第百三十七話 姉さん女房、時々ヤンデレ姫な俺の彼女
アキとともに、例のアレが消失した。アレが何かという疑問に関しては、明言が出来かねるものなので、前回までの話を読んで推測してほしい。
面白がって、姉のアリスに見せると言っていたので、持ち帰ったのではないかと思い、辺りを探してみた。
しばらく本気で探してみたが、例のアレを発見するには至らなかった。
「マジで持ち帰りやがったのか……?」
アキに電話をかけてみるも、全く出りゃしない。これは、意図的に無視していると考えた方がいい。
おそらく、例のアレを見たら、アリスは逆上してここに殴りこんでくるに違いない。そうなったら、血を見ることになるということくらい、アキだって分かるだろう。
「さすがに本当に見せたりはしないだろう。イタズラでは済まなくなるしな……」
そう考えて、気持ちを落ち着けようとしたが、不安は取り除けなかった。あいつの悪ふざけは限度を知らないからな。
例のアレといっても、実際は、アレを不注意で鍋に落としただけだから、俺が慌てるようなことでもないんだよな。悪いことをしたわけではないし。いや、これからする予定だったとしても、まだやってないし。
……でも、アレを見せられたら、誰もが、俺と虹塚先輩があれをしたって思うだろうな。ていうか、さっきからアレという表現ばかりだ。何も知らない人からすれば、かなりちんぷんかんぷんなことになっていると思うが、明言するのが厳しいのだ。
とりあえずしばらく考えて出た結論は、やはり例のアレが人の目に触れるのはまずいということだ。どこかにあるのは明らかなので、意地でも探し出さないとな。
しかし……、さっきから順調に首が締まっている気がする。何かこう、新しいトラブルの匂いがするっていうのかな。
アキの手が加わっているとはいえ、結局はやつの懸念通りじゃないか。これでは、トラブルの女神に憑りつかれているという、やつの予想は当たっているということになってしまう。心霊の類は、テレビで見て楽しむレベルなのだが、トラブルの女神の存在を信じたくなってしまう。
「アキちゃん、帰ったのね……」
洗い物を終えた虹塚先輩が、手を拭きながらやってきた。狭い家だし、アキが玄関から出ていくのを、横目で見ていたのだろう。
「ああ……、急用を思い出したんだとさ」
本当は俺が追い出したようなものだが、虹塚先輩は、あいつが気を利かせて帰って行ったと解釈したらしい節も見られる。
そういえば、さっきアキと会話しながら、食後の運動をする予定だと話していたのを思い出した。ということは、これから妖艶な笑みを浮かべながら迫ってくるということか。うわ! 心の準備とか全然してないよ。
一人、妄想を加速させて、勝手にドキドキしている俺に対して、虹塚先輩は紙の袋を差し出してきた。
「さっき冷蔵庫を整理していたら見つけたのよ。頭痛薬って書かれているんだけど、爽太君、どこか悪いの?」
「う……」
病院から帰ってきた後、こっそり冷蔵庫の奥に隠した薬を見つけられてしまった。
一瞬、道で転んで頭を打ったと言い訳をするのも考えたが、それだけで医者に診てもらうやつなどいる訳がない。どうせすぐにばれることになると思いとどまった。
そもそも虹塚先輩にしては珍しく、柔和な笑みのない、真剣な顔で聞いてきているのだ。下手な嘘など、すぐに見抜かれてしまうだろう。
だましとおすのは不可能と観念して、昨夜、玄関先で謎の大男に襲われたことを告白した。
「その時に、頭を殴られたの……?」
口元を抑えながら、虹塚先輩が聞き返してくる。俺は、黙って頷いた。
思ったより驚いたな。てっきり大方のことを察した上で聞いてきていると思っていたんだが、それにしては驚き過ぎだ。
どうやら、ただの風邪をひいて、頭が痛くなっただけだと思っていたらしい。それなのに、俺の口から語られたのは、物騒極まりない話。考えてみれば、虹塚先輩が驚くのは、無理もないといえた。
「どの辺りを殴られたの?」
虹塚先輩が、顔をグイと近付けてくる。本人は、殴られた箇所を凝視しようと、顔を近付けたのだろうが、俺としてはドキリとしてしまう。
「う~ん、この辺りかな……」
動揺を紛らわすように、殴られた箇所を指し示すと、虹塚先輩は、さらに顔を接近させて、その部分をじっと見ている。それも、髪をかき分けて観察するほどに、じっくりとだ。
「医者に診てもらったらさ。異状はないって言われたよ」
沈黙に耐え切れずに、大事がないことをアピールしたが、返答はなかった。隠し事をしていた人間の言葉などでは、安心も出来ないか。
一体いつまでこの沈黙が続くのかと思っていると、虹塚先輩が、おもむろに抱きついてきた。いや、俺を抱きしめてきたと表現した方が正しいか。
「こ、心愛!?」
いきなりのことで仰天して、彼女の名前を叫んでしまったが、虹塚先輩は、体から離れてくれない。それどころか、より一層力を込めて抱きついてきた。
「どうして……」
長い沈黙を破るか細い声が聞こえてきた。本当に小さな声で、雑音が周りからしていたら、聞き逃しそうなほどだ。しかし、虹塚先輩から抱きつかれていたことで、神経が過敏になっていたおかげで聞き取ることが出来た。
「どうして私に話してくれなかったの? もし、聞かなかったら、ずっと黙っているつもりだったの?」
今にも泣きだしそうな声で、もう一度呟いてきた。自分に黙って、こっそりと解決しようとしていた俺を責めているようにも感じられた。厳しさはないが、淡々とした口調で話すので、自然とすいませんという声が、口から出てしまう。
「あまり話を大きくしたくなかったんだ。余計な心配をかけたくなくて……」
などと、言い訳にもならないようなことを述べたが、虹塚先輩は、またも返事をしてくれない。さっきからこんなのばかりだ。もしかしたら、俺を襲ってきた大男にだけではなく、俺に対しても怒っているのかもしれない。
次からは、ちゃんと話すことにしようと思いながらも、こんなに心配されるのなら、また隠してしまうのではないかとも考えた。
「話して……」
「え?」
恋人に抱きつかれている状態が続き、甘い空気すら感じ始めた頃、虹塚先輩が俺に問いかけてきた。
「あなたを襲った忌々しいでくの坊のことを、私に詳しく話して……」
「……」
それまでのしんみりとした空気が一変するほどの寒気が、背中を通り過ぎて行った。虹塚先輩は、俺に密着しているので顔は確認できないが、相当お冠の様子だ。怒りのヤンデレモードが発現したらしいね。この状態の虹塚先輩は、かなりイッちゃっているので、目を見るのも正直怖い。
俺のために怒ってくれていると思うと、嬉しいのもあるが、虹塚先輩の性格を考慮すると、喜んでばかりもいられない。
二度と俺に近付かないように、話をつけるつもりなのだろうか。……いや、そんな生ぬるいことで済ますような声じゃないな。こりゃあ、嵐がくるな。
「どんな些細なことでもいいから、教えてちょうだいね。きっと私が知っている人物だと思うから。爽太君の代わりに、お礼を言ってきてあげるから、隠し事はしないでね……」
虹塚先輩とは、もう物騒なことはしないという約束を交わしているが、それを守りそうな気がしない。おそらく俺が指摘したところで、無駄だろう。
この後、虹塚先輩から、手痛い制裁を受けることになるであろう、俺を襲ってきた大男には同情するが、考え直してみれば、先に仕掛けてきたのは向こうだし、自業自得というものなのだろうな。だから、事が済んだ後も、骨は拾ってやらない。
そろそろ人物紹介とあらすじを訂正しなきゃいけないと思いつつ、放ったらかしになっています。毎日、一文でもいいので、直していこうと気分を高めていますが、効果はあまり上がっていません……。