第百三十話 助かったと思った時が、一番危ないことを学んだ夜
自宅の前で、大男から襲撃された俺は、若気の至りで応戦するも、劣勢に追い込まれていた。
相手が喧嘩慣れしていないのは分かるのに、徐々に追いつめられてしまう。原因は、向こうが鉄の棒という武器を持っていることだろう。自分の拳だけで勝てるほど、俺は強くない。
俺はこれからどうなるのかね? 顔に傷とかつけられるのかな。
「お前など、闇討ちされて一生モノの傷を顔に作ってしまえ」
以前、雑談の折に、木下から言われたセリフが、こんな時にフラッシュバックしてしまう。縁起でもないと思いつつも、木下は喜びそうな展開だなと、他人事のように考えてしまう。
最悪、傷がつけられるにしても、頬に十字傷だったら、漫画の主人公みたいで格好いいかもと、馬鹿なことを思ったりもした。
そんな追い詰められつつある状況の中で、遊里が、意外な助っ人として現れてくれたのだ。
「私ね。今、スタンガンを持っているんだ。分かるよね。あんたの大事なところに当たっている固いものが、そうよ」
可愛い顔に似合わない、恐ろしいことを考え付くものだな。同じ男として、全身に鳥肌が立ってしまった。
「どうする? 私は、穏便に済ませるのも、バトルに突入するのも、どっちでもOKだけどね」
どっちでもいいと言ってはいるが、表情を見ると、大男に強気に出てほしくてたまらないといった顔をしている。今、スタンガンに電流を流したら、どういうことになるのかを、純粋に知りたいという残酷さを内包した笑顔だ。
当然、男からしてみれば、たまったものではない。サングラスやら、マスクやらで、顔を隠しているのに、冷や汗が滝のように流れているのが分かった。
「く、くそ!!」
腹の底から悔しそうな呻き声を上げながら、大男は、踵を返して退散していった。賢明な判断だ。
「何だよ。面白くなりそうだって期待したのに、ちょっと劣勢になっただけで逃げるのかよ!」
実はバトル展開を希望していた遊里は残念そうにしているが、男にとっては、ちょっとどころの劣勢では片付けられない。
「さてと! 爽太君は無事かな? 致命傷とか後遺症とかは、食らってないの?」
大男の姿が、すっかり見えなくなったのを確認してから、遊里は俺に向き直った。強がって、大丈夫と宣言しようかと思ったが、やばい。足がフラついて、もう立っていられない。
「大丈夫じゃないかあ。頭を結構殴られていたからねえ」
「……いつから見ていた?」
よろめく俺に、遊里は肩を貸してくれた。危ないところを救ってくれた上に、そこまでしてくれるとは大変ありがたい。だが、気になったので聞いてみた。
「爽太君が、さっきの男に絡まれた時からかな? すぐ助けても良かったんだけど、動画も撮らなきゃいけないしね」
遊里への感謝の念が、一瞬で薄れた瞬間だった。こいつ、俺が襲われている様子を、動画に収めてやがった。
「……良い映像は撮れたか?」
湧き上がる怒りを抑えて、冷静を装って声を絞り出す。
「う~ん。爽太君が、大男に向かって、強気に出るところまでは良いんだけどね。その後がよろしくない」
それは、俺の喧嘩の弱さを、遠回しに皮肉っているのか?
「まあ、でも、トータル的には格好良く撮れているかな。劣勢になっても、逃げないところも及第点と言えなくもない……。あれ、ひょっとしてお気に召さない?」
ああ。お気に召しませんとも! 特に、お前の動画評論がな。
まあ、とにかくだ。遊里のおかげで、助かったのも事実だ。忘れない内に、この言葉を言っておこう。
「何はともあれ、助かったよ、ありがとうな」
遊里が来てくれなかったら、マジで危なかった。三途の川は見えなかったが、木下の顔が見えたしな。まだ頭もクラクラする。
「気にしなくていいよ。でも、私が知らない内に、物騒なやつに目を付けられるようになったね。痴情のもつれとか?」
そんなことはないと否定しようとしたが、襲撃してきたやつの目的は、虹塚先輩と別れることだったし、そう考えると、あながち間違いでもないか。
「そうかもしれない」
少し悩んだが、思い切って肯定してしまうことにした。
「ははは……。こっちから振っておいてなんだけど、そのまま肯定されるのも、腹が立つものだね」
苦笑いが引きつっていることから、多少なりとも、気を悪くしているのは事実なんだろう。
どうして遊里がここにいるのかについては、言及せずに、助けてくれたお礼にコーヒーをご馳走することにしよう。
電気をつけて、部屋を明るくした後で、遊里を上げた。遊里とは、いかがわしい関係じゃないが、一人じゃないというだけで、寂しさが一気に和らぐ。
「狭い部屋だが、適当に寛いでくれよ」
「そんなことないよ。私の部屋より、全然広いって!」
思わず喜んでしまいそうになったが、遊里は親と暮らしているのだ。こいつの自室と、俺の家。比べて広いのは当たり前だ。
「お徳用だから、味は保障出来ないが、量だけはあるんだ。だから、お代わりがほしい場合は、気軽に言ってくれ」
「味より量派の人間だから、助かるよ」
早くも、自分の家のように寛いでいる遊里に、冷蔵庫で冷やしておいたアイスコーヒーを渡した。涼しい顔で、汗もかいていなかったので、あまり喉は乾いていないと思われたが、一気飲みしてしまった。外見と裏腹に、実は喉がカラカラだったらしい。
「いきなりなんだけど、虹塚先輩と付き合い始めたんだね」
お代わりのアイスコーヒーを受け取ると、不躾な質問をしてきた。秘密にしていることだが、この分だととぼけたところで無駄だろう。なので、正直に答えた。
「よく知っているな」
「私の情報網をなめてもらっちゃ困るな。さっきの大男も、それっぽいことを口にしていたしね」
まるで特ダネを追い求める記者みたいだな。学校を卒業したら、本職のパパラッチとか始めそうな気配がぷんぷんする。
「そして、代わりに、アリスと別れましたと……」
虹塚先輩と交際しているなら、そうなるな。あまり突っ込んでほしいことじゃなかったが、頷いておいた。それとも、俺のことを、女子をおもちゃのように扱う最低な男として、避難しているのだろうか。
「胸糞悪いか?」
「ん? ああ、心配しないで。私は、この件に関して、全く怒っていないから。むしろ、アリスと別れてくれてありがとう! みたいな?」
「はい?」
そこは、「アリスと別れたから、私にもチャンスが巡ってきたのかな?」とかいうところじゃないのか? 何を言っているのか分からなくなってしまい、聞き返したが、遊里はこっちの話だと笑って誤魔化すだけだ。アリスの母親から、俺とアリスを別れさせるように依頼を受けていたことなど知らない俺は、ひたすら首を捻るしかなかったのだ。
「それで……。ここからが重要なんだけどね。私が撮影した、さっきの動画、いくらで買う?」
「金を取るのかよ!」
こいつ……、商売を始めやがった。言っておくが、俺から搾り取ろうとしたって無駄だぞ。食器類を買い直したせいで、余分な金は、一切持ち合わせていないんだ。
「ちなみに、特別料金をいただければ、爽太君の格好いい部分だけを編集したディレクターズカット版を進呈することも出来るよ♪」
「だから、金に余裕はないって!」
何が何でも、俺から金を搾り取る気だ。助けてもらったお礼とはいえ、とんでもないやつを家に上げてしまった!
この後、一時間に渡って、遊里の営業トークが展開されているのだが、あまりに不毛なので、割愛させてもらう。
「今なら五割引きで一万円の大特価。お買い得だよ!」
「だから、高いって! せめて千円!」
帰りの玄関先まで、見苦しい掛け合いは続き、ようやく遊里を帰らせたときは、疲労困憊だった。
「……痛い」
遊里を見送った後で、ぼそりと呟く。実は、大男に殴られたときの痛みが、まだ引いていないのだが、遊里と馬鹿話をしたせいだと甘く見た俺は、ろくな手当もしないで、早急に休むことにした。