第百四十八話 闘いの後に、得られる報酬と負わされる罰
ある晴れた昼下がり、虹塚先輩とアリスは、中庭のテーブルで向かい合って座っていた。仲は良くないので、会話と呼べるものはなく、険悪な雰囲気のみが漂っていた。
「奇遇ね。あなたとこんなところで、相席しているなんて」
「全くです。虹塚先輩も、優香から呼び出されたんですか?」
苦い顔をして、虹塚先輩は頷いた。やはりかと、アリスもため息をつく。二人とも、昨夜、優香から呼び出しを受けていたのだ。
「それで、呼び出した本人が、遅れているのね……」
「こんなことで、今更怒ったりはしないですけどね……」
それでも、呼び出されたのに怒られるというのは、ストレスがたまるものらしく、二人とも深いため息をついた。
結局、優香が待ち合わせ場所に顔を見せたのは、約束の時間を三十分ほど過ぎた後だった。
「あらら~? 三十分も遅れてきたのに、まだ待ってくれていたのね。嬉しいわ~」
遅れてきたのを詫びるどころか、わざと遅れてきたことを、カミングアウトしている。乱闘に発展してもおかしくない暴挙だ。
「いつもなら帰るんだけどね。そうしたら、私のいないところで、とんでもないことがとんとん拍子で進みそうな気がしたの」
「同じく」
虹塚先輩とアリスから、同時に睨まれた優香は、楽しそうに笑いを漏らした。どうやら図星のようだ。
「遅れたんだから、さっさと話を進めてよね」
「まあまあ。そんなに邪険にしないでよ。遅れてきたお詫びの品も、ちゃんと持ってきているんだから」
「お詫びの品ですって?」
「そうなの。はい、持ってきて……」
優香に呼ばれて出てきたのは、今や相棒というより、子分に成り下がった大男だった。虹塚先輩に対して、どうもと頭を下げるが、先輩は目も合わせようとしない。アリスも、えらい目に遭わされた相手だけに、仏頂面になっている。
そんな冷たい視線にめげることなく、大男は持参したケーキをそれぞれの前に置いた。
「これが……、お詫びの品なの?」
虹塚先輩が訝しんでいると、優香が「そうよ!」と無駄に嬉しそうな笑みで答えた。
「はい、どうぞ」
気持ち悪いくらいの満面の笑みで、ケーキを勧めるも、それを黙って食うほど、二人は浅はかではない。なかなか手を付けようとしない二人に対して、優香がさらに勧める。
「どうしたの? 美味しいわよ。騙されたと思って、食べてみてよ」
「本当に騙されることになりそうだから、結構よ」
「そんなに美味しいのなら、あなたから、まず食べてみてよ」
警戒しているのを隠そうともしない喧嘩腰の姿勢で、優香と接している。だが、その行動は間違いではないようだ。実際、優香も、自分の用意したケーキに口をつけようとしなかったのだから。
「あらら。せっかくアリスちゃんからもらったプリンに含まれていた特殊な成分をふんだんに使ったケーキをご馳走しようと思ったのに、いらないのね。残念だわ」
「……‼︎」
その言葉で察した虹塚先輩が、アリスに殴りかかりそうな勢いで噛みついた。
「あなた……。特殊な成分って、まさか……!」
虹塚先輩が詰め寄るのを、アリスは視線をそらして黙っている。
「どうしたの~? いつもおっとりしているあなたが、そんなに慌てるなんて~」
もちろん優香は、虹塚先輩が動揺している訳を知っている。というか、動揺すると分かった上で、揺さぶったのだ。
落ち着くように促されても、虹塚先輩の興奮は収まらない。
無理もない。虹塚先輩にとっては、自分が優香に対して持っていたアドバンテージがなくなったのだから。
恋敵の動揺を満足げに眺めた後で、優香は呼び出した用件を語りだした。
「さて。あなたたちを呼び出した理由だけど、メンバーで想像がつくわね。他でもない。爽太君のことよ」
一斉に、その場の人間の目が変わった。その中には、大男も含まれている。
「今は虹塚心愛が彼女の座についているけど、アリスちゃんだって諦めた訳じゃないでしょ? もちろん私もね……」
三人の女子の目が鋭くなる。傍らでは、大男がかたずを飲んで見守っていた。
「こんな状態がずっと続くのも、いい加減うっとうしいじゃない。だからさ……。この辺で最終戦でも行わないかしら?」
「最終戦?」
「そう……。名付けて、『記憶消去デスマッチ』‼︎」
宣言とともに、優香が、液体入りの注射器をテーブルの上にばら撒いた。中身は、当然記憶喪失剤だ。
「なるほど。だいたい分かったわ。これで互いの記憶を消していって、最後まで残った者が、爽太君の彼女になる。逆に負けたやつは、すっぱりと彼から手を引くことになる……。いえ、爽太君も記憶も失って、生活することになる」
優香は悪そうな笑みを浮かべて、ニヤリと口元を緩めた。正解かと思われたが、補足があるらしい。
「いいえ。記憶はすぐに戻してあげるわ。知り合いがね。解毒剤も、一緒に作ってくれたのよ」
取り出したのは、赤い色をした液体が詰まった、二つの注射器だった。これが解毒剤なのだろう。
記憶は戻るが、勝者が俺とイチャつくのを、指を咥えて見るしかないということか。かなりえぐいことを思いついたと言いたいが、優香の残酷なところは、ここからだった。
「面白いのはここからよ。負けた二人には、罰ゲームとして、誰か一人が、こいつと付き合ってもらうことにするの」
優香が指名したのは、大男だった。これには、今日は雑用のみと思っていた大男本人も仰天していた。
「しかも、こいつと別れる場合は、他の二人の同意を得た上でなければ、別れることはできない!」
虹塚先輩とアリスには背筋の凍る話だが、大男にとっては、願ってもないことだった。勝負の結果がどうあろうと、自分に彼女が出来るのだから。しかも、他の二人とやらが、同意する訳もないので、その彼女と別れることになる心配もない。思わぬ吉報に、テンションの上がった大男の顔は、自然ににやけてしまうのだった。
対照的に、冗談じゃないのは、虹塚先輩とアリスだ。まだ勝負も始まっていないのに、もう顔色を青くしている。
「な、なんて、恐ろしいことを思いつくのかしら……」
「あの……。虹塚さん。恐ろしいことというのは、晴島爽太と別れることですよね? 間違っても、自分と付き合うことじゃないですよね⁉︎」
天国から地獄に落とされたように、大男のテンションは、今度は急落していった。喜んだり、落ち込んだり、忙しいやつだな。
自分に気がないことは理解していたが、ここまで拒否反応が強いと涙だって、自然と流れてしまうだろう。俺には、そういう経験はないが、そんなものなんだろうという気持ちは理解出来る。
「どう? 私たちの幼い頃からの戦いに決着をつけるには、もってこいのルールじゃないかしら」
優香が得意満面で言い放つが、他の二人は渋い表情のままだ。
「参考までに聞くけど、万が一、あなたが来た時点で、私たちが帰っていたら、どうなっていたのかしら?」
「強制的に参加してもらっていたわ。何も知らない状態でね……」
不意打ちし放題ではないか。いくら虹塚先輩でも、出会い頭に襲われたら、ひとたまりもないだろう。
「まあ、こんな話をいきなり持ちかけられても、困っちゃうでしょう。心優しい私は、一日だけ憂慮をあげるわ。……まっ、辞退なんてさせないけどね」
そう言い放って、大男すら置いて、悠然と立ち去って行った。その背中には、勝利を確信しているどす黒いオーラのようなものが漂っていた。
最近、主人公の出番がないです……。