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第百四十五話 孤独な元カノに、悪魔が囁きかける

 虹塚先輩と優香。俺をめぐる女の争いが、最終局面を迎えようとする中で、もう一人の女子も、その渦に巻き込まれようとしていた。


「……どう?」


「う~む……。結構いけるね。お姉ちゃんの料理じゃないみたい」


 減らず口を叩きながらも、食べ物を噛むのを止めない。口が忙しいことになっているが、アキは余裕でこなしている。しかも、話した時に、口の中の内容物が周りに見えないように、手で隠すという気配りも忘れていない。


「でも、まだまだ常人の域を出ないね。これじゃ、お義兄さんを奪い返すのは厳しいね」


「あんたねえ……。タダで食わせてあげているんだから、少しは配慮しなさいよ」


「ムッ! そんなたいそうなことを言えるほどの料理じゃないじゃん。というか、そもそも料理と呼んでいいのかさえ、分からないね」


 アリスが、アキに振舞っていたのは、手作りのプリンだった。ただし、カップに入っているような可愛いサイズではなく、お椀一杯分のビックサイズだ。アキくらいの年頃の女子なら、カロリーを気にして、遠慮することもある量だが、やつは気にせずに食べていた。


 場所は公園だ。アリスがお菓子を作ったので、散歩がてら食べようと、アキを誘い出したのだ。普段なら、姉の誘いなど断るアキも、お菓子の誘惑に素直に従った。


「お姉ちゃんは食べないの?」


「ダイエット中なのよ」


 そう言いつつ、甘い缶コーヒーを飲んでいる。そもそもアリスがダイエットなどしたことがないので、この時点で、かなり不自然な雰囲気をアキは感じていた。


「お姉ちゃん、変わったね。以前なら、少しでも多く栄養を摂取して、成長しようと努めていたのに、ダイエットなんて。大人の女性になるのを諦めて、妹キャラで生きていくって決めたの?」


「マジで黙れよ。足に千本ノックを食らわせてもいいんだぞ?」


 身長の話題になると、さっきを放ってくる辺りはいつもの姉だと、アキは冷静に分析する。


「でもさあ。私一人が食べるというんなら、お姉ちゃんと散歩中に食べる必要はなくない?」


「プリンを食べているあなたの感想を、リアルタイムで知りたいのよ」


「そんなに料理の感想を聞かせてほしいなら、お義兄さんに食べてもらえば?」


「どこの世界に、元カレに手料理の感想を求める女がいるのよ……!」


 「まだまだ未練タラタラのくせに……」という皮肉を、喉元まで出かかったところで、どうにか飲み込む。この言葉を言ってしまったら、姉が本気で怒るということを、経験則でアキは知っているのだ。


 そんな妹の気遣いに気付くことなく、アリスは黙って缶コーヒーを飲み続けた。そして、飲み終わると、アキの方を観察するように見た後で、妙な質問をした。


「変なことを聞いてもいい? 自分の名前をフルネームで言ってみてくれる?」


「……本当に変なことだね。何それ? 心理テストでも始めるの?」


 生まれてから一度も学校に行ったことのない人間でも簡単に答えられることを聞かれたので、アキの表情は強張った。冗談を言おうとして、盛大に滑ったのかと思い、姉の顔を見るも、その姉は真剣な顔だったので、仕方なく質問に答えてやる。


「雨宮アキ。これでいいの?」


「ええ……」


 世界で一つしかない答えを訝しみながらも答えた。当然、正解。だが、アリスはどこか残念そうにしている。


「いきなりどうしたのさ。こんなことを聞いて、いくら私がお馬鹿さんだからって、自分の名前を間違える訳がないじゃん。無意味だよ、今の質問」


「そうね……」


 アキの言う通りだと、投げやりな口調で頷くアリス。その顔は、どこか寂しげだった。さすがにアキも、姉の様子がおかしいことに不安を感じたようだ。原因は分かっているので、愚痴でも聞いてやろうかと思ったところで、知り合いから声をかけられた。


「あっれ~? そこでプリンを口いっぱいに頬張っているは、アキ先輩じゃないっすか~!」


「その声は柚子だね!」


 ひょんなことから知り合った学校も違う先輩と後輩だが、気が合って、よく行動を共にするのだ。行動範囲も似ていて、今回のように、道で偶然会うのも珍しくなかった。


「何をしているんすか?」


「見て分からないかな? お姉ちゃんと散歩しながら、手作りのお菓子に舌鼓を打っているのさ」


「それ、美味しそうっすね。お姉さんの手作りですか?」


 アリスに簡単な挨拶をした後で、プリンを凝視する。アキの料理の腕は知っているので、やつの手作りなのかは、最初から聞こうともしない。


「ふふん! 見た目に限らず、美味しいよ。食べてみるかい?」


「良いんすか?」


 アリスの分が手づかずで残っていたので、柚子に勧めてみる。実は、かなり興味津々だった柚子は、しっぽがあったら、ぶんぶん振っているんだろうなあという顔で喜びを表現した。


「自分も、甘いものは大好きっす!」


 ビックサイズのプリンを目の当たりにしても、嫌な顔一つせずに、口に運ぼうとする柚子。だが、代わりに表情を凍らせた人間がいた。アリスだ。


「ちょっと待って! それはアキ専用だから、食べない方が良いわ。代わりにこっちのチョコレートでもどうぞ」


 ひったくるように、柚子からプリンを奪還すると、代わりのチョコを懐から出した。あまりにも強引な行動に、アキと柚子は顔を見合わせた。


「……私専用?」


「……どうもっす」


 アリスの様子をおかしいとは思ったが、差し出されたチョコを、柚子はありがたく受け取った。だが、アキの方は、いつまでも厳しい表情でアリスを見つめていた。その視線に気付いたのか、アリスは気まずそうに目を背ける。




 お菓子を食べ終わり、もう家に帰るだけだったということも手伝って、アキはアリスを別れて、柚子と遊びに行くことになった。


「どこ行きます?」


「う~ん。これといって思い当るところがないんで、とりあえずお義兄さんの家を襲撃しますか!」


「いいっすね」


 聞き捨てならないことを呟きながら、二人は歩を進めていく。アリスも、止めてくれればいいのに、「迷惑をかけないようにね~!」と、言っただけ。この二人が、俺の家に現れること自体が迷惑だというのに、困ったものだね。


 二人がいなくなったのを確認してから、アキが食べていたプリンの残りかすを眺めながら、ぼそりと呟いた。


「この間、私に絡んできたDQNに食べさせたら、一発で効いたのにな……。どうしてアキには、全く効かないのよ……」


 アキの意外な体質に関心と呆れを同時に感じつつも、アリスは、己のしていることに、嫌気を覚えてしまった。


「……どうかしているわね。赤の他人のDQNならいざ知らず、実の妹まで実験モルモットにしようなんて」


 吹っ切れたような笑みで、お菓子の残りをゴミ箱に向けて、シュートする。見事に命中。チップイン! ……少し違うか。


「今にして思えば、自分の名前まで忘れていたら、えらいことよね。今度、お詫びで本当に美味しい料理を作ってあげなきゃ」


 寂しそうに笑いながら、アリスも、この場を去ろうと立ち上がろうとした時だった。


「ねえ、今の話。詳しく聞かせてもらってもいいかな」


 背後から声をかけられた。その声は、何気なく聞くと、陰りのない明るいものだが、奥底には邪まな悪意が潜んでいるのだった。


「あなたは……?」


「私はね。雪城優香っていうの! 爽太君から、私の話を聞いていないかな? こうしてお話しするのは初めてだね」


 雪城優香の名前が出てきた途端、それまで眉間にしわを寄せていたアリスの表情が変わった。素早く距離を取って、臨戦態勢を取る。


「そんな構えなくてもいいよ。今日は話をするだけだからさ」


 今日はお話ということは、流れ次第では、手を上げることにもなるということだ。こういう余計な一言のせいで、警戒を解くことなど出来ない。


「あらま! 余計に警戒させちゃったか。まっ、話をしていれば、自然に緊張も解けるでしょ。だから、もう一回席についてよ、アリスちゃん……」


 まだアリスが話すと言っていないのに、もう席に着くことを勧めている。噂に違わず、厚かましい女だと思っていると、後ろに人の気配が……。振り返ると、数日前に俺を襲った大男が佇んでいた。


「そんなつれないことを言わないで、お話しようや。悪い話じゃないからよ」


「……!」


 小学校高学年くらいの背丈しかないアリスと、2メートルの大男とでは、年齢は近くても、大人と子供に見えてしまう。大男を見上げる形になったアリスも、あまりの慎重さに息をのんでしまい、気付けば圧倒されてしまっていた。その態度の軟化を目の当たりにしながら、優香は満足げに微笑んでいた。


「さて。アリスちゃんも、その気になってくれたみたいだし、改めて話し合いを始めよっか!」


 アリスにその気がないのは、誰の目にも明らかだが、それを指摘出来る者はなく、優香の目論見通りに事は展開してしまう。


 そして、この話し合いを経て、優香の脳内に、悪魔のショーが思い浮かぶことになってしまうのだった。


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