第百五十三話 キレた延長戦は、人気のないところで
カラオケボックスにて、ヤンデレの方の優香に襲われてしまった。だが、虹塚先輩が駆けつけてきたと見るや、すぐに別の人格へと移ってしまった。その後は、頬を引っ張ったり、呼びかけたりしても、表面化してくる気配がない。
「中からこっちの様子を伺っているのは確実に感じるのに、手が出せないなんて焦れったいわ」
もどかしそうに唇をかみしめる虹塚先輩から、大人の色気を感じてしまい、慌ててそっぽを向いて、「そうですね」と口裏を合わせた。
「とりあえずこれからどうします? 歌でも歌いますか?」
重い空気に居心地の悪さを覚えていたアキが、少しでも空気を明るくしようと提案してくれたが、生憎そういう気分になることは出来なかった。
結局、ちょうど時間が迫っていたこともあり、このままカラオケボックスを出ようという話になった。
自分が雰囲気を壊してしまったからと、虹塚先輩が代金を支払おうとしたが、その前からいろいろあったので、先輩一人の責任じゃないと丁重にお断りした。
「そ、そうですよ。よく分からないですけど、元々は、私のせいみたいじゃないですか。だから、代金を支払わなきゃいけないのは私です」
「それを言ったら、優香先輩を、カラオケボックスに入れることを提案したのは、私です。となると、私が払うのが筋ってもんですぜ」
長くなるので省くが、ダチョウ倶楽○的なノリで、この場の全員が、悪いのは自分だから代金を払うと主張しあう流れになってしまった。だいたいの人が予想で来ていると思うが、最終的には、俺が代金を全て支払うという流れで落ち着いてしまった。結局、こうなってしまうのだな。
カラオケボックスを出たら、もう遅い時間になっていたこともあり、流れ解散ということになった。アキや柚子が帰っていく中、虹塚先輩が優香の手を引っ張った。さっきの記憶が甦ったのか、優香はビクリと体を震わせていたが、虹塚先輩はお構いなしに手を掴んでいた。
「あなたはまだ帰ったらダメよ。話があるから、もうちょっと付き合ってね」
顔はニッコリしているが、反論は許さないという虹塚フェイスだ。俺も時々やられるので分かるが、独特の迫力があって逆らえないんだよな。
苦笑いで誤魔化そうとする優香の手をぐいぐい引っ張って、気が付けば、周りに誰もいない夜の公園へと移動していた。
「あの……。こんな人気のないところで何をするんですか?」
さっき虹塚先輩から、腕を締め上げられた優香は、不安そうな顔で尋ねた。ていうか、こんなところに連れ出されている時点で、本人的にろくな想像も出来まい。俺も不安だったので、帰っていいと言われていたが、ついてきてしまっていた。
「人気のない方が強引にやりやすいでしょ」
「何を?」
何をする気かは、まだ分からんが、無理やりやるらしいから、荒事には違いなかった。俺と優香は、当然冷や汗が噴き出てしまった。
ちなみに、俺は虹塚先輩が、いつの間にか持っていた液体入りの注射器を見た時点で、何をするのかは分かったけどな。
「ちょっとの間、大人しくしていればいいから。そうしてくれれば、すぐに済むから」
この状況で、そんな要求に大人しく従うやつもいないだろう。虹塚先輩も、そこは理解していたらしい。わざとギリギリ聞こえない小声で、ぼそりと囁いたのだ。優香は、聞き取ることが出来ずに、きょとんとした顔で、もう一度言ってほしそうにしている。
そこに、虹塚先輩がつかつかと歩み寄っていき、いきなり注射器を刺そうとした。中身はきっと記憶喪失剤だろう。
とはいっても、記憶を消したいのは、こっちの優香ではないのだろう。今は表面化してきていないが、度々俺たちを悩ませている、優香のもう一つの人格の方を消したいに違いない。
「危ないわねえ……。いきなり刺そうとする?」
「そのセリフ……。あなたにだけは言われたくないわ」
このまま大人しい方の優香に任せていたら、注射器を刺されて、自分の記憶が消されてしまう。さすがにたまらず、ヤンデレの優香が再度表面化してきた。彼女は、すんでのところで、注射器を持つ虹塚先輩の手を掴んだのだった。優香的にはセーフかもしれないが、俺としては、惜しいと言わざるを得ない。
「それに……。いきなり私の記憶を消そうとしてきたわね。まだゲームを始めるなんて、言っていないのに」
「先手必勝というじゃない。卑怯でも、勝利は勝利よ」
あれ? いきなり訳の分からないことを言い出したぞ。ゲームって何のことだ?
「先手必勝とか言っているということは、勝負を受けるという解釈で良いの?」
「好きに捉えるといいわ」
ついに虹塚先輩に言わせてやったと、優香はもう勝負を制したかのような顔でニヤリと笑みを浮かべた。
「その言葉を……。聞きたかったわ!!」
まるで鬼の首でも取ったかのような声を張り上げて、優香が虹塚先輩に掴みかかった。当然、虹塚先輩も、必死に応酬する。
俺が呆気にとられて傍観する中、お互い髪を振り乱しての乱戦が続いた。
「なかなかやるわね……。でも、私の方が上よ!」
優香が叫んで、虹塚先輩の胸倉を掴むと、次の瞬間、先輩の体は宙を舞っていた。
「!!」
「そのまま地面とキスしちゃいなさいよ!」
幸い、虹塚先輩は尻を打っただけだったが、受け身に失敗してしまい、表情を引きつらせていた。
あの虹塚先輩が、こんなにも見事に投げ技を決められた?
情けない話だが、投げられたことのある俺としては、かなり衝撃的な光景だった。
「そのまま記憶をなくしちゃいなさい」
着地の衝撃で怯んでいる虹塚先輩に向かって、注射器を手にした優香が駆け寄る。やばい……!
「虹塚心愛、覚悟!!」
「させない!!!!」
虹塚先輩の記憶は消させない。女子二人の間に割って入った俺は、ハッキリと宣言してやった。
「爽太君?」
「な……!?」
俺が出てくるとは思っていなかったのか、二人とも目を丸くして驚いている。悪いね。俺も、やる時にはやらせてもらうよ。
じわじわと投稿時間が遅くなってきているのが、気にかかる今日この頃です。