウンス通りに、目の前で、ドアが閉まりそうになる。そのタイミングで、わざと慌ただしく降りてやった。
元々乗客は少なかった上に、こんなギリギリで降りる客は、俺たちくらいだった。もし尾行されていたら、撒いてやるために、無茶苦茶なタイミングで降りてやったのだが、取り越し苦労だったみたいだな。
「つけられてはいないみたいだな」
「まだ安心は出来ないわ」
安心しかける俺に、自身も尾行が得意な虹塚先輩が釘を刺す。先輩がそう言うのなら、確かな話なのだろう。
電車は遠ざかっていき、ホームには、俺と虹塚先輩の二人だけになった。いや、ここは無人駅なので、この駅自体で二人きりとなった。
ここからしばらく寝泊りする予定の廃屋までは、さらに二時間ほど歩くことになっている。
「荷物、俺が持つよ」
「あらあら。見た目以上に重いけど、大丈夫かしら」
「こう見えても、力は人並みにあるんでね……。って、うおっ!?」
社交辞令かと思ったら、本当に重い! 見た目の三倍くらいは重いんじゃなかろうか。いったい、中には、何が入っているというのだ!?
「大切なものも入っているから、慎重にね」
「あ、ああ!」
俺が持つと、勇ましく宣言した手前、やっぱり駄目でしたとは言いづらい雰囲気だ。ということは、しばらくこれを持たなくちゃならないのか?
自分の浅はかな発言を後悔しつつ、俺たちの足は、人里離れた山奥へと向かっていた。