第十三話 二人の少女と、俺は唇を重ねる
アキとアカリの三人で弁当を囲んでいたら、急に睡魔に襲われてしまい、起きたら金縛りにかかっていた。
これだけ聞いたら、ホラーと勘違いしてしまいそうだが、現れたのは、幽霊ではなく、ちょっと病んでる許嫁だった。しかも、こっちに顔を見られないように、俺に目隠しまでしてくる準備の良さ。
あまり話し込みたくない相手だったので、適当な会話で流していると、いきなりキスをしようなんて、提案してきた。
「キ、キスだと!?」
ふざけるなと怒鳴ってやろうとしたところで、俺の口を、人差し指が塞いだ。
「アリスなんかとしているくらいたもの。婚約者である私とするのに、問題なんかないわよね」
いやいやいや。彼女以外の女子としたら、大問題だろ。何だ、その「愛さえあれば、問題ないよね」的なフリーダムな思考は。だから、こいつは苦手なんだ。
動揺している間に、Xが俺に顔を近付けてくるのが分かる。何か温かいものが近付いているのだ。アリスとキスした時と感じが似ているので、何をするつもりなのかは容易に想像がついた。俺の同意を得ないまま、キスをする気なのだろう。
体の自由さえ効いてくれれば、Xなど振り払ってやるのだが、体が動かない現状では、それは叶わない。声は出るので、大声で周りに助けを求めるか? いや、女子にキスをされようとしているから助けてと叫ぶのもな。
Xは布きれを動かして、俺の唇だけ露出すると、その上に自身の唇を重ねた。
結局、Xとキスすることになってしまった。こいつとの間に愛情はないとはいえ、最悪の気分だ。仕方がなかったとはいえ、アリスに知られたら、どう言い訳をすればいいのだろうか。
「うふふ。爽太君と遂にキスをしちゃったわ。ねえ、私の唇はどうだった? アリスより上手に出来たかな?」
こうやって、嬉しそうに聞いてくることだけに注目すれば、こいつも歳相応の女子なのかもしれない。付き合わされる俺は、迷惑千万だが。
「ああ……。愛する人とキスをするのっていいものね。天に召されそうな気分だわ」
「一方的にしたくせにか? これで満足出来るなんて、お前は変わり者なんだな」
キスを防ぎきれなかった腹いせから、思い切り皮肉を吐いてやった。ただ、この程度では、Xは気を害することはない。
「うふふ……。悔しがるあなたも素敵」
皮肉まで好意的に受け取られては、もうどうしようもない。かといって、女子相手に手も出せないし……。
「む……」
Xの対処に困っていると、隣で、アキが声を漏らした。もうすぐ目覚めるみたいだ。ていうか、遅すぎるわ! キスされる前に起きろよ!
「あらあら。もうじきこの子も起きちゃうわね。もっとあなたと話していたいけど、顔を見られちゃ敵わないから、私はもう退散することにするわ」
どうしてそこまで顔を見られるのを嫌がるかねえ。約束の期日なんか守らずに、正体を明かせばいいものを。
足音が遠ざかっていくのが聞こえる。気配も、それにつれて遠ざかっていく。本当に、離れていくようだな。
その時、自分の手が動くようになりつつあるのに気付いた。出来ればキスをされる前に、動くようになってほしかったけど、まあいい。
「待てよ……!」
このまま返す気はない。そろそろ反撃に移らせてもらうぜ。
「自分だけキスをして帰るつもりか? 俺の方からもやらせてくれよ」
もちろん方便だ。Xとキスしたいなんて、夢にも思っていない。Xが誘いに応じてくるようなら、キスすると見せかけて、向こうの顔を確認するつもりだった。
でも、敵はこんな苦し紛れの浅知恵に騙される馬鹿ではなかった。
「ごめんねえ。あなたの愛には、いつでも応えてあげるつもりだけど、今のは嘘よね。私が迂闊に顔を近付けたところで、正体を暴くつもりでしょ?」
何でもお見通しって訳か。苦し紛れに、Xに向かって、思い切り舌打ちしてやった。
でも、まだ終わりじゃない。俺は動くようになった自らの手で、視界を覆う布きれを取り払った。出来ればもっと間近で拝んでやりたかったが、とりあえず正体を見ることが出来れば構わん。
しかし、俺の視界が開けた時は、もうXの姿はなかった。もう一度舌打ちすると、嫌がらせのようにメールが届いた。
『まだ正体は明かしたくないから、今日は帰るわね。あなたの唇の感触を思い出しながら、次に会う日を楽しみにしているわ』
メールを読んで、本日三度目の舌打ち。本当に踏んだり、蹴ったりだ。また、Xの言い様に弄ばれてしまった。
でも、やつとの距離は確実に縮まっている。向こうは小出しにしてきているだけかもしれないけど、その内、隙をついて正体を暴いてやる。そして、絶縁状も同時に叩きつけてやる。せいぜい楽しみにしていな。
悪役の捨て台詞みたいなことを思いながら、アキを見ると、もう起きるところだった。
「ふああ……。私、寝ちゃってた……」
アカリも瞼をこすりながら、お目覚めだ。
「あれ? お義兄さん、携帯電話が鳴ってますぜ?」
「ん? ああ、気付かなかった」
Xのことばかり考えていたせいか、携帯電話が振動しているのに気付かなかった。出てみると、アリスからだった。
『あ、爽太君? 私、アリス。電話になかなか出なかったけど、何かあった?』
約束の時間になったので、ゆりからアカリの携帯電話に連絡したそうだけど、何故か通じなかったので、俺の方に連絡したとのこと。ああ、そうか。アカリの携帯は、アキに破壊されたんだっけ。
心配させたくなかったので、Xのことは話さず、合流する約束だけ取り付けて、電話は切った。
アリスたちと合流する旨を伝えると、アキはさっさと身支度を整えて、自分だけ先に帰ってしまった。散々やらかしたので、姉に悪事がばれるのを恐れたのだろう。俺がチクってやることも出来たが、義兄の情けで勘弁してやろう。
それから間もなくアリスたちと合流した。あんなに待ち望んだ再会の時間だというのに、どうも気まずい。
自分の意志でやった訳ではないとはいえ、他の女子とキスしてしまった後で、アリスの顔を見るのはためらわれるのだ。自分を見る俺の眼差しが、どこかよそよそしいのに、アリスも不思議に感じているみたいだった。
くそ……! 睡眠薬を仕込まれるなんて不覚だ。女子の手作り弁当にまで細工をしてくるなんて、反則だ。これからは、おちおち食事も出来ないじゃないか。
そういえば、Xはいつアカリの弁当に、睡眠薬を仕込んだんだろう。ずっと見ていた訳ではないけど、弁当はアカリがずっと持っていた筈だ。薬を仕込む暇なんてなかったぞ。
「はあ!? 弁当を食べて寝落ちしたあ? せっかくの二人きりのチャンスに何をしているのよ。ていうか、食べてすぐ寝るなんて、あんたたち、幼稚園児なの!?」
暴言を吐きながら、嫌がるアカリの首を締め上げている。
そう言えば、幼稚園に通っていた頃、昼飯の後にお昼寝したっけ。そんなことはどうでもいいんだけど、やはり何か企んでいたか。Xほどではないけど、油断できない連中だ。
「お昼寝したんだ……」
「うん、疲れがたまっていたみたいだ」
アリスに心配をかけたくなかったので、そう言うことにしておいた。彼女にX関連のニュースはタブーなのだ。
この日はこれ以上トラブルに見舞われることはなかったが、何となく白けてしまい、帰ることになった。アカリとゆりとは、駅前で別れ、俺はアリスを家まで送ることにする。いろいろあったけど、終わってみたら、結構楽しめたような気がする。思わぬ出費は、本当に余計だったけどね。
二人で手をつないで家まで歩いていると、アリスが真剣な眼差しで聞いてきた。
「安曇さんと二人きりの時は、楽しかった?」
「ははは、まさか!」
アリスには話さないけど、君の妹も乱入していたんだ。ラブロマンスなんて、地球が四角になっても起こらない状況だったね。
「確かに美少女だとは思うけど、俺の心が傾くことはないよ」
言い切ってやった。どうだ、アリス。安心したか!
「……そうかなあ? 私は安曇さんと付き合った方が爽太君のためになると思うよ」
「ん? 何か言った?」
「ううん、何にも言ってないよ」
俺が尋ねると、アリスが気持ちの良い笑顔を向けた。何か思いつめたようなことを言っていた気がしたが、いくら聞いても教えてくれなかった。
「あ、そうだ。もうすぐ家だけど、その前に忘れ物があったんだ」
「え?」
「忘れ物って何?」と聞かれる前に、アリスの唇にキスしてやった。Xにされたままで終わるというのは、納得がいかないのだ。
「え? え?」
「へへへ……。お別れのキス!」
赤面するアリスには、そう説明した。ちょっとベタだったかなあ。