第百五十話 お悩み相談 イン・ザ・カラオケボックス
「アリスの様子がおかしい?」
「はい。この間ばったり会った時に、アキ先輩に、手作りのお菓子を振舞っていました。これだけなら、さして気にすることでもないんでしょうが、それを私が食べようとした時の反応がすごかったんですよ。大袈裟に表現するのなら、まるで、私が毒物でも口に入れるのを止めようとしているようでした」
「でも、それを食べていたアキには、何の異常も見られないんだろ。今も、いつも通り喚いているしな」
先日あったことを、柚子から告げられた。ちなみに、当のアキは、自分の持ち歌を熱唱している。俺たちは今、カラオケボックスにいるのだ。
アキの顔をじっと見つめてみたが、やはりいつものアキだ。馬鹿顔に変化は見られない。異状なしとみていいだろう。
俺の視線に気付いたのか、アキがこっちに向かって手を振ってきたので、振り返してやった。
「アキには変化はないな。顔を見れば分かる!」
「いや、だから、様子がおかしいのは、姉の方ですって」
話がなかなか通じないので、柚子が焦れたように言った。
「爽太先輩。元カレなんですよね。何か知りませんか?」
知っているといえば、知っている。というか、アリスがおかしくなっているのは、おそらく俺のせいだろう。
そこまで話したところで、アキが歌い終わり、柚子に順番が回ってきた。今度は柚子が歌い始めて、俺の横には、アキが座った。ちょうどいい。今度はこいつから、アリスについて聴取してやろう。
「なあ……、最近アリスの様子がおかしいんだって?」
「? そんなことないですよ。相変わらず、私にパワハラを行う困った姉です。でも、手作りのお菓子をよく作ってくれるようになりました。お姉ちゃんにしては、なかなかの出来です」
ここにアリスがいたら、確実に鉄拳が飛ぶようなことを、コーラでのどを潤しながら、ぺらぺら話した。
「お菓子を作ってくれるのは、どちらかといえば、良い変化だな」
「ええ。プリンやら、ゼリーやら、アイスやら……。あっ! シロップたっぷりのホットケーキもよく作ってくれますね!」
妹にお菓子を作ってあげる。それだけ聞くと、良い話なんだが、さっきの柚子の話を聞いた後だと、ついつい邪推してしまう。柚子が食べようとしたら、頑強に食べるなと言われた。……お菓子に何かを混入している? アリスがそんなことをしているとは考えたくなかったが、あり得ない話と言い切れない。
「アキ……。そのお菓子。何か特別な味がしなかったか?」
変な味はしなかったかと聞きそうになったが、それだとストレート過ぎるので、特別な味はしなかったかと聞いた。アキは、変なことを聞くなと言いたそうな顔をしていたが、質問には答えてくれた。
「味ですか? いやあ~、変わったところは何も……、いえ、ずいぶん甘く作っていましたね」
ずいぶん甘くか。記憶喪失剤を混入したのが悟られないように、わざと砂糖を多めにしたな。
「あと、お菓子を食べた後、やたら妙な質問をしてくるんですよねえ。名前をフルネームで言えとか、住所を言ってみろとか……。もちろん、全問正解してやりましたよ。携帯番号は間違っちゃいましたけどね……」
話せば話すほど、疑惑は確信に変わっていった。アキがされたという質問の意図も、俺には分かる。記憶を消す薬が効いているかどうか、試したんだ。実の妹にまで、使用してみるなんて……。
以前のアリスなら、そんなことはしない。やはり俺のせいで、変わってしまったんだろう。そう考えると、やりきれなくなる。自分の不始末が原因というなら、一度アリスと時間を作って、じっくりと話し合わなきゃいけないだろうな。
「あのお……。いくらお姉ちゃんが、私にお菓子を振舞ってくれるからといって、邪推しちゃいけませんぜ? 仲は悪いといっても、姉妹なんですから。たまにはこういうこともあります」
俺が、思いつめた表情をしているのを察したのだろう。アキなりに、言葉をかけてきてくれた。相変わらず何も考えていないように見えて、見るところは見ているんだな。
とにかく、アキに薬が効いていなくて良かった。なぜ効かないのかは別としてだ。アキの頭の中は空っぽで、忘れるものがなかったから、何も忘れることなく平然としているというマンガみたいな説明は罷り通らないだろう。一見、何も詰まっていないように見えても、今まで生きてきた中で積み重ねてきたアキだけの記憶が、しっかり頭の中にあるのだから。
ということは、アキに何の影響もないのは、耐性があるということなのか? もしくは、アリスの薬が未完成……。可能性としては、薬が未完成というのが高いと思われた。
「ふう……。難しい話をしていたら、お腹が空いてきちゃいましたねえ」
ちなみに、個人的には、食べることを忘れてくれれば良いのにと思っている。奢らされている方としては、切実な問題なのだ。
とにかく俺の推理は、アキには黙っていよう。
アキにしてみれば、質問されてばかりで、何も説明してもらえないのは、さぞかしむずがゆいことに違いないだろう。だからといって、お前、姉から毒を盛られて、記憶を失っているかもしれないぞとは言えない。そんなことをすれば、姉妹の関係に亀裂が入ってしまうのは目に見えているし、そんなところは見たくもない。
ここは、アキが真相を知る前に、秘密裏に解決するのが一番だな。
「あ~、お義兄さんが、何かを悟ったような顔をしている~! 私に黙って、こっそり何かをしようとしている気だ~!」
アキが不満を爆発させているが、今決めたとおり、何も話さないことにしよう。それに、こうして何も知らないアキを焦らすのも、ちょっと面白かったりする。
そうと決まれば、今夜にでも、アリスに電話を掛けるかなと思っていると、携帯電話が鳴った。俺にとって、あまり望ましくない人物。優香からだった。
「優香からか……」
携帯電話の画面に表示された優香の名前を見ると、周りに気付かれないように、こっそりとため息をついた。
タイミング的にトラブルの匂いしかしない。この電話に出てしまったら、ろくな目に巻き込まれないというのが、電話に出るまでもなく分かってしまった。
ろくなことにならないと分かっていて、わざわざ出るまでもないな。もし、後日電話に出なかった理由を聞かれても、昼寝していたとか言えば、問題あるまい。
決めた。この電話には出ないようにしよう。せっかくの楽しい時間を台無しにされたくないしな。
「あの……、電話が鳴ってますよ……」
鳴り止まない電話に不信感を抱いたのか、アキが電話に出るように促してくるが、出ないと決めた俺は、涼しい顔をして無視をする。
「大丈夫。俺は気にしないから」
「私が気にするんですけど……」
「大声で歌えば、気にならないさ。ここはカラオケなんだから、むしろ好都合」
よく考えれば、かなり強引なことを言っている気がするな。まあ、いいさ。それでこの場の平穏が保たれるのなら、安いものだ。気付くと、携帯電話は鳴り止んでいた。
「何かつまむか?」
「私、唐揚げがいいです!」
「自分は、アツアツのトーストに、アイスを乗っけたやつがいいっす!」
全く。俺の奢りだと思って、口々にオーダーしやがって。それを大人しく注文する俺も俺だけどな。
ボックス内の電話から、店員に追加の注文をした。そんなに時間を空けずに、注文した食べ物が、問題なく運ばれてきた。
「お待たせしました~♪」
ただし、持ってきた人間が問題だった。
「優香……」
さっき俺に電話をかけてきた優香が、俺たちの注文した食べ物を持って、立っていた。まさか……。このカラオケボックスの中から、さっきの電話をかけてきていたのか……。だとしたら、怖過ぎる……。
「店員がこれを部屋に運ぼうとしていたから、私が代わりにしてあげることにしたの。ビックリした?」
店員の手伝いをしているように話しているが、どうせ強引にひったくったに違いない。というか、俺が聞きたいのは、そういうことではない。
「どうしてここが……?」
どうしてここにいるのかではなく、どうしてここが分かったのかを聞いていた。これでも、家を出るときには、誰かにつけられていないか確認を怠らないようにしているのだ。
「女の勘よ。私はね、爽太君の行きそうなところは、知り抜いているの。その中から、しらみつぶしに捜していけば、爽太君がどこにいようと発見できるって訳」
すごいと言いたいが、それは片っ端から探して、たまたまその中に俺がいたというだけのことだろう。行動力はすごいが、俺のことを知り抜いているとは言えない。だが、それで見つかってしまったのも事実だ。
「この人って、この間カレーを持ってきてくれた人ですよね。お義兄さんが呼んだんですか?」
「……あまりお勧めは出来ないっすよ」
さすがのアキと柚子も、突拍子もない展開に唖然としているようだ。どちらも、優香のことを知っていて、どうしてここに彼女がいるのかについて、説明を求めてきた。二人とも、俺が呼んだと思っているようだが、自分から危険に顔を突っ込むような真似をするほど、俺はリスクを好む人間ではない。
ましてや、楽しい場を、わざわざぶち壊すような真似をするような人間でもない。
「ねえ。ここでこうして会ったのも、何かの縁よ。私も混ぜて」
「え……」
軽い混乱状態に陥った、俺たち三人に、にっこりと笑いかける優香。勝手に押しかけてきておいて、今更混ぜろもないだろうに……。
気温が下がってきてくれたおかげで、睡眠がずいぶん快適になりました。
夏に眠れなかった分を取り返すように寝ています。
眠るのが、こんなにも楽しいこととは!!