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第百三十一話 貧乏の最大の敵は、安さ

「頭が痛い……」


 目が覚めて、最初に呟いた言葉がコレだった。


 昨日鉄の棒で叩かれた箇所がまだ痛んだ。一晩眠れば完治すると勝手に思い込んでいたのだが、世の中、そんなに甘くないか。


 痛みのおかげで、目覚めは、この上なく最悪だ。体を起こすのもだるいくらいなので、何かに当たり散らす心配がないことだけが救いかね。


 試しに、自分の記憶を整理してみる。うん、大丈夫。ここ数か月のことをちゃんと思い出せる。記憶には影響なしか。


「病院に行った方がいいのかね……」


 体のことを考えるなら、一度ちゃんと診てもらった方がいいんだろうが、先立つものがなあ……。


 この期に及んで、自分の体よりも、財布の重さの方を気にする辺りが、なんとも俺らしい。


 ブルルルルル……。


 寝る前に充電しておいた携帯電話が振動している。メールを着信したみたいだな。


 腕を伸ばせば届く範囲にある携帯電話を、手に取って確認する。虹塚先輩からのモーニングメールだった。


 すごいな。ざっと数えただけで、もう三十件を超えるモーニングメールが届いている。俺が返信するまで、延々と続ける気か、この人は。


 ふと、俺が寝ている横で、メールだけが届き続ける状況を想像してみた。……何てシュールな光景なんだろう。


 とりあえず、今起きてメールを確認したことを付け加えて、返信をした。文章が言い訳臭くなってしまったかな。


 役目を終えた携帯電話を投げ捨てて、右腕をだらんと横に倒す。


 ……何だ? 妙に柔らかい感触が、掌に広がったぞ。


 何だろうと思って横を見ると、下着姿の柚子が寝ていた。しかも、もう起きていらっしゃる。


「何を見ているんですか、先輩のエッチ」


「いや、そのセリフは、ここで言われることじゃない」


 ちょうど柚子を掴んでいた手を離して、冷静にツッコむ。どこを掴んでいたのかは、敢えて言わないので、豊富な想像力で想いを巡らせてほしい。


「ずいぶん落ち着いていますね。普通、こういうシチュエーションに遭遇したら、もっと狼狽するものっすよ」


「お前には、似たような目に何度も遭わされたからな。それに寝る前の時点で、俺一人だったことは、しっかり覚えている」


「なるほど」


 妙なところで、納得するな。ソファのところに、酒瓶が転がっていることから察するに、また泥酔して、上り込んできたらしいな。


 俺も下着姿だったので、せめてジーパンだけでも履いておこうと、体を起こした。


「お前は、俺の部屋で何をしているんだ?」


「添い寝していました」


「一仕事を終えたような顔で言うな、酔っ払い」


 不法侵入してきた困った後輩に毒を吐くが、その直後、ジーパンに足を入れた状態で、よろめいてしまう。急にグラッときたのだ。


「爽太先輩?」


 柚子も怪訝そうに、俺を見つめている。やっぱり病院で診てもらうか。




 家を出た俺は、病院に向かって歩いていた。その際に、部屋から追い出した柚子も、何故か後を追ってくる。


「もう! 期限直してくださいよ、爽太先輩」


 さんざん考えた末に、病院に行くことを決めた。問題ないとは思うが、万が一ということもある。


「そんなに急いでどこに向かっているんすか?」


「病院」


 柚子に行先を告げる義理はないと思ったが、言わないとうるさそうなので、ぶっきらぼうに答えてやる。


「病院に行くんすか? 爽太先輩、どこも悪くなさそうなのに。あっ、分かった。恋の病でしょ。どうです?」


 頭痛が悪化した。でも、増した分の痛みは、柚子に蹴りをお見舞いすれば、収まりそうな気もする。


「ああ。ちょっと私事で怪我をすることがあってな。念のために診てもらうことにしたんだ」


「痴話喧嘩ってやつっすね。分かった! デートの待ち合わせに遅れて、手ひどくやられちゃったんでしょ」


「それはもういいから」


 何でもかんでも恋愛方向に持っていくな。しかも、悉くつまんねえんだよ。


「実は、私も今朝起きた時から、ずっと頭がガンガンするんすよね。なんかの病気でしょうか」


「心配するな。お前のは、ただの二日酔いだから」


 さっき水を飲ませたから、もうそろそろ収まるんじゃないのか?


「爽太先輩。冷たいっす」


 柚子からジトッとした目で睨まれたが、俺は事実を言っただけだ。それとも、励ましの言葉とともに、頭を撫で撫でしてほしかったとでもいう気か?


「おっ、それがいいっすね! 熱烈希望です!」


 冗談のつもりで言ったのに、ストライクゾーンに入ってしまった。しかも、急激にすり寄ってきたではないか。


「あ、あれ? 爽太先輩!? 頭を撫でてくれないんすか?」


「え~と。この近くに病院なかったかな~?」


 猛烈におねだりしてくる柚子を放っておいて、俺は足早に歩く。このまま引き離す予定が、めげることなくついてきやがった。


「……安いところ、知っていますよ」


 柚子のことは、もう無視しようと決めていた筈なのに、安いという単語に反応して、足が止まってしまう。こいつがそんなところを知っている訳がない。罠だと、自分に言い聞かせても、誘惑に打ち勝つことが出来ない。貧乏人の悲しい習性だ。後ろで柚子がニヤリとしているのが、なんとなく分かってしまう。


「知り合いの父親が経営している病院なんすけどね。そこなら、知り合いのつてで、安く診てもらえますよ」


 落ち着け。知り合いのつてといっても、学生の交友範囲など、たかが知れているだろう。こいつがお願いしたところで、安くなる訳がない。


 だが……、もしかしたらという展開が、頭を離れてくれない。


「どうします? もちろん強制はしないっすけど」


 立ち止まったままで、しばらく考える。とはいえ、考え込んでいる時点で、答えはもう出ているようなものだ。


「い、いいぜ。そこに案内してくれよ」


 こ、後輩の親切は、ありがたく受け取らないとな。け、決して、金をケチっている訳ではない。


 ごちゃごちゃと言い訳を吐いているが、結局は安さに負けただけのこと。笑いたければ、笑うがいいさ。


 足元を見られた気まずさと、病院まで案内してくれることへのねぎらいから、缶コーヒーを奢ってやることにした。単に、俺が飲みたいというのもあったんだがね。


 自販機で二本買って、一本を柚子に向かって放り投げた。「サンキューっす!」と、片手でキャッチして、飲み始める。


「そういえば、爽太先輩って、頭の中を診てもらうんですよね」


「そんな仰々しいことじゃないけどな。大丈夫かどうか、専門家の意見を聞きたいだけ」


 手術しなければ、診療代だって、そんなにかからないからな。ここでも、俺の貧乏人根性が垣間見えてしまった。


「彼女には、どう言うんすか? イメチェンしたってことにするんですか?」


「お前は何を言っているんだ?」


 訳が分からずに聞き返すと、缶をバリカンに見立てて、頭を剃り上げるジェスチャーをしてきた。


「脳みそにメスを入れるんじゃないんだから、そこまでする訳がないだろ」


「爽太先輩の坊主頭、見たかったっす……」


「変なことで残念がるな」


「先輩の坊主が見られないんなら、もう帰っちゃいますかね」


「それは遠回しに脅しているのか?」


 柚子のやつ。知り合いに頼んで、俺の頭を剃る方向に持っていきやしないだろうな。こんな心配は無用の筈だが、俺を診てくれる医者と知り合いだからな。多少のリクエストなら、罷り通ってしまいそうで怖い。


 普通なら、ここで身の危険を感じて、他の病院に行こうとするものだが、安さにつられた俺に、そんな考えは思いもよらなかった。貧乏人の悲しい習性だ。


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